それでも戦いは続く…国民の期待を一身に背負い「200%の力で」戦ったウクライナ代表3カ月の足跡
母国への侵攻に終わりが見えない中、カタールW杯出場を懸けてプレーオフに臨んだウクライナ代表。惜しくも決勝でウェールズ代表に敗れあと一歩のところで悲願には届かなかったものの、勇敢な姿勢に世界中から称賛が送られた。試合までに直面した困難をはじめチームを突き動かした激励の数々や関係者の想いまで、語り継ぐべきウクライナの戦いをロシア・東欧のサッカー事情に精通する篠崎直也さんが振り返る。
2022年2月24日――ロシア軍が国境を越えてウクライナ侵攻を開始したこの日から、すべてのウクライナ人の生活は一変してしまった。
その頃、ウクライナ・プレミアリーグは昨年12月から続いたウィンターブレイクを終え、翌日の2月25日に再開する予定だった。2月20日にトルコでの合宿から故郷へ戻ったばかりだったシャフタール・ドネツィクのMFタラス・ステパネンコは、サッカーどころではなかった侵攻直後の様子を次のように語っている。
「あの日は家族と一緒に家にいて、爆発の音で目が覚めた。戦争が始まったと感じてすぐに地下室に下りたんだ。それから約1カ月は家族とともに、安全な場所を求めてあちこちを転々としていた。その間、トレーニングはまったくできなかった」
ウクライナ代表のオレクサンドル・ペトラコフ監督もまた、複雑な心境を抱えて故郷からの避難を余儀なくされた。
「自分が生まれた街から逃げるのが正しいことなのかわからなかった。だが、こう言われたんだ。“あなたは64歳だ。もう若くはないし、軍事の知識もない。その代わり。私たちをワールドカップに連れて行ってほしい”と。
選手たちにとってこの状況は大きなストレスだ。彼らの家族も戦争に巻き込まれている。最初の2カ月はサッカーのことを考えられず、試合を見ることさえなかった。ずっと戦況を伝えるニュースを見ていたんだ。もちろん、これからも選手たちが試合だけに集中するのは難しい」
ウクライナ代表メンバーの大半を占めるディナモ・キーウとシャフタール・ドネツィクの選手たちは隣国ルーマニアに脱出し練習を続けていたが、祖国防衛のために戦闘に加わっていく同胞を目の当たりにして後ろめたさを感じていた。それでも国内リーグの再開が困難となった今、彼らに残された直近の希望はカタールW杯欧州予選プレーオフのスコットランド戦と、勝ち上がった先のウェールズまたはオーストリア戦しかなかった。
欧州を中心としてウクライナにW杯の出場権を与えてはどうかという意見が上がったものの、代表主将アンドリー・ヤルモレンコは「我われには手も、足も、グラウンドもある。自分たちの力で正当に勝ち獲らなければいけない」と断言。プレーオフの組み合わせが決まった直後にウクライナサッカー連盟のアンドリー・パベルコ会長が「今年、いやこの10年で最も重要な試合」と語っていたスコットランド戦は6月1日への開催延期が認められ、もはや同国サッカー史上最も勝利が望まれる試合となった。
準備期間に直面した困難の数々
プレーオフへ向けて代表チームは5月2日から隣国スロベニアで合宿をスタート。遅れて合流したビタリ・ミコレンコが「久しぶりに代表のチームメイトに会えて本当にうれしかった。手が震えていた」とまで語るほど、その再会は特別だった。しかし、スコットランド戦への準備は決して順風満帆ではなかった。
4月から欧州各国を回って慈善試合を行っていたディナモ・キーウが代表ウィークである5月23日まで所属選手の代表招集を拒否したのである。ペトラコフ監督は「率直にショックを受けている。これは選手たちではなくクラブの決定だ」と絶句。ディナモのサポーターグループ「WBCウルトラス・ディナモ」も「会長は代表よりもクラブを、国民の関心よりも個人の興味を優先させた。ディナモのイメージを著しく損なっている」と非難した。その後、協議を重ねてディナモ側が折れた形となったが、結局3日遅れでの合流となり「全精力を懸けて代表のために戦おう」という団結ムードに水を差す形となった。
スコットランド戦までに組むことができたテストマッチはそれぞれアウェイに出向いた5月11日のボルシア・メンヘングラッドバッハ戦(2-1)、5月17日のエンポリ戦(3-1)、5月18日のリエカ戦(1-1)の3試合。テストマッチ用に特別に作られたユニフォームには「U24 UNITED FOR UKRAINE」の文字とともにEU加盟国の国旗で縁取られたウクライナの地図がプリントされ、背番号はブチャやミコライウなど戦闘の舞台となった都市の名前によって形作られた(下埋め込み画像)。
選手たちもウクライナのEU加盟をアピールする動画に出演し、支援を嘆願。行く先々で励ましの声援を受けた選手たちは決してウクライナが世界の中で孤立していないこと、多くの国の人々が自分たちの勝利を願っていることに感激していた。
2勝1分で終えた3連戦では中盤のミハイロ・ムドリク、オレクサンドル・ピハリョノクといったニューカマーが躍動。チームは順調に仕上がっていくかに思えたが、スコットランド戦直前のテストマッチとして予定されていたコンゴ代表との試合がコンゴの資金問題により中止に。「正直に言えばもうシーズンが終わってほしい。早く代表に行きたい」と話していたヤルモレンコやジンチェンコ、ミコレンコのイングランド組が5月24日に合流した後のフルメンバーによる対外試合は叶わず、一方をスコットランドに見立てた紅白戦のみの最終調整となった。
合宿中の5月14日、選手たちはテレビの前に集まり、「ユーロビジョン・ソング・コンテスト」の結果を見守っていた。欧州各国の代表歌手・グループが生中継で曲を披露し、参加国の投票によって順位を決めるポップ・ミュージック版「欧州選手権」である。そして、今年は見事にウクライナ代表の「カルシュ・オーケストラ」が最多票を獲得し優勝を果たして歓喜に沸いた。自国を支援する意味合いの得票であることは誰もがわかってはいたが、DFイリア・ザバルニーは「集計結果を待つ間、みんなが一緒に緊張して心臓が止まりそうだった。自分たちも同じように国民を勇気づけなければならない」と誓った。多くの国がウクライナに共感していることを心強く思う一方で、国を背負って戦う責任の計り知れない重さを追体験した一夜だった。
元ウクライナ代表DFのアルテム・フェデツキは、国境沿いに駐屯している兵士から受け取ったメッセージを紹介している。
「私たちには金も、名誉も、勲章も必要ありません。多くの血が流れている戦争中にもかかわらず、私たちは何度もサッカーのことを話題にしています。あなたにお願いがあります。もし代表選手たちと連絡が取れるなら、伝えてください。今私たちが望んでいるのはW杯の出場権です。世界がウクライナについて議論している今だからこそ、兵士の士気を高めなければいけない今だからこそ必要なのです」
その重圧たるや…チームの悲壮な決意
……
Profile
篠崎 直也
1976年、新潟県生まれ。大阪大学大学院でロシア芸術論を専攻し、現在は大阪大学、同志社大学で教鞭を執る。4年過ごした第2の故郷サンクトペテルブルクでゼニトの優勝を目にし辺境のサッカーの虜に。以後ロシア、ウクライナを中心に執筆・翻訳を手がけている。