英国時間の3月2日午後6時14分、プレミアリーグで一時代の終わりが告げられた。オーナーがクラブ売却の意思を示す声明を発表した、チェルシーのロマン・アブラモビッチ時代だ。2003年7月1日午後8時10分に所有者となったロシア人富豪の下、21世紀を迎えた時点では「華」はあっても「骨」のなかった西ロンドンの「非強豪」は、紛れもないイングランド強豪の一角へと変化を遂げた。
声明が出される2週間半ほど前、決勝が行われたアブダビのピッチでオーナー自身もトロフィーを掲げたクラブW杯優勝は、アブラモビッチ政権下での19年間で21度目のタイトル獲得となった。第1弾は、2004-05シーズンのリーグカップ優勝。同シーズン、半世紀ぶりのリーグ優勝と合わせた2冠で黄金期到来を告げたジョゼ・モウリーニョの監督招へいも、金に糸目をつけずにチーム作りを支援するオーナーなくしてはあり得なかった。近年のクラブ史では最大のスターだったエデン・アザール(現レアル・マドリー)を、マンチェスター・ユナイテッドが獲得に動いていながら呼び寄せることができた2012年の補強にも同じことが言える。
最新例の1人であるロメル・ルカク獲得に要した9800万ポンド(約147億円)を含め、移籍市場に投じられた資金は合計20億ポンド(約3000億円)を超える。買収時にチェルシーが抱えていた8000万ポンド(約120億円)近い負債の返済を肩代わりし、買収後には15億ポンド(約2250億円)に上る額を無利子で長期融資してもいるアブラモビッチは、今や外国人オーナーが当たり前のプレミアリーグでも最強レベルの後ろ盾であり続けた。
サッカーの母国と“チェルスキ”の成功
冒頭で触れた経営権掌握の日時は、前オーナーのケン・ベイツが、2003-04シーズン第2節の観戦プログラム上で、当時の会長として寄せたコラムで明かしていたものだ。新政権下で初のホームゲームとなったレスター戦のプログラムは、1ページ目にアブラモビッチ初の声明文が載っていた。イングランド庶民にとってはまったく無名の存在だったロシア人オリガルヒ(新興財閥)の一員は、「親愛なるサポーター諸君」と始まった計237ワードの中で述べた「チェルシーをより高い次元へと導きたい」、「実り多いパートナーシップとなることを願っている」といった言葉を、実行に移してみせた。
ただし、その前週にリバプールに乗り込んだ開幕戦では「線審まで買った」というジョークが巷で囁かれたように、得体の知れない外国人オーナーの登場は、国内全体としては歓迎されなかった。偶然にもアシスタントレフェリーの1人がバブスキーという苗字で、実際にはマイケル・オーウェンが外したPKの蹴り直しなどアウェイチームに不利な旗を上げる場面が多かったのだが、ロシア語風に“チェルスキ”と呼ばれるようになったチェルシーは、金で成功を買おうとして魂を売ったとみなされた。
ここサッカーの母国では、地元の人々が親の代から愛情を注ぐ対象としてクラブが存在する。地元クラブのオーナーは、サポーターとして育った英国人富豪にとっての夢だった。プレミアには、新オーナーの資金力でリーグ王者に成り上がったブラックバーン(現2部)という前例があったが、私財を投じたジャック・ウォーカーは地元出身の英国人ビジネスマン。その点、チェルシーのロシア人オーナーは、当時の英国メディアで目についた表現を用いれば、桁違いの資金力を「強盗」紛いの手段で獲得し、単なるオイルマネーではない、汚れた“ダーティーマネー”をイングランドのサッカー界に持ち込んだと一般的に理解されていた。
フットボールクラブを「マネーロンダリング」に利用しているとする非難の声は、チェルシーが国内外で手にするトロフィーの数が増えるにつれて静まっていった。私腹を肥やすためにクラブを利用する外国人投資家オーナーが増え始めると、金銭面の見返りを求めないチェルシーオーナーの姿勢が見直されるようにもなった。だが、それは平和な世の中におけるサッカー界での話。去る2月24日にロシアによるウクライナ侵攻が始まると、英国でクラブを所有するアブラモビッチの存在が再び問題視されるようになった。国会で最大野党である労働党の党首が「いったいなぜ、いまだに制裁の対象とされていないのか?」と強く訴えたように、国内ではロシア政府との結び付きが指摘され続けるオーナーの資産凍結を妥当とする見方が強い。……
Profile
山中 忍
1966年生まれ。青山学院大学卒。90年代からの西ロンドンが人生で最も長い定住の地。地元クラブのチェルシーをはじめ、イングランドのサッカー界を舞台に執筆・翻訳・通訳に勤しむ。著書に『勝ち続ける男 モウリーニョ』、訳書に『夢と失望のスリー・ライオンズ』『ペップ・シティ』『バルサ・コンプレックス』など。英国「スポーツ記者協会」及び「フットボールライター協会」会員。