コロナ禍の影響で異例の開催方式となっている今季のAFCチャンピオンズリーグ。そのグループステージは各国での集中開催。タイのブリーラムにおける戦いに臨んだ浦和レッズを追った沖永雄一郎記者が、あらためて「アジアの浦和」体験を振り返る。
いざ、タイへと旅立ち
過去にあった『アジアの戦い』とは少し異質な、そして本当に長い滞在だった。
チームは4月11日に日本を立ち、5月2日に帰国。実に3週間にまたがったタイ・ブリーラム遠征は、浦和レッズに何をもたらしたのだろうか。
私はチームから2日遅れて13日に日本を出発した。初の単独海外取材とあって期待よりも不安が上回っていたが、成田空港には浦和サポータ―と思しき人々の姿が……。一目でそれとわかるグッズを身に着けているわけではないのだが、雰囲気でそう察することが可能だった。一人ひとりがおびただしい量の荷物を抱えていたが、その理由は初戦の前日と当日に判明することとなる。
4月時点でのタイ入国については、日本出国前の陰性証明が不要となっている代わりに、初日は空港からの送迎とPCR検査機能を備えたホテルに滞在することが義務付けられていた。一晩を隔離ホテルで過ごし、陰性が証明されれば自由に行動できるようになるというわけだ。
タイの首都バンコクのスワンナプーム国際空港に着陸後、入国審査をパスして空港の出口へと移動すると、各ホテルのスタッフが名簿を抱えて待機している。早速予約したホテルのスタッフを探して話しかけるが、名簿に名前がない。何度見ても、ない。
入国早々にピンチを迎えたかと思われたが、しばらく待てと言われて待っていると、どうやら確認が取れたらしい。私が見せた予約画面をスマホでパシャリとやって、駐車場へと案内される。ようやくホテルへと移動できた。
タイに渡ったのは実に3年ぶりのことだったが、その時と少し風景も変わっていた。空港周辺の高架道路には昭和の日本よろしく巨大な広告看板がひしめいているが、その多くは広告募集中の状態。さらに車窓からは建設中のビルがいくつも見えたが、その多くは工事が止まっているという。わずかな時間の車中で、コロナ禍による経済状態の厳しさを感じさせられた。
タイは現在、観光客回復のためコロナ対策と規制の緩和を両立させようと躍起になっていると聞くが、その理由の一端が車窓から見て取れた。
シェフも疲労…海外遠征は総力戦
翌14日には無事にブリーラムへ入った。ブリーラム空港からスタジアムまでの道すがら、乗合ワゴンに同乗したある浦和サポーターに後日、わたしは命を救われることになるのだが、それはまた別の物語である。
アウェイでのアジアの洗礼と言えそうなのは、27日の練習が大規模な雷雨で切り上げになったことくらいだろうか。いくつかのメニューが消化できずに引き上げることになってしまったが、隣のコートで練習を行っていたセーラーズはそのまま練習を続けており、すぐ側の夜市も平然と行われていた。この辺りは文化の違いもありそうだ。
どのチームにも立派なホテルがあてがわれており、不便はそれほどない。ただ、AFCの都合によって全チームが平等に振り回される状況ではあった。この日もすべてチームの会見時間が直前で変更となり、微妙にチームのスケジュールが狂わされていた。
浦和は最初の3試合が現地時間21時キックオフということもあり、練習も20時など遅い時間に行われていた。というか、昼間はとても活動できる気候ではない。連日35℃を超え、「ちょっとそこまで」と歩くだけでも体力を削られる。沖縄出身のDF知念哲矢ですら「夜は沖縄と似ているけど、日中の暑さは沖縄以上にヤバいです」と苦笑いを浮かべるほど。移動を徒歩で何とかしようとしていた自分の考えは、たいそう甘いことに気づかされた。
一方、クラブはこの暑さに対して十全の準備をしてきていた。ここ2、3年で多くの選手が入れ替わったといっても、クラブには海外滞在のノウハウが豊富に残されている。携行スタッフの数を最少にとどめつつ、AFCとの折衝には苦労しつつも、トレーニングと試合のサイクルが円滑に回るよう最大限の努力が行われていた。
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Profile
ジェイ
1980年生まれ、山口県出身。2019年10月よりアイキャンフライしてフリーランスという名の無職となるが、気が付けばサッカー新聞『エル・ゴラッソ』浦和担当に。footballistaには2018年6月より不定期寄稿。心のクラブはレノファ山口、リーズ・ユナイテッド、アイルランド代表。