ミヒャエル・スキッベ新監督が指揮を執るサンフレッチェ広島のサッカーは、どう変わるのか――? コロナ禍でドイツ人指揮官はいまだ来日できていないが、アグレッシブにボールを奪いに行く「ストーミング」は確実にチームに浸透してきている。密着取材を続ける中野和也氏に現状をレポートしてもらおう。
広島のサッカーは大きく変わっていく。もはや、そう言い切っていいと思う。
プレシーズンから続けているのは、ハイプレス。前からの守備は以前も取り組んでいたが、その守備は「パスコースを限定する」というレベル。だが、今季の広島がやろうとしていることは、ボールを奪いきることが目的だ。前に行く迫力は段違いで、ポジションを崩してでも圧力をかけにいく。確かに強烈なのだがその分、スペースを与えてカウンターも食らいやすい。今までの広島では考えられないスリリングな守備だ。実際、熊本とのトレーニングマッチ(1月28日)では、5-4(45分×3本)とこれまでの広島らしくない試合を演じている。
「大転換」の証明は金沢とのトレーニングマッチ
これでシーズンに入るのだろうか。いや、どこかでバランスを考えたやり方にチェンジするのではないか。
だが、開幕まで10日に迫った金沢とのトレーニングマッチ(2月9日)での衝撃的な光景を目にした時、広島はリスクを承知の上で「ボールに向かって守備をする」というコンセプトを貫くんだなと確信した。
「衝撃的」とは、トレーニングマッチでの明白なコントラストだ。35本×3本という形だったが、新しいフォーメーションを試したこともあり1本目のチームはまったく機能していなかった。具体的な形や選手の組み合わせは仔細には書かないが、慣れ親しんだ[3-4-2-1]からの突然の変更は、選手たちに混乱を与えた。トレーニングから意欲的にプレッシングに挑んでいたジュニオール・サントスはほとんど守備に貢献できなくなり、多くの選手たちがピッチの上で何を為すべきか迷いが生じていた。
相手を見て対応するブロックをつくる守備は「リアクション」だが、プレッシングは「アクション」である。まず自分自身で決断して動き出さねばならない。選手たちはよく「スイッチ」と表現するが、そのスイッチを誰が入れるのかが明確ではなかった。前線の迷いは後ろの迷いとなり、ブロックをつくっているはずなのに、縦パスをどんどん通させた。35分で1失点を喫してしまった直接の原因はスローインの対応ミス。ただ、試合の内容から考えれば失点は必然。逆によく1失点で終えられたというのが実感だ。
サッカーの場合、少なくともオンプレー中の時には、ベンチからのサインで選手は動けない。動くか動かないか、動きの強度もすべて含めて自分で判断しないといけないスポーツだ。その判断のところで迷いが生じてしまっていては、動きたくとも動けない。サッカーは1秒後には局面がガラリと変わってしまうからだ。
広島スポーツ界の偉大な先人に広島東洋カープの故・津田恒実投手がいる。彼の座右の銘は「弱気は最大の敵」。これは野球だけでなく、サッカーにも当てはまる名言である。弱気になれば動きが遅れる。その遅れが、すべてを後手に回らせ、苦しい状況に陥らせる。その悪循環から抜け出すのは、なかなか難しい。
「今年の広島のサッカーをやり抜くためには、やはり強気でいかないといけない。怖がらずに、アグレッシブに。気持ちをもって前に行く。攻守にわたって強気にいくメンタリティーは必要です」
足立修強化部長の言葉である。まさにその通りで、強気でなければアクションは起こせない。そして、強気を保つためにも、「やるべきこと」を自分たちの皮膚や血管の中に染み込ませるくらいの覚悟が必要だ。
確かに、練習もしていない新しいフォーメーションを突然与えられ、選手たちは戸惑ったかもしれない。しかし、試合の中でいろいろなアクシデントがあったり、相手の状況や試合を見ながら形を変えることは、普通に起きうること。なのに、形が変わったからといって、やるべきことを見失っては長いシーズンを戦うことはできない。
ただ、この「不出来」は、今季のチームが求めているサッカーにおける「概念の徹底」がいかに重要かを示した好例だ。次の2本目から広島が示した素晴らしいパフォーマンスとのコントラストが明確となったことで、1本目に足りなかったことは何か、チームとしてやるべきことの本質が浮き彫りになったのだ。
若手主体のチームにガラリと変わった広島に対し、金沢は1本目で相手を翻弄してボールを握り続けたチームがほぼそのまま、ピッチに立った。だが、様相は完全に一変する。……
Profile
中野 和也
1962年生まれ。長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルート・株式会社中四国リクルート企画で各種情報誌の制作・編集に関わる。1994年よりフリー、1995年からサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するレポート・コラムなどを執筆した。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。以来10余年にわたって同誌の編集長を務め続けている。著書に『サンフレッチェ情熱史』、『戦う、勝つ、生きる』(小社刊)。