40歳になった今なお、彼は母国で、「厳しい競争の世界」に身を置き、戦い続けている。パラグアイの強豪オリンピアから18歳でバイエルンに渡り(99-07)、その後ブラックバーン(07-09)、マンチェスター・シティ(09-11)、ベティス(11-12)、マラガ(12-16)、メキシコのクルス・アスル(15)でプレー、パラグアイ代表(99-16)でも出場112試合で歴代最多32得点と活躍したロケ・サンタ・クルスだ。2016年には17年ぶりに古巣オリンピアへと帰還。以降パラグアイ1部リーグで19年に34試合26得点(リーグ得点王)、20年に27試合17得点を記録するなど、まだまだ現役バリバリのストライカーは、迎えた2022年、新天地リベルタで新たな挑戦をスタートした。
“禁断の移籍”も迷いなし
「私のチームには君が必要なんだ。選手としての君が、ね」
ダニエル・ガルネーロ監督直々の誘いに、40歳のロケ・サンタ・クルスは迷わなかった。パラグアイが世界に誇る偉大なストライカーは、15歳でプロデビューを果たした最愛の古巣オリンピアを離れ、今年からガルネーロ監督率いるリベルタでプレーすることになった。
クラブ出身のスターが国内の他のチーム、しかも同じチームカラーのライバルであるリベルタに移籍したことに、オリンピアのサポーターは悲しみ、傷ついた。ネット上ではサンタ・クルスの決断を嘆く声があふれ、中には怒り、中傷する者もいた。
だが、本人の意志は固く、逡巡(しゅんじゅん)はまったくない。
「みなが賛同してくれる選択をしたわけではないことは十分わかっている。自分の決意を万人に理解してもらうことは難しい。でも自分にはまだ、厳しい競争の世界で緊張しながらプレーしたい気持ちがある」
出場機会に恵まれなかった昨シーズン、「このままキャリアを終えたくない」との思いを募らせた。ただクラブのシンボルとして崇められるだけではなく、コンペティティブな環境の中でプレーし続けたいという願望があった。
そして昨年12月1日、オリンピアの一員として国内カップ戦、コパ・パラグアイ2021を制覇した際、チームメイトたちがタイトル獲得を祝う中、サンタ・クルスは「まだプレーは続けるつもりだが、オリンピアでの試合は今日が最後だ」と宣言した。彼の頭の中ではすでに、2018年と2019年にオリンピアで一緒に4冠を勝ち取ったガルネーロ監督の下で今一度「選手として」必要とされる自身の姿が描かれていたのだ。37歳でトップスコアラーに輝き、リーグ優勝の立役者となったあの時の自分を――。
15歳の頃とまったく変わらない感触
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Profile
Chizuru de Garcia
1989年からブエノスアイレスに在住。1968年10月31日生まれ。清泉女子大学英語短期課程卒。幼少期から洋画・洋楽を愛し、78年ワールドカップでサッカーに目覚める。大学在学中から南米サッカー関連の情報を寄稿し始めて現在に至る。家族はウルグアイ人の夫と2人の娘。