ソニーが“仮想空間”のエティハド・スタジアムで実現したいこと――マンチェスター・シティとパートナーシップ契約を締結した理由
2021年11月30日、ソニーグループ株式会社(以下、ソニー)はマンチェスター・シティ・フットボール・クラブ(以下、マンチェスター・シティ)と「オフィシャル・バーチャル・ファンエンゲージメント・パートナーシップ契約 」を締結したことを発表した。本契約に関するプレスリリース内には、“メタバース”の名称で注目されている仮想空間上のサービスをはじめ、高い技術力を持つソニーだからこそ実現できる、スポーツエンタテインメント分野での取り組み予定が記載されている。
ソニーはこの契約で何を実現しようとしているのか。そして、パートナーシップの相手がマンチェスター・シティである理由は何なのか。話は約1年前、同社が2020年10月14日にJリーグ・横浜F・マリノス(以下、F・マリノス)と締結した「テクノロジー&エンタテインメント分野でパートナーシップに向けた意向確認書 」までさかのぼる。
ソニーとサッカー界を繋ぐ2つのパートナーシップ。両契約を主幹するソニーの山口周吾氏と小松正茂氏に話を聞いた。
ホークアイで計測できる“骨格データ”とは
――2020年10月14日、ソニーとF・マリノスは「テクノロジー&エンタテインメント分野でパートナーシップに向けた意向確認書」を締結しています。今回のマンチェスター・シティとのパートナーシップ契約と内容的に近しいものですが、まずはこの経緯から教えてもらえますか?
小松「ソニーとしてスポーツの分野で既に事業を行っていますが、さらにそれをエンタテインメントの領域まで展開したい意向がありました。いろんな方に意見を伺う中でF・マリノスで普及育成事業を担っている宮本(功)さんをご紹介いただきました。F・マリノスさんがCFG(シティ・フットボール・グループ)と提携している影響もあると思うのですが、宮本さんは『マリノスを世界に通用するクラブにしたい』という想いをお持ちで、我われの『スポーツ分野において新たなエンタテインメントをグローバルで展開したい』という考えと合致したので(パートナーシップ契約に関する)話し合いを始めたのが最初ですね」
――この意向確認書の締結後、具体的なアクションの1つとしてVAR(Video Assistant Referee)等で知られる、ソニーのグループ会社・ホークアイ社のトラッキングシステムがF・マリノスに導入されたと、宮本さんからお聞きしました。
小松「(ホークアイのトラッキングシステムを活用する形で)ユースチームの練習風景を撮影しています。このシステムは走行距離や速度といったデータはもちろん、タグ付けを行うことで特定の選手のシュートシーン、パスシーンなどもデータ化できます。取得できるデータは多いのでFootball LABさんや、F・マリノスさんの知恵を拝借しながら、どのように活用すべきかを検討しているという状況です」
山口「ソニーはいろんなことをセンシング(計測・数値化)できる会社ですが、そのデータの活用法は各業界や市場のプロに相談するようにしています。これまでに医療業界でエムスリーさん、ロボット業界で川崎重工業さんと組んでいます。そうしたパートナーシップで知見を高めて、技術面の向上に繋げてきました」
――取得できるデータが多いとのことですが、特徴的なものがあれば教えてください。
山口「我われがF・マリノスさんに提供しているホークアイのシステムは、VARなどで活用されている映像を様々な角度からリプレイできる機能に加えて、“骨格データ”を計測することができる点が他社のものとは違います」
小松「基本的に人間は関節を操ることで体を動かしているので、骨格データを計測できれば選手の体の向き、腰の高さや重心の位置といった細かい情報までデータで表示できます。そういう意味では(データの)試合再現性はかなり高いと言えますし、今後はPoC(実証実験)を繰り返しながら、より良いデータの活用法を見出したいですね」
――骨格データをはじめ、ホークアイの技術によって取得できるデータが選手はもちろん、ファンにとっても新しい知見をもたらしてくれることを期待したいところです。
山口「どこまで公開できるかはF・マリノスさんとの相談ですが、例えば(ホークアイのシステムで撮影している)練習もコンテンツの1つだと考えていて、データとセットで一流アスリートの練習映像を公開することは、サッカーファンはもちろん、他業界の方にとっても興味をもってもらえるのではないかなと思います」
小松「骨格データ以外にも、“CG化”という形でデータをグラフィック化する技術も高まりつつあるので、その部分は新しいサッカーの楽しみ方として(ファン向けの)コンテンツ化ができればいいですね」
屋根の上でサッカー観戦!?
――そうしたF・マリノスとのパートナーシップを経て、2021年11月30日にソニーはマンチェスター・シティと『オフィシャル・バーチャル・ファンエンゲージメント・パートナーシップ契約』を締結しました。
山口「昨年10月に日産スタジアムで(パートナーシップに関する)記者会見に出させてもらったのですが、そこにCFGの方がいらっしゃって、自然な形で会話が始まりました」
――本契約のプレスリリースではパートナーシップの目的として『次世代のオンラインファンコミュニティの実現』と『ファンエンゲージメントの最大化』を掲げられています。背景にはコロナ禍でオフラインのコミュニケーションが取りにくい社会環境も影響しているのでしょうか?
小松「(コロナの影響は)大きいですね。スポーツ業界の方からコロナ禍でスタジアムにお客さんを呼べないのは、経営的にかなりダメージがあったと聞いています。だからこそ、ファンの方の繋がりや、楽しみの提供はすごく重要なテーマです。さきほど練習のコンテンツ化という話が出ましたが、ソニーのセンシング技術やグラフィック技術を活用して試合以外のコンテンツを用意できれば、ファンとクラブや選手の距離……つまり、エンゲージメントを高めることに繋げられると思っています」
山口「サッカーの楽しみ方は年々様々な形に広がってきていると思うんですよね。例えば、試合を分析する方にとってはホークアイの映像やデータはお役に立てる部分があるはずです。ソニーはこれまで音楽や映画などエンタテインメントの業界でデジタル技術を磨いてきましたが、それはサッカー界でも生かせるのではないか。そういう考え方がコロナ禍で一気に高まった部分はありますね」
――そのデジタル技術の活用法として発表されている施策の1つが『仮想空間上にエティハド・スタジアムを再現する』というものです。世間的には“メタバース”と呼ばれ、流行の兆しがあるサービスですが、どのようなポテンシャルがあるとお考えですか?
山口「メタバースがバズワードになっていて、それ自体が目的のような捉えられ方もしていますが、我われにとってはあくまで手段です。我われが考えているメタバースはファンという“コミュニティ”のコミュニケーション・エンゲージメントをさらに高めるもの。同じ空間内でファン同士あるいは選手たちとインタラクティブに交流できることは、特に若い世代に対しては重視しています」
小松「社内ではメタバースという言葉を使っていません。これまでマンチェスター・シティさんが行われてきたファンエンゲージメントを高める施策をバーチャル上に拡張することを考えた結果、たままたメタバースと呼ばれているものに近かったという感じです。もともとソニーは『コミュニティー・オブ・インタレスト』……同じ興味を持った人が集まることを活動コンセプトとして持っていますので、仮想空間にスタジアムを再現する今回の施策もその延長線上にあるものです」
――人が集まることに価値を感じられている。
小松「そうですね。例えば、(グループ会社の)ソニーミュージック所属のアイドルライブに行く機会があったのですが、ファンが集まることで生まれる熱気は本当にすごいパワーだと思っていて。新規ファンを開拓するというよりも、(既存の)ファンのコミュニティであの熱量を充足させる方がいろんな可能性が生まれそうだなと。サッカーファンもアイドルファンも、コロナ禍で会場に行けなくなった人がいるタイミングだからこそ、オンライン上でも集まることへのニーズはあると捉えています」
山口「シティさんと組んだ理由もそこにあって、グローバルにあれだけ多くのファン、コミュニティがあるのは魅力です。しかも、ファンの年齢も若い。我われのデジタル技術と親和性が高い世代のファンが多いと考えていますし、仮想空間上のエティハド・スタジアムだからこそできることを計画中です」
小松「スタジアムのリアルさを追求しつつ、一方でバーチャルだからこその体験も提供したい。例えば『普段は入れない場所を見学できる』とか。スタジアムの屋根の上でサッカーを観戦できたら楽しくないですか?(笑)。ファンの方と一緒にアイディアを出し合って作り上げていくと魅力的なものができるはずです」
人に言いたくなる体験
――本契約はきっかけとして横浜F・マリノスとの関係があったことは大きかったと思うのですが、最終的にマンチェスター・シティを選んだ決め手は何だったのですか?
山口「まず、新しいことに挑戦する姿勢がソニーのスピリットと共通していた点は大きかったです。仮想空間上にエティハド・スタジアムを登場させる施策は前例がないもので、ファンからの反応を予想するのは難しいですが、『やってみよう』という姿勢を(マンチェスター・シティが)持っていただいているからこそ、こうして開発を進捗させることができています。その上で、ファンエンゲージメントに関するデータをグローバルに細かく分析されていることも大きいです。今、CFGさんが成功されている理由の1つだとも感じています」
――逆にマンチェスター・シティからソニーに期待されていることは何だと捉えていますか?
小松「ソニーの1丁目1番地はやはり“技術力”なので、そこのポテンシャルは感じていただけているのではないでしょうか」
――F・マリノスとのパートナーシップもそうですが、ソニーの技術とクラブ(マンチェスター・シティ)の知見を融合することが開発の上でポイントなのですね。
小松「技術が優れているからお客様が喜んでくれるわけではありません。実際に商品やサービスを体験してもらって、お客様からのフィードバックをもらわないと良いものは作れない。その点で、マンチェスター・シティさんはファンの方とよくコミュニケーションを取られていて、彼らのことを詳しく知っている。商品・サービスは1回リリースして終わりではなく、そこからが勝負。どのようにお客様の声を運用として取り込んでいけるかがポイントなので、(マンチェスター・シティとのパートナーシップは)とても心強いですよ」
――“仮想空間上のエティハド・スタジアム”を開発されている中で重視されていることはありますか?
山口「友達を誘いたくなる仕掛けですね。(仮想空間上のエティハド・スタジアムは)1人で遊ぶものではなく、皆で楽しむ空間にしたいんです。そのために必要なエッセンスは“技術”ではないものもたくさんあると思います。週に1度の試合開催時だけではなく、より長時間滞在してもらえるような空間とは何かを常に考えながら来季の欧州サッカーシーズン開幕期(20222年夏頃)のローンチを目指して、開発を進めています」
――やはり、“人を集める”ことがポイントである、と。
小松「そうですね。企画書には“思わず人に言いたくなる体験”をキーワードとして書いていて。SNSで友人の『面白かった』という投稿を見たら気にあるじゃないですか。そういうキラーコンテンツをどれだけ早く見つけられるかは大切になってくると思います」
山口「ソニーは昔、ターゲットカスタマーが社員と一致していた時代があります。つまり、自分たちが欲しいものを作ると売れた。ただ、最近のエンタメ業界はそうでないケースが増えていて、自分の感覚よりもお客様の反応を重視しなければ人気のある商品やサービスは作れない。デジタルのサービスなのでいろいろなデータは取得できるのですが、それをどう解釈するかはマンチェスター・シティさんの知見をお借りしています」
スポーツの垣根を越えて
――現在、想定しているマネタイズ方法について教えてもらえますか?
小松「(仮想空間上の)エティハド・スタジアムで買えるデジタルグッズや、ファンイベントは基本施策として実施しようと思っています。あと、大きなところではスポンサーシップですね。スタジアムがデジタルの世界まで拡張することで、アクティベーションの幅が広がります。例えば、車メーカーのスポンサーさんがスタジアムに車を展示するのはそれなりに費用もかかりますが、オンラインであればスタジアムの周りをビュンビュン走らせることもできる。ファンに試乗してもらうこともできるかもしれません」
山口「リアルのスタジアムに価値が生まれているのは、何万人という人がそこに集まっているからですよね。オンライン上にもう1つ人が集まる場所が誕生すれば、スポンサーさんにとって別のチャンスが生まれることになる。リアルのスタジアムでは全員に同じ広告を表示しますが、オンラインであれば、日本人には日本企業の広告を表示するなどのカスタマイズが可能なので、新しいプロモーション手段の提案にも繋がります」
――確かに仮装空間上のスタジアムであれば、キャパシティの上限もリアルスタジアムよりも引き上げられますし、プロモーションでの活用は期待感があります。具体的には何人程度のユーザーが遊びに来てくれることを想定していますか?
小松「具体的な数値としての目標は定めていないですが、(マンチェスター・シティは)グローバルにファンがいるクラブなので、24時間人通りが絶えないスタジアムであればいいなとは思っています」
山口「『来場者にユニフォームプレゼント!』のようなキャンペーンを実施すれば来場者数を伸ばすことはできると思いますが、“ブーム”を作ってはいけないと思っていて。ブームになると飽きられる。だから、ゆっくりと右肩上がりに利用者が増えるようにコントロールしたいですね」
――利用者を増やすという視点では、マンチェスター・シティとのパートナーシップ契約でスタートする施策ですが、F・マリノスをはじめCFG各クラブのサポーターが交流できるようなプラットフォーム(仮想空間上のスタジアム)も出来たら、ファンエンゲージメントの形がさらに拡張されるだろうなと思います。
山口「スポーツの世界において、強化の分野では1クラブと組むと、他クラブは基本的には敵になります。しかし、ファンエンゲージメントの分野ではそうではないと考えていて、色んなクラブが連携することで、ファンエンゲージメントは掛け算的に推進される可能性があります。それは音楽やアニメといった他ジャンルとの連携であれば、効果はさらに相乗効果が期待できるのではないかと思っています」
小松「最終的にはスポーツの垣根を越えて、いろんなコミュニティを行き来できる世界を作ってみたいですね。エティハド・スタジアムの隣に東京ドームを建設したり(笑)。道のりは長いと思いますが、新しいスポーツやコミュニティとの出会いがある世界を目指したいです」
――多ジャンルのコンテンツを扱われているソニーだからこそ視点で、未来への期待感が高まる話です。最後にあらためてマンチェスター・シティとのパートナーシップ契約に関して読者に一言いただけますか?
山口「ファンにとっても、スポンサーにとっても、マンチェスター・シティを応援するすべての人が楽しめる世界を作っていきたいと思っています。そのためには皆さんのフィードバックが大切なので、ご意見をいただければ幸いです」
小松「マンチェスター・シティが大好きな人が集まって、一緒に新しい空間や楽しみ方を作っていきたいと思っています。仮想空間上のエティハド・スタジアムが完成した際は是非、遊びに来てください」
Shugo YAMAGUCHI
山口周吾(写真右)
1969年横浜生まれ。ソニーグループ株式会社にて、新規事業を探索する部門を統括。ソニーが培ってきた技術を活用し、エンタテインメント業界を中心に新たな価値提供を探索している。その中でもスポーツはデジタル化が急速に進んでおり、選手・チーム強化やファンとのエンゲージメントへの技術活用を図ることで、チーム・リーグにとって新たな事業を創出することにより、スポーツ業界の発展に貢献すべく活動している。
Masashige KOMATSU
小松正茂
1972年北海道生まれ。ソニーグループ株式会社にて、グループの多様な事業を横断した新規事業探索活動であるコーポレートプロジェクトを推進、新規事業の創出に従事。スポーツは世界共通のコンテンツであるため、テクノロジーとエンタテインメントを活用することで世界中のファンとチーム・リーグのエンゲージメントをより強くし新しい事業機会を創出することで、スポーツ業界に貢献すべく活動している。
Photos: Nahoko SUZUKI
Profile
玉利 剛一
1984年生まれ、大阪府出身。関西学院大学卒業後、スカパーJSAT株式会社入社。コンテンツプロモーションやJリーグオンデマンドアプリの開発・運用等を担当。その後、筑波大学大学院でスポーツ社会学領域の修士号を取得。2019年よりフットボリスタ編集部所属。ビジネス関連のテーマを中心に取材・執筆を行っている。サポーター目線をコンセプトとしたブログ「ロスタイムは7分です。」も運営。ツイッターID:@7additinaltime