3冠へと導いたモウリーニョ・インテルの真骨頂は「ボールを使わずゲームをコントロール」
戦術ヒストリア:2009-10 インテル×ジョゼ・モウリーニョ
2009年に6 冠を達成し世界に衝撃を与えたペップ・バルサを下し、2009-10に3 冠を手にしたのがモウリーニョ率いるインテルだ。そのスタイルはグアルディオラとは好対照。6人で守り4 人で攻める攻守分業型の堅守速攻をベースとした「ボールを使わないゲームコントロール」でクラブを欧州の頂点へと導いたモウリーニョの流儀をプレイバックする。
※『フットボリスタ第88号』掲載
グアルディオラのバルセロナが6冠というセンセーショナルな記録達成で2009年の幕を閉じ、世界最強、いや史上最強という評価を確立しつつあったその時、一時的にとはいえそこに水を差したのが、ジョゼ・モウリーニョ率いるインテルだった。
インテルを率いて2年目となるこのシーズンを迎えるにあたって、モウリーニョがチーム構築の課題として掲げたのは「ヨーロッパ(CL)で勝てるサッカー」だった。セリエAは当時、2006年に起こった「カルチョポリ」スキャンダルの余波がまだ消えておらず、ユベントスは復活途上の低迷期、ミランもアンチェロッティ体制下の黄金時代が終焉した端境期にあった。カルチョポリを無傷で乗り切った唯一のビッグクラブだったインテルはマンチーニ、そしてモウリーニョの下でセリエAを4連覇中。一方でCLにおいては良くてベスト8止まりという苦戦が続いており、1960年代の「グランデ・インテル」以来40年以上遠ざかっている欧州王者の座奪回は、マッシモ・モラッティ会長を筆頭とするクラブの悲願だった。
「資金」or「時間」。欧州で勝つために選んだのは
モウリーニョは就任1年目の前シーズン、マンチーニから引き継いだ陣容を基に、イブラヒモビッチとバロテッリ(もしくはクルス)の2トップをスタンコビッチがトップ下から支える[4-3-1-2]という、当時イタリアで主流だったシステムにチームの最終形を見出し、余裕でスクデットを勝ち獲っていた。だがCLではGSこそ何とか突破したが、ラウンド16でマンチェスター・ユナイテッドの前に完敗を喫する。
試合後の会見でモウリーニョはこんなことを口にしている。
「CLで勝つためには、もっとプレーのインテンシティを上げることが必要だ。今のそれでもセリエAでは優勝できるが、ヨーロッパの舞台では不十分。イングランド勢にはそれがある。だから4チームがベスト8に勝ち残った。CLを制するには2つのやり方がある。1つはたくさんの金を注ぎ込むこと、もう1つは時間をかけてチームを育てていくことだ。最初の選択肢はもはや現実的ではない。採るべきは後者の道だ」
だが結果的にインテルとモウリーニョが選んだのは、後者ではなく前者の道だった。このシーズンオフ、攻撃の絶対的な中核だったイブラヒモビッチが、CLタイトルへの渇望からグアルディオラの誘いに乗ってバルセロナへの移籍を決める(この移籍がどんな結末で終わったかは周知の通り。イブラは今なおCLタイトルに手が届いていない)。それと引き換えに得た7000万ユーロの移籍金+αで、インテルはエトー、ディエゴ・ミリート、スナイデル、チアゴ・モッタ、ルシオと5人の主力クラスを獲得。レギュラーの半分を入れ替えてチームの再構築を図った。
当初はポゼッションによるゲーム支配を試みるも…
こうしてスタートした2009-10、モウリーニョは戦術的にも、早いタイミングで前線のイブラヒモビッチに当ててセカンドボールからフィニッシュを狙う縦指向の強いダイレクトな攻撃から、ポゼッションによるゲーム支配も意識したより「ヨーロッパ的な」スタイルへと舵を切ろうと試みる。しかし、その狙いは必ずしもうまく行ったわけではない。
CLではなんとバルセロナとGSで同居。しかも開幕戦がサン・シーロでの直接対決だった。試合は一方的にバルセロナがボールを支配するが、インテルはコンパクトなブロックを自陣低めに敷いて2ライン間への侵入を許さず、試合は0-0で終了。忘れられないのは、試合直後の会見で「バルセロナが90分を通して試合をコントロールして、インテルは何もさせてもらえなかった」という記者に対して、モウリーニョが「いや、試合をコントロールしていたのは我われの方だ。彼らは危険な場面をほとんど作れなかったじゃないか。試合のコントロールには、ボールを使うやり方とボールを使わないやり方がある。我われがやったのは後者だ」と胸を張ったことだった。
この時点では、CL制覇の最終形となった[4-2-3-1]は確立されておらず、基本システムは前年と同じ[4-3-1-2]、D.ミリートとエトーの2トップをスナイデルが支える形だった。前線の3人の守備参加に限界があるため、守備は速やかにリトリートしてのブロック守備を基本にせざるを得ず、前に3人が攻め残るため構造的に薄くなる中盤両サイドの守備は大きな弱点だった。エトー、D.ミリート、スナイデルという3人をピッチに送り出した上で、攻守のバランスをいかに確保するか。[4-3-1-2]以外には[4-3-3]という選択肢もあったが、スナイデルの置き場がなくなる。スナイデルは攻撃のすべてが彼を経由する絶対的なキープレーヤーであり、外すことは不可能だ。
最後のピース獲得により確立した[4-2-3-1]
……
TAG
Profile
片野 道郎
1962年仙台市生まれ。95年から北イタリア・アレッサンドリア在住。ジャーナリスト・翻訳家として、ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を広げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。主な著書に『チャンピオンズリーグ・クロニクル』、『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』『モウリーニョの流儀』。共著に『モダンサッカーの教科書』などがある。