「恐るべき子」グバルディオルに夢見る人続出! クロアチアの未来を牽引する新DFリーダー
育成年代で彼に関わってきた指導者、クロアチア代表監督やOB、そしてRBライプツィヒの監督まで、誰もが規格外の20歳に夢を見てしまっている。ヨシュコ・グバルディオル、ポジションはCBと左SB、チームメイトからつけられたあだ名は「ペップ」(グアルディオラからの連想)。今や8000万ユーロの市場価値と言われるクロアチア代表DFの正体に迫る。
「パワーとスピード、冷静さとテクニック。陽気で楽観的な性格。まさに天からの贈り物だ。あえて私から言わせてもらう。バトレニ(クロアチア代表の愛称)の歴史上、最高のCBを手に入れた。1年後にはファン・ダイクと肩を並べるだろう。しかも左利き。ヨシュコと一緒ならばクロアチアは世界王者になれるかもしれない」
90年代のクロアチア代表を支えたCBで、のちに代表監督も務めたイゴール・シュティマッツ(現インド代表監督)は忖度抜きの辛口な批評をする人物だが、ヨシュコ・グバルディオルには称賛の言葉を惜しまない。現在のクロアチア代表ではCB陣の筆頭に挙げられ、今季加入のRBライプツィヒではチーム内3番目となる公式戦27試合に出場。貫禄のあるプレーと顎ヒゲをたくわえた風貌はまるでオーバー30のベテランのよう。それなのに誰もが「恐るべき子」と口をそろえるのは、ついこの間まで10代だったからだ。いざピッチを離れると、人懐っこい性格で周囲の大人や先輩を虜にしてしまう。そして「きっと親の育て方が良かったんだろう」と新たな称賛が続く。
ヨシュコの父親ティホミールは、首都ザグレブの「市民の胃袋」と呼ばれるドーラッツ中央市場の一角で魚屋を営んでいる。2人の姉に次ぐ長男坊として生まれたヨシュコは、「サッカー選手にならなければ魚屋を継いでいただろう」と自身を振り返る。アマチュアサッカーの元選手だった父親の影響で7歳から近隣のサッカースクールに通い始めると、翌年には若手育成で名高いディナモ・ザグレブの門を叩いた。
親の車で送迎を受けるチームメイトが多い中、両親が共働きで忙しいヨシュコはもっぱらトラム(市電)でディナモの練習場に通った。時間に余裕があれば、市場まで足を伸ばして父親の手伝いをしていたそうだ。ディナモユースでは指導者によってウイング、FW、ボランチ、左SBとポジションを転々としていた彼を、数回のトレーニングを見ただけでCBに転向させたコーチが、15歳のチームを受け持ったダリボール・ポルドルガチュ。このコンバートを機に才能は爆発し、国内外にその名を轟かせる存在になった。ポルドルガチュは今から2年前、グバルディオルの将来性をこう評している。
「もし彼が20歳までに彼がクロアチアA代表のレギュラーにならなかったら、その原因を作った人物は刑務所に行くべきだろう」
まるで大谷翔平?自分の課題に真摯な「練習の虫」
大谷翔平が高校時代に「マンダラチャート」を部屋に貼っていたように、当時のグバルディオルも「マインドマップ」たる目標達成シートを自分の部屋に貼っていた。中央に「USPJEH」(成功)と大きく書き、その周囲には「24時間の規律」「目標」「プロセス」「集中」「やる気」「忍耐力」「一貫性」「家族や友人」「SNSは最大20分間」といった文句を散りばめた。そして左上隅には「プランBはない」、右下隅には「トップクラブ」と一言。しかし、インテルやミランから高額オファーが届いても当時の彼は「15歳で国外に出ることに意味はない」と一蹴し、両親も息子の決断に干渉しなかったという。ザグレブの高校生といえば夜遊びを好む世代のはずが、「仲間とふざけ合うことは好きだけど、夜遊びにはまったく興味がない。僕は次のトレーニングがいつあるかをチェックするだけ。トレーニングがなくては孤独に感じてしまう」と語るほどの練習の虫だ。
ディナモと最初のプロ契約を結んだのが2019年4月25日。その半年後には17歳9カ月でトップデビューを飾る。2試合目のインテル・ザプレシッチ戦では初先発で初ゴールを決め、それがディナモの決勝点となった。先輩たちから手荒い祝福を受けたのち、試合後にトラムで帰宅する写真が公開されたことで「なんて謙虚な子なの?」とファンを喜ばせ、テレビ局や新聞社の取材が舞い込んだ。ジョセップ・グアルディオラと名前が似通っていることで、チームメイトから「ペップ」と呼ばれていたというエピソードが明かされたのもこの時だ。
ビエルサのリーズか?RBライプツィヒの育成プランか?
CBの一角として19-20シーズン後半に出場を重ねたグバルディオルは、20年6月25日に新たな5年契約にサイン。囲い込みをしたつもりのディナモに対し、具体的な条件で攻勢をかけたのが2つのクラブだ。リーズ・ユナイテッドは2200万ユーロ(+転売時の移籍金20%)を提示し、ディナモ側も売却にゴーサインを出した。同じ18歳のマテオ・コバチッチをインテルに売却して得た移籍金の倍額だ。リーズ加入後の構想を監督のマルセロ・ビエルサ本人から聞かされたことにグバルディオルは感激したそうだ。
一方、RBライプツィヒの提示は1600万ユーロ(+転売時の移籍金20%)と金銭面で劣っていた。それでも決定打になったのが、グバルディオルの成長に合わせたフレキシブルな育成プランだった。ダヨチャンクレ・ウパメカノの後釜に位置づけられたことから、実際のクラブ間移籍はウパメカノが売却される半年後か1年後。それまではディナモにローンという形で留め置かれ、出場数に合わせたボーナスがディナモに支払われる仕組みだ(45分以上出場した国内リーグの試合ごとに7万ユーロ、ELの試合ごとに10万ユーロ)。グバルディオルはプレミアリーグでプレーすることが夢だったが、自身の成長を最優先に考慮してRBライプツィヒを選択。ディナモも彼の意思を尊重した。9月28日、グバルディオルはザグレブからライプツィヒへと飛び、5年契約にサインした。
現地でグバルディオルを快く出迎えたのが、ディナモOBのスペイン代表MFダニ・オルモ。どちらのオファーを選ぶか悩んでいた後輩に対し、RBライプツィヒを積極的に勧めたのが彼だった。休日返上でクラブハウスを案内し、チームメイトにも紹介。ザグレブに戻った後もオルモはグバルディオルと連絡を取り合い、クラブ情報を共有していた。グバルディオルも地道にドイツ語を勉強しながら、RBライプツィヒの選手だけがアクセス可能なアプリケーションを導入してプレーモデルを映像で学習。同時に「僕を育ててくれたディナモに恩返しをしたい。なぜRBライプツィヒが獲得してくれたかを証明するため、最高のプレーをディナモでやり遂げるんだ」と躍起になったという。
飛躍のEUROでの「+」と「-」の貴重な経験
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Profile
長束 恭行
1973年生まれ。1997年、現地観戦したディナモ・ザグレブの試合に感銘を受けて銀行を退職。2001年からは10年間のザグレブ生活を通して旧ユーゴ諸国のサッカーを追った。2011年から4年間はリトアニアを拠点に東欧諸国を取材。取材レポートを一冊にまとめた『東欧サッカークロニクル』(カンゼン)では2018年度ミズノスポーツライター優秀賞を受賞した。近著に『もえるバトレニ モドリッチと仲間たちの夢のカタール大冒険譚』(小社刊)。