マヌエル・ルイ・コスタ。勝ち切るには美し過ぎた、生まれながらの10番
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現代ではよりハイブリッドな存在へと姿を変えつつある「ファンタジスタ」。サッカーの歴史に鮮やかな色彩を加えてきたその系譜に名を連ねる一人が、マヌエル・ルイ・コスタだ。華のあるプレーと、すべてが順風満帆とはいかなかったキャリア。ポルトガルが生んだマエストロの足跡をたどってみよう。
日の当たる坂道
その経歴を振り返ってみると、「悲運の10番」なのかもしれない。ところが、マヌエル・ルイ・コスタには不思議と悲壮感や苦悩の陰がない。きつい上り坂を歩いていくような半生だったかもしれないが、彼のところだけはいつも陽が差しているように見えた。
1991年、ワールドユース選手権でブラジルを破って優勝。「黄金世代」のポルトガルの中心にいた。前途は洋々、世界は彼にひざまずくだろうと思われた。しかし、そうはならなかった。才気の塊だったポルトガルの黄金世代はついに何のタイトルも獲れず、ルイ・コスタの最高の瞬間は自国開催のワールドユースで優勝トロフィーを掲げた19歳の時だったかもしれない。
ベンフィカでの活躍を経て、セリエAのフィオレンティーナへ移籍。ガブリエル・バティストゥータと名コンビを組む。エジムンドが加わって悲願のスクデッド目前までいったが、リオでカーニバルが始まるとエジムンドが謎の離脱。ヴィオラ(フィオレンティーナの愛称)は優勝を逃してしまった。ルイ・コスタにはもちろん何の落ち度もない。ところが、クラブの財政難からミランへ売り渡される。
2001年にミランへやって来た後、5シーズンを過ごしている。
最初のシーズンは負傷のためあまり活躍できなかったが、2002-03はCLとコッパ・イタリア優勝の2冠を成し遂げる。この時のミランは強力だ。リバウドが加入し、アンドリー・シェフチェンコがいて、フィリッポ・インザーギ、クラレンス・セードルフ、ジェンナーロ・ガットゥーゾと猛者ぞろい。最終ラインでは、このシーズンにラツィオから加入したアレッサンドロ・ネスタがパオロ・マルディーニと鉄壁のCBコンビを築いている。CL決勝のユベントス戦は、この2人にカハ・カラーゼ、アレッサンドロ・コスタクルタの4バックだった。屈強なCB4人を並べていて、まさに蟻のはい出る隙間もない。
アンドレア・ピルロが中盤の底からゲームを作る新機軸が当たっていた。後方にピルロ、前方にルイ・コスタ。2人の司令塔がタクトを振るミランの優勝は黄金時代到来を予感させ、確かに黄金時代は来たのだが、その中にルイ・コスタはいなかった。ブラジル人のカカーが彗星のように現れ、ルイ・コスタのポジションを奪ってしまったからだ。
宝石の中の宝石
子供の頃は飛び抜けて背が高かった。同世代の少年より頭2つぐらい高い。それでいてボールを持てば、スケート靴を履いて氷上を滑るようにドリブルで抜けていく。ボールは足下へピタリと貼りついたまま。膝下の振り、足首の返しだけで守備陣を真っ二つに割るようなスルーパスが繰り出され、のびやかなミドルシュートが突き刺さる――。
生まれながらの10番だった。ベンフィカの英雄エウゼビオが太鼓判を押してユーステストに合格、1991年にベンフィカでのデビューを果たす。ワールドユースに優勝した年だ。この時のポルトガルユース代表は宝石箱のようなチームだった。ルイス・フィーゴ、ジョアン・ピント、パウロ・ソウザ、リカルド・サ・ピント、フェルナンド・コウトなど、逸材がキラキラと光っていた。ルイ・コスタはその中でも最も強い輝きを放っていた。
EURO1996でベスト8、EURO2000ではベスト4。1998年ワールドカップは予選敗退してしまったが、黄金世代は順調に経験を積んでいる。何といってもそのプレーが魅力にあふれていた。
足下から足下へ、ショートパスとパス&ムーブを繰り返す。ほんの少し先手を取り、守備側の対応を後手に回す。その連続で攻め込んでいく。ギリギリのパスを連続させる攻め方は危険な綱渡り、コンマ数秒間違えれば真っ逆さまの空中ブランコのよう。スリリングなアクションの中で繰り出す技の数々、瞬間のアイディア、阿吽の呼吸、何より恐れを知らない才能たちの野心とエネルギーが新鮮だった。安全第一の姑息なフットボールなどクソ食らえとでもいうように、若い才気が横溢していた。
ルイ・コスタは、その象徴だった。だから勝てなかったのかもしれない。勝ち切るには美し過ぎたのだろう。
期待された2002年ワールドカップはまさかのグループステージ敗退。ポルトガルで開催されたEURO2004は決勝まで勝ち上がったがギリシャに敗れた。もうこの時に残っていた黄金世代はフィーゴ、コウト、ルイ・コスタだけで、プレーぶりもかなり変貌している。常時先発したのはフィーゴだけだ。若きクリスティーナ・ロナウドとフィーゴの両翼のドリブル突破が頼りという攻め方になっていた。
太陽の男
1989年から数年間、独特過ぎるフットボールで世界を驚かせたコロンビア代表がカルロス・バルデラマやレネ・イギータが去ると普通のチームになったように、黄金世代がいなくなったポルトガル代表もかつての輝きとある種の狂気を失っている。
EURO2004でルイ・コスタのポジションを奪ったデコは名手ではあったが、黄金世代が持っていた「今、この瞬間しかない」という輝きと危うさはなく、もっと老練で安定したプレーメイカーだ。
ブラジル人監督フェリペ・スコラーリは開幕戦でベンフィカ中心の先発メンバーを送り出してギリシャに敗れると、コウトもルイ・コスタも引っ込めてデコとポルトの面々に代えている。“フェリッポン”は勝負師だ。ポルトガルには自信と勢いが必要だと判断したのだろう。国民的なチームであるベンフィカの人気を利用して弱気な国民を熱狂に誘い、それを後ろ盾にしようとしていたようだ。しかし、それが失敗したので現実路線に舵を切ったわけだ。
ミランではカカーに、代表ではデコに、ルイ・コスタはどちらもブラジル人に「10番」の座を奪われている(編注:デコは帰化しポルトガル代表入りした)。よりダイナミックなカカー、より確実性のあるデコ。同じ「10番」でもタイプが違い、彼らにはルイ・コスタにはないものがあった。競争に敗れたというより、監督のチョイスである。ルイ・コスタはカカーにもデコにもなれないが、カカーとデコにないものをルイ・コスタは持っている。どちらを選ぶか、選択の問題だった。
ミランでもポルトガル代表でも、ルイ・コスタはベンチに座っても実に堂々としている。カカーにはさまざまなアドバイスを与えた良き先輩であり、EUROでは交代出場したロシア戦とイングランド戦で貴重なゴールを決めた。不運に腐らず、誰のせいにもせず、ひとたびフィールドに立てばそこにはいつも強い陽が差し込む。時代遅れだろうが何だろうが、ルイ・コスタがボールを持ち、芝生を滑走し始めれば、もうそこには彼の時間と世界があった。
不遇だったかもしれないカカー加入後の3シーズンを過ごした後、古巣のベンフィカへ戻る。ミランのサポーターに惜しまれながらの移籍だった。ベンフィカで最後のひと花を咲かせて引退すると強化部門で辣腕を振るい、2021年には会長に就任している。会長選の得票率は85%に迫る圧倒的な支持だった。
悲運だったはずなのに、そんな雰囲気がまるでない。たぶん本人がそう思っていない。どこにいても何をしても、彼のところだけは暖かい陽の光が当たっている。
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時に華麗、時に豪快。エレガントな佇まいから繰り出すイマジネーションに満ちたプレーの数々で人々を魅了した「10番」マヌエル・ルイ・コスタと、同時期にミランへ加入しパオロ・マルティーニと鉄壁の最終ラインを結成、2度のCL制覇などに貢献したアレッサンドロ・ネスタ。1990年代後半から2000年代のセリエAを代表する名手2人が、大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム「プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド」(サカつくRTW)に登場!
彼らに加え、現役のスーパースターたちが新★5選手として登場する“LEGEND SCOUT”が開催中だ。さらに今回は、スカウト登場選手の★4バージョンがもらえる“スペシャルログインボーナス”も合わせて実施。1日ログインするごとに1人ずつ、合計3選手が獲得できる。
このほか、「サカつくRTW」No.1クラブを決定する“SUPER WORLD CLUB CUP 41st”のエントリー受付や“クラブチャンピオンシップトーナメント(CCT)” もスタートしている。
すでにゲームをプレイ中の方はもちろん、「サカつく」未経験の方もこの機会にぜひゲームにトライして、語り継がれるレジェンドたちの魅力を感じてほしい。
<商品情報>
商品名 :プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド
ジャンル:スポーツ育成シミュレーションゲーム
配信機種:iOS / Android
価 格 :基本無料(一部アイテム課金あり)
メーカー:セガ
さらに詳しい情報を知りたい方は公式HPへアクセス!
http://sakatsuku-rtw.sega.com/
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Photos: Getty Images
Profile
西部 謙司
1962年9月27日、東京都生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、会社員を経て、学研『ストライカー』の編集部勤務。95~98年にフランスのパリに住み、欧州サッカーを取材。02年にフリーランスとなる。『戦術リストランテV サッカーの解釈を変える最先端の戦術用語』(小社刊)が発売中。