キケ・セティエンに直撃!ポジショナルプレーを伝える難しさを感じた100分間
本誌『フットボリスタ第90号』の巻頭インタビュー、バルセロナ元監督キケ・セティエンによる「ポジショナルプレー実践講座」に大きな反響が寄せられた。そこで実際その場で“100分間の講義”を受けた木村浩嗣氏にどう理解し、何を感じたのかを明かしてもらった。スペインでコーチングライセンスを取得し、現地で子供たちにサッカーを教え続けた彼をもってしても「難しかった」という。誌面で伝え切れなかった部分も含め、ぜひ貴重な機会を得た当事者の想いを共有したい。
まず最初に言っておくべきなのは、セティエンは100分のインタビュー中「ポジション」という言葉をほとんど使わなかったことだ。
ポジショナルプレーについての解説なのにポジションという言葉が出てこない――これはこの号で何人かのみなさんが書いている通り、「ポジション」という言葉が、実は適切ではないから。ポジションとはあらかじめ決められた配置と役割の名前であって、状況ごとに適切な場所も役割も異なるポジショナルなプレーの説明には馴染まず、誤解される恐れもある。
一方で「ポジショニングする」という言葉は多用されているが、これは私の意訳である。セティエンは単に「いる」と言っていた。サッカー用語には日本語になっていない、あるいは用語はあっても正しい定義が浸透していないものがたくさんあるのだが、このポジショナルプレーについては本家本元のスペイン語のネーミングが正確ではない、という問題をはらんでいる。訳者としては「ポジショニングする」という和訳は誤解を広げているようで抵抗もあるのだが、わかりやすさを優先した。その辺りは葛藤があった。
ちなみに、ポジショナルプレーを正確にネーミングしようという流れで「ポジション」ではなく「ウビカシオン」にすべきという話が出てきて、片野道郎さんによるアレッサンドロ・フォルミサーノへのインタビューでも指摘している。この中でフォルミサーノは「動的な配置、態勢」とウビカシオンを解釈しているが、前にインタビューした際にファンマ・リージョ(現マンチェスター・シティコーチ)が私に懸命に説明してくれたことからはウビカシヨンとは「動的な配置」であって「態勢」というニュアンスは含まれていないように思った。もちろん態勢は非常に重要であり、正しい配置と正しい態勢がポジショナルプレーには求められるわけだが。この片野さんのインタビューは非常に興味深いのでぜひ読んでほしい。
フィロソフィか?実践か?
いずれにせよ、セティエンはこうした原理的な議論からは無縁だった、ということだ。
100分近いインタビューを終えた後に残ったのは矛盾した、決して心地よくない思いだった。
一つは、これを果たしてちゃんと伝えられるだろうか?という思い。
インタビューには「よしもう聞くことはない。完璧だ」という爽快感で終わるものもあるのだが、これはそうではなかった。
インタビューは早々に図を描いての説明に入った。こちらもフィールド図を何枚か持ち込んでいたし、セティエンも白紙を用意してくれていた。通常通り、予備も含めて2台の録音機が動いていたのだが、これを境に「例えばこういう配置で、これがこう動いて、これがこうくる――」という音声だけではわからないものになった。録音ではなく録画すべきだったのだ。図の一つひとつを一生懸命に記憶しそれを基に懸命にテープ起こしをしたのだが、逃してしてしまったディテールもあるかもしれない。録画する用意をしてこなかった後悔が先に立って、頭が十分に回転せずインタビューを十分にコントロールすることができなかった。
セティエンのように伝えたいことが明確にある人は、内容の繰り返しが多くなりがちだ。繰り返しというのは、彼にとって強調したい点、言っておきたい点なのだが、聞き手側が遮ったり方向を変えたりしながらコントロールしないと、冗漫になってしまう。例えば、いかに数的優位を作るか、という話が何回も出てくる。彼が描いてくれた図のほとんどはこの説明にあてられている。ポジショニングによって数的優位を作ることが、ポジショナルプレーの目的なのだから当然なのだが、これほどの例は不要だったかもしれない。
インタビュー後に爽快感がなかったのは、読者に求められているものを引き出せた、という確信がなかったからだ。
ポジショナルプレーを知るために理解しないといけないものは2つある。一つは「フィロソフィや考え方」の部分。もう一つは「グラウンド上での実践」の部分。読者がより知りたいのはどっちなのか? 図で描かれていることは後者なわけだが、分けるべき両者が混在していたり、実践の分量が大きくなっていたり、対応関係が明確ではないのは、私のコントロール不足の証である。個人的には理路整然としたものが好きなのだが、必ずしもそうでないものができ上がってしまったのではと懸念している。セティエンが理路整然としていないわけではなく、私がセティエンの理路を整えることができなかったのだ。
インタビューの最後の方にセティエンが「プレーモデルリスト」を出してきた。「あっ、これがあるなら最初からこのリストに沿って話をしていけば良かった」と一瞬思った。ただ、それによって理路は整然とするはずだが、一方で即興的なやり取りによるダイナミックさは失われてしまうかもしれない。リストを最初に提示されていれば、内容や方向性が拘束される恐れもあった。「セティエンのポジショナルプレー講座」としてはそれで良かったのかもしれないが、インタビューとしてはどうか? 多分、このリストに沿って網羅的に話を聞いていれば、結局どうやってグラウンドで実践するのか、という話になって膨大な時間と紙数が必要になり、雑誌には収まり切っていなかったろう。「それをやるなら書籍か」と自分を納得させた。
「理論⇔実践」の間にある遠すぎる距離
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Profile
木村 浩嗣
編集者を経て94年にスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟の監督ライセンスを取得し少年チームを指導。06年の創刊時から務めた『footballista』編集長を15年7月に辞し、フリーに。17年にユース指導を休止する一方、映画関連の執筆に進出。グアルディオラ、イエロ、リージョ、パコ・へメス、ブトラゲーニョ、メンディリバル、セティエン、アベラルド、マルセリーノ、モンチ、エウセビオら一家言ある人へインタビュー経験多数。