【対談前編】井筒陸也×河内一馬。「変化するJリーガーの実態」と「思考する力」
キャプテンとしてクリアソン新宿のJFL昇格に尽力後、クラブのブランド戦略に携わりながらJリーガーのコミュニティ『ZISO』などで活動を続ける井筒陸也氏による『敗北のスポーツ学』。鎌倉インターナショナルFCの監督兼CBO(ブランディング責任者)を務める河内一馬氏の『競争闘争理論』。今回は、この2冊の書籍の同時発売を記念して以前より親交のある著者2人に、お互いの書籍の感想や製作秘話について対談してもらった。
前編では、『敗北のスポーツ学』を肴に「変化するJリーガーの実態」とサッカーという競技で求められる「思考する力」について、選手視点と監督視点から掘り下げていく。
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「サッカーのある人生」を歩む中での葛藤
――まずお互いの印象を含めて、それぞれの書籍の感想をお聞きできればと思います。
河内「『敗北のスポーツ学』、すごく楽しく読ませていただきました。なんか本当に陸(井筒氏)っぽいな、言いたいことを全部言ってくれたな、というのが読んだ第一印象です。そもそも彼と僕がすぐ仲良くなったのも、人生の価値観やサッカーに対する見方などで近しいところがあったのが要因の1つなのかなと。だから、彼の文章を読んでいても、自分も思っていたようなことを言語化してくれた感覚です。あとは、参考にした文献も似たようなものがあったり、テーマも一部かぶっているところがありましたね。もちろん、お互い書いている最中に内容について話し合ったわけじゃないので、こういう共通点は面白いなと感じました。サッカー関係で悩んでいる人、プロサッカー選手や社会人サッカーの選手など、もがきながら苦しんでいる人たちに、ぜひ読んでほしい本だと感じました」
井筒「まず一馬君(河内氏)は、本を書くのがすごく上手だと思いました(笑)。僕の方は結構話が散っているというか、どこに着地させるかよりも書きたいことを書いているエッセイ集みたいな感じですが、『競争闘争理論』の章の段取りとかを見ても一馬君は言いたいことがまとまっているからこういう出力になるんだろうな、流石だなと感じました。内容や言いたいことは僕とそんなに遠くないのかなと思いつつ、それがちゃんとサッカーというフィールドで体系化・理論化されている印象を受けました。僕はあまり自分で言葉を作るとかはせず、どちらかというと抽象的な方向で話を展開しましたが、一馬君の場合は内容が理論化されている点がすごく面白い。あと、7章以降は本編の内容に紐づけるというより、自分の書きたいことを書いたんだろうなと」
河内「あとで言いますが、7章はちょっと特殊な立ち位置なんです(笑)」
井筒「僕がいつも一馬君と話をしていたことがちゃんとテキストに落とし込まれていて、『ああ、この話出てきたな』と思いながらすごく楽しく読ませていただきました。まあ、ちょっと難しい言葉を使い過ぎじゃないかと思うところもありましたけど(笑)、全サッカー選手が読むべき内容の本だと思いますよ、お世辞抜きで」
――お二人の話に共通で出てきた「考えが近い」ということについて、具体的にどういうところにそれを感じるのでしょうか?
井筒「本の内容はもちろん、引用の書籍を見ても感じましたね。デヴィッド・グレーバーが出てくるとか。まあ東洋と西洋の話もそうですが、僕が一馬君に影響を受けている部分も多分にありますけれども」
――ルーツになっている本や考え方に共通の部分が感じられるということですね。実は最初の井筒さんのコメントに補足すると、河内さんの書籍はほぼ当初の構想通りだったんですが、井筒さんの書籍に関しては製作期間が2年以上かかっており、その間に結構全体の構成が何回か変わるということもありましたよね。
井筒「そうですね。苦難の末に生まれた書籍でしたし、本当にたくさんの方にご迷惑をおかけしましたね。執筆期間中は、もう400回ぐらい浅野さんに悩んでいるんですという相談をした気がします(笑)。あと、僕は理論みたいなものを持ち合わせていないんですが、しかし自伝みたいな感じの本にもしたくないなと思っていました。なので、僕がどうこうという話よりも、いかに一般化して話せるかという方向で書こうと考えて執筆をしましたが、そこが非常に難しかったですね。一馬君の場合、サッカーの戦術とかチームみたいなところに落とし込むことを職業とされているわけです。対して僕はもうサッカー選手ではないですし、そうやってピッチ上で何かをやろうとしているタイプの人間ではないことを、書きながら本当に感じました。じゃあ僕はというと、興味があるものを掘り下げてブログにするのが好きなタイプの人間だったんだなと気づきましたね。一馬君と比べると、長年追っているテーマがあるわけでもないですし、自分の考えを1冊の本にまとめるのが難しく、とても大変な道のりでした」
河内「僕の場合は、以前からずっと自分の中で体系化して完成していたものを、本を書く中でアップデートしていったという感じだったので、書き悩むみたいなことは正直なかったです。どうやって執筆の時間を確保するかとか、この部分はもうちょっと掘り下げた方がいいんじゃないかみたいな悩みはあったんですけど。僕の場合、構成に関しては最初の段階からこういう風に入って、こういう風に着地するみたいなことは考えていたので、比較的スムーズにいったのかなという感じですね」
――井筒さんが『敗北のスポーツ学』に対して掲げたテーマや、どういう問題意識があって執筆されたのかというところを、書き終わった今だからこそ思うことも含めて教えてください。
井筒「書籍の序章や終章にも書きましたけども、僕はそんなにサッカーをやりたい・続けたいという強い意志を持って、サッカーをプレーしてきたわけではありませんでした。いろいろな成り行きでサッカー選手になったり、今もサッカーに関わっていたりします。そういう自分のこれまでの人生を肯定したりとか、自分がやってきたことがちょっとでも他の領域で生かせたりとか、そういうことを思いながら悩みに悩んでここまで来ました。自分のためという意味でも、何か同じような悩みを抱えている人のヒントになるようなものが書ければいいなという思いがありました。実は自分の過去を結構後悔しているというか、サッカーをやっていなかったらこういうスキルを持てたんじゃないか、こういう経験ができたんじゃないか、と思うことがたくさんあるんです。でも、そういうことを後悔しても仕方がないので、それを自分なりに解釈して言葉にして、自分や他の誰かがそれを利用可能な状態にして何かの役に立てればいいなと考えました。それがこの書籍を書くことで少しは達成できたのかなと思います」
河内「前提として、僕は陸と普段から喋っているので、もしかしたら他の方と受け取り方が多少変わるのかもしれません。ただ、それこそプロサッカー選手にまでたどり着いた人間がこういう葛藤を抱えていたというのをしっかりと言葉にして、かついろんな知見を織り交ぜながら1つの本にした、というのはすごく大きなことだと思っています。僕自身もそうですけど、やっぱりサッカーに関わる活動をしていると、サッカーが単純に好きだからとか、サッカーを選んで夢を追いかけている、みたいな見られ方をされがちです。でも、僕は全然そんなことはなくて、サッカーを選ぶ環境にたまたま生まれただけで、後になってからサッカーを仕事にして生きていく覚悟を決めた、という順番なんです。僕も陸と同じで、サッカーをしていなかったらもっと他のことをして、違う人生を歩んでいたんじゃないかと思うことはたくさんありました。ただ僕はそれをうまく言葉にできず、自分はなんでサッカーをあまり好きじゃないのかとか、自分の意思で選んだつもりはないのになぜこんな辛いことをやっているんだろうと悩んで、18歳で燃え尽きてサッカーを一度やめたんです。……
Profile
浅野 賀一
1980年、北海道釧路市生まれ。3年半のサラリーマン生活を経て、2005年からフリーランス活動を開始。2006年10月から海外サッカー専門誌『footballista』の創刊メンバーとして加わり、2015年8月から編集長を務める。西部謙司氏との共著に『戦術に関してはこの本が最高峰』(東邦出版)がある。