パワハラ問題の解決策は「指導者の進化」。佐伯夕利子・前Jリーグ常勤理事、在勤2年を振り返る(後編)
スペインでヨーロッパ最高位のライセンスであるUEFA PROを取得し、育成の名門で今季のCLでベスト8入りを果たしたビジャレアルなどで指導者として活躍してきた佐伯夕利子が、2年の任期とコロナ禍が重なる困難な中、2年の任期、Jリーグ常勤理事を全うした。彼女がJリーグの役員に任命されたのは、スペインでの知見をJリーグに取り込む意図があったからだ。任期最後となった2カ月間は日本で文字通り常勤をこなし、対面でのインタビューが実現。UEFA PROを取得した当時から取材をしている増島みどりが聞いた。
後編では、大きな話題になったJリーグ公式noteで発表した「スポーツ現場におけるハラスメントとの決別宣言」の真意、そして担当理事でもあったJリーグ社会連携活動「シャレン!」の可能性ついて。
(取材日:2022年3月8日、取材・文:増島みどり、敬称略)
4日をかけて書き上げた、最後の“置き手紙”
佐伯夕利子は、その原稿を「4日をかけ、何度も見直し、書き続けたんです。文章はプロではないんで許していただくとして……とにかく書き続けました」と振り返る。熱量を表すように、文章の端々から思いがあふれ、まるで文字が飛び出して来るような勢いだ。
2021年12月30日、Jリーグが重い報告書を公開した。J1「サガン鳥栖」の、金明輝・前監督のパワーハラスメント行為に関する報告書は、のべ100人もの聞き取りを行った結果、パワハラが認定されたショッキングなものだった。トップチームのみならず、U-18の若い選手たちに対してまで、暴力、暴言が「常態化」していた事実も明らかにされた。
コロナ禍の困難を乗り切ろうと、サッカー界が英知を結集させたはずの昨年、こうしたベクトルとは反対に、トップチームの監督が引き起こしたパワハラは、「東京ヴェルディ」の永井秀樹・前監督、鳥栖の金・前監督と2件に及んだ。Jリーグがパワハラを認定した19年の「湘南ベルマーレ」曺貴裁・前監督(現京都監督)からわずか2年で、最上位の指導ラインセンス、通称「S級」を持つプロ指導者3人がパワハラを認定される事態は、常勤理事として、認定や処分に真摯に対応すれば済むという話ではなかったのだろう。「Jリーグ公式note」に約9000字、400字詰めの原稿用紙で22枚にもなる「スポーツ現場におけるハラスメントとの決別宣言」と題した寄稿文を4日かけて書き上げ、発表した。
「Jリーグの現場において、今もなお、こうした恥ずべき事態が起こり続けていることに対し真摯に向き合い、暴言・暴力をはじめとするあらゆるハラスメントとの決別を私は改めてここに誓いたい。(中略)『人権侵害』『被害者』『加害者』『暴言』『暴力』・・・、これらの言葉が並ぶ報告書は、スポーツのあるべき姿からあまりにもかけ離れていて、違和感すら覚える」(一部抜粋)
4日書き続けた文面には、決して感情的にならないように筆を抑えながらも、しかし怒りがにじんでいる。
インタビューで、常勤理事としてスペインから加わり、貫いた信念について「違和感を決してスルーしない」と言った。noteに記した、パワハラに及んだリーグトップチームの指導者たちに抱く違和感にも、9000文字の長文で正面から向き合った。
noteで特に印象的なのは、「ハラスメント行為は人権侵害である」と断じた箇所だ。「ハラスメントをいかになくすか」といった仕組みや表面的な改善策とは違い、スポーツにおけるハラスメントが、人間の自由な権利を奪う違法行為と同じ、と位置づけるからだ。
常勤理事としての充実した2年が終わり、彼女が「これからも闘っていきたい」と願う欧州サッカー、スペインへと戻る。
「もし何かやり残したこと、あと少し続けても取り組みたかった仕事はあるか」と聞くと、「選手の人権をどう確立していくか、その施策にもう少し時間があれば、とは思います」とすぐに答えた。
9000文字の「ハラスメント決別宣言」は、ビジャレアルに戻る佐伯が、同じ指導者に、Jリーグに、残した“置き手紙”である。
選手の人権を侵害する、ハラスメントの真の原因とは
――noteの大作を読みながら、行間には怒りにも似た感情があふれていると思いました。
「12月30日にJリーグが調査結果と処分を発表した後、4日もかかってあの文章を書き上げました。その時、私はきっと、この文章を書くために、こうした考えを伝えるために、Jリーグに呼ばれたのではないか、と、考えました。スポーツに限らない話ですが、指導者の立ち位置がどこで、なぜ、どのように、その場所に立っているのか。こうした広い視野が、Jリーグが公表したパワハラ案件には、欠けていたのではないでしょうか。
選手を、ただ目の前にいるプレーヤー、としてしか見ていない。自分と彼らの立ち位置を明確に理解していないから、ただ、上下の関係に無理やり押し込んでいる。選手は、誰かに属するわけではなく、1人の人間として自由に考え、自分で行動し、判断できる基本的な人権を持っています。それを、指導者というだけで侵害していていいはずがありません」
――鳥栖の報告書に、ユースの頃からずっと暴言や暴行があったため、「たまに殴られたりしても、当たり前のことだと思っていた」と、選手のショッキングな声がありました。佐伯さんが指摘するのは、上から見下ろすだけの視野はとても狭く、すでにその立ち位置が、暴言や暴行がなかろうが人権を侵害する要因なのでは?との考え方ですね。
「サッカー選手たちは、ヨーロッパを中心に積極的に世界へと飛び出し、日々、サッカーだけではなく、欧州の考え方も学び、進化しています。では指導者はどうでしょう? 選手や、世界のサッカーがすさまじいスピードで進化している今、指導者こそ学びを止めないように、広い、世界という名の土俵に上がらなくては。欧州にいても、私はいつも危機感を覚えるんです。自分が学んだものはすぐに古くなってしまう。例えばEUの“エラスムス計画”は、EU生涯学習計画の主要事業として、人材の育成や人的交流を活発にするもので、サッカーでも優秀で新しい指導哲学を持った、言ってみれば、“まだ名もなき指導者”を国境関係なくどんどん生み出し、行き来させる。日本に優秀な指導者がとても多いのはもちろんですが、日本でも名もなき指導者を多く育て、新陳代謝を活発にするべきです」
――指導者の新陳代謝ですか。……
Profile
増島 みどり
1961年生まれ、学習院大からスポーツ紙記者を経て97年独立しスポーツライターに。98年フランスW杯日本代表39人のインタビューをまとめた「6月の軌跡」(文芸春秋)でミズノスポーツライター賞受賞。「GK論」(講談社)、「中田英寿 IN HIS TIME」(光文社)、「名波浩 夢の中まで左足」(ベースボールマガジン社)等著作多数。フランス大会から20年の18年、「6月の軌跡」の39人へのインタビューを再度行い「日本代表を生きる」(文芸春秋)を書いた。1988年ソウル大会から夏冬の五輪、W杯など数十カ国で取材を経験する。法政大スポーツ健康学部客員講師、スポーツコンプライアンス教育振興機構副代表も務める。Jリーグ30年の2023年6月、「キャプテン」を出版した。