戦術ヒストリア:2014 ドイツ代表×ヨアヒム・レーブ
1990年以来6大会ぶり、東西統一後では初となる世界タイトル、そして前例のない欧州勢の南米開催W杯制覇を成し遂げるために何が必要か、新戦術を徹底追求したのが当時のドイツ代表だった。アシスタントを経て2006年から監督を務めるレーブがついに手にした優勝の舞台裏には、数々の試行錯誤と選手に寄り添う決断があった。
※『フットボリスタ第88号』より掲載
タイトルへの執念が、新たな戦術を生み出した。
ペップ・グアルディオラ的なポゼッションに、ドイツ伝統の縦の速さを加えて昇華させた「プログレッション」(Progression)。2014年W杯ブラジル大会において、ヨアヒム・レーブ率いるドイツ代表は、この新スタイルで悲願のタイトルを手にした。
モデルチェンジのきっかけは2012年のEUROだった。レーブはエジルを中心に置いたパスサッカー追求し、なおかつボールを素早く奪い返す「ゲーゲンプレッシング」にも取り組み、スペイン代表とともに優勝候補の筆頭と言われた。その前評判通り、グループステージでポルトガル、オランダ、デンマーク、準々決勝でギリシャに勝利して危なげなく勝ち上がって行く。
だが、準決勝のイタリア戦で限界が暴かれる。自陣深くに引いたイタリアに対して、ドイツはスペースを見つけられずに攻めあぐね、不用意なボールロストを連発。カウンターからバロテッリに2得点を許し、アディショナルタイムにPKで1点を返したものの1-2で敗れてしまった。
レーブはドイツ代表に携わって以来、2006年W杯3位、2008年EURO準優勝、2010年W杯3位と着実にチームを進化させ、満を持して2012年EUROに臨んだはずだった。なのに再び優勝できなかった……。何かが足りないことは明白だった。
ボール保持+縦に速く攻める高速前進ポゼッションサッカー
レーブはドイツ代表のスカウト主任を務めるウルス・ジーゲンタラーと新戦術を探し始める。ジーゲンタラーはレーブがスイスサッカー協会で指導者ライセンスを取得した時の講師だった人物で、いわば師匠だ。
答えは思わぬところで見つかった。2013年、レーブはジーゲンタラーとブラジルで開催されたコンフェデレーションズカップを視察し、次のことに気づいた。
「フォルタレーザ(開催都市の一つ)は冬だというのに、夜になっても30℃を超えていた。ホテルの冷房が壊れ、サウナのようだった。ブラジルW杯では暑さや長距離移動に適応しなければ痛い目に遭う」
ジーゲンタラーは『南ドイツ新聞』のインタビューで、さらに踏み込んで語った。
「ボールを保持し続けるには、絶え間ないアクションが必要だ。しかし、ブラジル北部の暑さの下では、動けば動くほど体力を消耗する。ドイツはポゼッションサッカーによって大きく前進したが、それを見つめ直す必要がある。ブラジルW杯では、自分たちのサッカーを貫くべきではない」
では、ポゼッションをどんな方向に進化させればいいのか? スタッフ間の議論の末に導かれたのが「スピーディーで常にゴールに向かうポゼッション」というサッカーだ。ジーゲンタラーは続ける。
「私たちは『プログレッション』と呼んでいる。単なるポゼッションはブラジルでは正しいレシピにはならない。ボールを失わないようにしながらも、縦に速く攻めることが重要だ」
当然、これは一か八かのパスで裏を狙うカウンターサッカーではない。一言に要約すれば、横パスやバックパスをなるべく減らし、前方へのパスを優先するタイプのポゼッションサッカーである。「高速前進ポゼッションサッカー」と呼んでもいいかもしれない。
DFラインでは横パスで相手を左右に振ることはあるものの、そこから縦パスが入ったら、フリックやワンツーを駆使し、一気にゴール前へ侵入して行く。とにかくゴールへ最短距離で迫る意識が高い。
中央で速く攻め切ることを優先し、ピッチの幅をあまり広く使おうとしない。そのため[4-3-3]の両ウイングには基本的にトップ下タイプが置かれ、彼らは攻撃になるとどんどん内側へ入って行く。例えばグループステージ初戦のポルトガル戦は左ウイングがゲッツェ、右ウイングがエジルという組み合わせで、決勝のアルゼンチン戦は左エジル、右ミュラーだった。彼らがタッチライン側に張りつくことはほぼない。
それゆえにペナルティボックス付近に攻撃者が集中し、CFには狭いエリアでプレーする技術が求められる。そう、「偽9番」タイプの方がいい。レーブは古典的9番のマリオ・ゴメスやキースリングは選考から外し、W杯予選ではミュラーをCFに置いた。メンバーの中で唯一CFが本職のクローゼも、狭いところでフリーになるのがうまく、偽9番的要素を持っている。
“4CB”+MFラームでリトリートを素早く実行
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Profile
木崎 伸也
1975年1月3日、東京都出身。 02年W杯後、オランダ・ドイツで活動し、日本人選手を中心に欧州サッカーを取材した。現在は帰国し、Numberのほか、雑誌・新聞等に数多く寄稿している。