キリアン・ムバッペをめぐるレアル・マドリーとパリ・サンジェルマンの対決は、ムバッペが2025年まで契約延長、という形で後者が勝利する格好となったが、その余韻も残る中、今度はフランスの新たな逸材をめぐって両クラブの獲得合戦が過熱。ターゲットはモナコに所属する22歳のMF、オレリアン・チュアメニだ。
“○○の再来”というたとえを好むサッカー界で、チュアメニは「ポール・ポグバの再来」と呼ばれている。クロード・マケレレやケビン・デ・ブルイネ、そしてポグバを観察し、目標として育ってきたという彼自身にとっても、この称号はまんざらでもないらしい。
チュアメニを見ていて浮かぶ言葉は「大物感」だ。かといって「ふてぶてしい」といった印象はまったくなく、むしろ受け答えも謙虚なのだが、ピッチ上での佇まいには22歳とは思えない貫禄がある。彼のプレーで際立っている点を挙げるなら、「ピッチ全体が見渡せているビジョンの良さ」「効率の良いポジショニング」「インテリジェンス」の3つだ。
身長187cmと上背はあるが線は細めのチュアメニは、ポグバやパトリック・ビエラのような“ゴリゴリ”プレーするタイプではなく、“ススっ”と動く感じ。相手からのボール奪取時も、勢い任せにボールを狙いにいくのではなく、じりじりと体を寄せて袋小路に追い込むといった、次の展開を読む知的さが秀逸だ。
地元でサッカーを楽しみ、人の話をよく聞いた少年時代
2000年1月27日生まれのZ世代であるチュアメニが誕生したのは、パリから北西に約130kmの距離にある古都ルーアン。薬剤師だった父が転勤族で、オレリアン少年が5歳の時にボルドーに移住した。会社のサッカーチームに所属していた父は、息子をいつも試合や練習に連れて行ったそうで、ボルドーに落ち着いたのを機にチュアメニは地元のサッカークラブに入団した。
ローカルな大会で目立った活躍をするようになると、ジロンダン・ボルドーのアカデミーがさっそく興味を示したが、「10歳くらいまではサッカーは楽しんでやるもの」というポリシーがあった父は、プロクラブの勧誘にはなびかず、毎年来ていた入団の誘いを断り続けた。所属する地元のクラブ、SJアルティグはアマチュアだったが、チュアメニが出場したU-11のアカデミー全国大会では、そのボルドーを破り、パリ・サンジェルマン(以下PSG)やリール、リヨン、マルセイユといったプロのトップクラブとともに決勝ラウンドまで勝ち残るという、クラブ史に残る偉業を達成している。
父親やチームメイト、エージェントなど、彼のこれまでのキャリアに関わった人物に話を聞いた昨年8月発売の『フランスフットボール』誌の中で、SJアルティグの会長は当時のチュアメニについて「とにかく人の話をよく聞き、教えたことをすぐに吸収できる飲み込みの早い子だった」と証言している。……
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小川 由紀子
ブリティッシュロックに浸りたくて92年に渡英。96年より取材活動を始める。その年のEUROでイングランドが敗退したウェンブリーでの瞬間はいまだに胸が痛い思い出。その後パリに引っ越し、F1、自転車、バスケなどにも幅を広げつつ、フェロー諸島やブルネイ、マルタといった小国を中心に43カ国でサッカーを見て歩く。地味な話題に興味をそそられがちで、超遅咲きのジャズピアニストを志しているが、万年ビギナー。