前回の記事でシャビ監督の初陣を「これがバルサが進むべき正しい道だ!」というシャビの所信表明の試合と書いた。そしてスーペルコパ・クラシコ(1月12日/●2-3)の敗軍の将は「正しい道を進んでいる」と言った。シャビ監督就任からの約2カ月。クレ(バルセロナサポーター)界隈でよく使われる言葉となった正しい道。そこをゆっくりと前進し始めたのだが、その間にバルサでは一体何が起きていたのだろうか。
「ポジショナルプレーを理解してない…」からのスタート
現象としての事実と、真実という魂をオブラートに包むことなくド直球で伝えるシャビの言葉は、その都度チーム状況を明確に表している。
就任から1カ月が経ち、順風満帆からはほど遠く、荒波に揉まれ、前に進むことすらままならない状態を端的に著したパワーワードがこれであった。
「ポジショナルプレーを理解してない選手がいる。バルサなのに……」
バルサのDNAを取り戻すために、スタート地点に立ち返ってみたら、クーマンがほったからしたツケとして、土台がかなり痛んでいた。
正しい位置に正しいタイミングで入り、ボールを繋ぎながら、優位性を紡いでゴールに向かうポジショナルな戦型は、今やフットボール界でデフォルト化されているが、それを世界に流布したチームがその基本ができていないという事実に直面したことで発せられた言葉。まず土台の補正修理に時間を食われることとなった。
土台がズルズルで、なおかつケガ人だらけで戦力も整わないという厳しい状況は、むしろ若きカンテラーノの大量起用がゲームチェンジャーとなり、正しい道を突き進むのには都合が良いとも思えた。ガキの頃から哲学を叩き込まれている優秀な若者がバルサのフットボールをピッチで体現できれば、それが牽引役となり物事をスムーズに進められるという考え方はわからなくもない。実際、抜擢されたカンテラーノは瑞々しく力強いプレーを見せていた。しかし経験不足ゆえの脆さをモロに出してしまう現象がピッチの至るところで現れてしまう。
バルサはボールを保持すると、幅と深みを取ってスペースを最大化させ、[3-1-3-3]か[2-3-2-3]の4-3-3ベースの静的な4列配置を取り、相手を引きつけてから正しいタイミングと正しい位置を取った選手にパスを繋ぐことはしっかりとできていた。
例えばCBが運ぶドリブルでファーストラインを越え、相手MFが前にプレッシャーをかけた瞬間、ライン間で浮いた選手がボールから遠ざかり、フリーマンとなってボールが入る。この一連の流れはとてもオートマティックでクーマン時代よりスムーズだった。
しかし、その配置をもとにした選手の意思決定と判断が曖昧だったことで優位性をうまく紡げないという状況が発生したのだ。
ライン裏でフリーでボールを受ければ当然ターンで前を向く。問題はターンの前に戦況を確認して前を向いたら周辺が“見えてる”状態じゃないといけないところ、前を向いてから戦況を“見る”になっていたためテンポのズレが生まれた。
ターン後に“見えてる”であれば、味方とのタイミングの調整が不要になり、相手を釣り出してスペースを創出するという優位性を紡ぐ流れになるのだが、ターン後から“見る”ではもう一回味方との微調整が入り、滑らかなリズムが生まれない。ミクロで見ればちょっとした差かもしれないが、マクロにしたらダイナミクスの欠損となる。なので、崩しの局面に入ると、ゴール前中央エリアを素早く閉められて外展開となり、DFラインの背後に入るタイミングを逸し、ウイングによる個の打開以外さしたる攻め筋もなく、クロス攻撃に終始する始末であった。
配置の重要性が問われる昨今だが、配置はあくまでもプレー選択を用意する手段であり、優位性を紡いでゴールへ向かい、得点を奪う目的が合致していなければポジショナルプレーとしては未完成であり、ただのパスを回すサッカーに成り下がってしまう。シャビの憂いも理解できる。
本来であればボールを支配し、試合の構造そのものを支配するのがバルサのフットボールのはずが、配置は整っていてもボールを動かすテンポが噛み合わず、ボールは支配できても試合そのものは支配できない。原則の芯は食ってはいるけど、怖さがないという、シャビ就任から数試合は見かけ倒しの不味いフットボールが展開されていたのだった。
“なんか速い”の正体と弊害
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Profile
ぶんた
戦後プリズン・ブレイクから、男たちの抗争に疲れ果て、トラック野郎に転身。デコトラ一番星で、日本を飛び出しバルセロナへ爆走。現地で出会ったフットボールクラブに一目惚れ。現在はフットボーラー・ヘアースタイル研究のマイスターの称号を得て、リキプッチに似合うリーゼントスタイルを思案中。座右の銘は「追うもんの方が、追われるもんより強いんじゃ!」