監督とスタッフの関係は今の時代、かなり特殊な領域に入る。忠誠や義理が「職業選択の自由」に優先されるのだ。親分を見捨ててはいけない。裏切ってはいけない。他の一家の組員を引き抜いてはいけない――。スタッフ入りは一人前になるまでの修行、弟子入りに等しく、独り立ちする際には気を付けないと恨まれる。
カタールW杯で日本と対戦することが決まったスペイン代表では、ワールドカップ予選の間に監督人事をめぐる“騒動”があった。優秀な人材が必要になるがゆえに生じた軋轢の舞台裏に迫る。
『フットボリスタ第89号』より掲載
2019年11月27日、背広姿のルイス・エンリケは緊張した面持ちでこう切り出した。
「ロベルト・モレノがスタッフ入りしなかった唯一の責任者は私だ。最初にはっきりさせておきたい」
スペインサッカー連盟のホールは超満員。待ちに待った記者会見だった。
代表の周辺には不穏な空気が漂っていた。同18日のルーマニア戦に5-0で大勝し、グループ首位でEURO2020本戦出場を決めたばかり。本来なら祝福の空気に包まれているはずだ。だが、その試合の指揮を執ったロベルト・モレノは試合後会見をキャンセルした。「話せる状態ではない」(広報)がその理由。
その頃には、メディアの間ではロベルト・モレノが解任されたという噂がささやかれていた。果たして翌19日、ルビアレス連盟会長はその噂を認め、後任にルイス・エンリケが就任しEUROを指揮すること、そして新監督の希望でモレノがスタッフ入りしないことを発表した。
ロベルト・モレノはルイス・エンリケのテクニカルスタッフだった。
2010年にルイス・エンリケがバルセロナBを率いていた時以来の師弟関係で、2019年3月の娘の死という悲劇により休養に入ったルイス・エンリケの後任にも当然のように内部昇格した。監督休養(のちに辞任)の間、第2監督は8勝2分で見事に本戦出場を勝ち獲る。特に、最後の2試合でのゴールショーは内容的にも素晴らしいものだった。モレノは常に「ルイスが帰って来たらいつでも監督の座を譲りスタッフに戻りたい」と言っていたが、最悪復帰できなくても“このままでもいいのではないか”という空気も周囲には出始めていた。
その矢先のお祭りムードを吹き飛ばす、衝撃の人事。誰もが何が起こったのかを知りたがっていた。
ルイス・エンリケは続けた。
「野心」に対して「解雇」で答える
「モレノと会ったのは9月12日のこと。彼がEUROの指揮を執りたがっていることがはっきり伝わってきた。で、EURO後に私が望むなら第2監督に戻るということだった。残念ながら驚きはなかった。そうくるだろうと予想していた」
「率直に言って、彼のことは理解できる。代表監督になる人生のチャンスに夢を抱いたことはよくわかる。ここまで来るのに努力を重ねたこともわかる。野心家であることもよくわかる。野心を持つことはこの社会では大事だというのもわかる。だが、私にとっては裏切りだ。私なら決してやらない。こういう性格の人間は、私のスタッフにはいらない。そういうシンプルで明確なことだよ。度の過ぎた野心は私にとっては美徳ではなく、大きな欠点だ」
みなさんはどう思うだろうか?……
Profile
木村 浩嗣
編集者を経て94年にスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟の監督ライセンスを取得し少年チームを指導。06年の創刊時から務めた『footballista』編集長を15年7月に辞し、フリーに。17年にユース指導を休止する一方、映画関連の執筆に進出。グアルディオラ、イエロ、リージョ、パコ・へメス、ブトラゲーニョ、メンディリバル、セティエン、アベラルド、マルセリーノ、モンチ、エウセビオら一家言ある人へインタビュー経験多数。