【短期集中連載】間瀬秀一のモンゴル冒険譚Part4「次なる挑戦へ。独自の育成システム、スタートモーショントレーニングとは何か?」
5カ国でプレーした異色の現役時代を経て、イビチャ・オシムの通訳として指導者キャリアを始めた間瀬秀一。ブラウブリッツ秋田や愛媛FCで監督を歴任し、2021年4月からモンゴル代表監督という新たな挑戦を始めた。残念ながら眼の病気で昨年12月で退任することになったが、クロアチア時代のルームメイトで20年来の仲であるジャーナリストの長束恭行氏を相手に、未知の地での濃厚な冒険譚を聞かせてくれた。
全4回の短期集中連載の最終回は、モンゴル代表退任後の新たな挑戦について。ワイヴァンでの育成システムの構築、日本スプリント協会を起点にしたスタートモーショントレーニングの普及など独自の活動に迫る。
モンゴルサッカーに残したレガシー
――昨年11月にモンゴル代表監督の退任が決まり、翌月には再び現地を訪れたそうですね。渡航の目的はなんだったのですか?
「最後にちゃんとモンゴルサッカー連盟にしっかりとしたものを残したくて、僕が体系化した『スタートモーション』のトレーニングを現地の指導者たちに伝授すること。そして、もちろん人としてみんなと顔を合わせて挨拶すること。日本からお土産を持参して、みんなと『いい期間だったね』『みんなで力を合わせたね』というやり取りがしたかったんです。あとは私物がまだ向こうにあったので、自分の部屋を片付けて本帰国するということ。この3つが目的だったのですが、それまで自宅とサッカー連盟とスーパーマーケットしか行っていなかったので、ちょっと遠出して観光に連れていってもらったことがプラスアルファでした」
――チンギス・ハンの騎馬像との写真が間瀬さんのSNSに上がっていましたよね。
「あの写真、すごいですよね? 銅像の高さが40mあって、奈良の大仏の3倍近くなんですよ。また、サッカー連盟からはサプライズとして、キルギス戦を指揮する僕の姿をデザインした絨毯が贈られました。あとはウランバートルの中心部でショッピングにも行きまして。自分の頭にサッカーがあったら絶対にやらないようなことをやったんです」
――滞在期間はどれぐらいだったのですか?
「1週間です。予定外だったのがモンゴルサッカー界の表彰式『ゴールデンボールアウォーズ』に出席したこと。日本でいうJリーグアウォーズですね。さらにモンゴルスポーツ界の表彰式にも出席しました。モンゴルA代表がキルギスを破って史上初のアジアカップ3次予選に進出したので、モンゴルの国全体のベストチームにノミネートされていたんですね。生放送のセレモニーに出演し、ぶら下がりで何度も現地のテレビ局からインタビューを受けました」
――SNSで間瀬さんが取材を受けている写真を見ましたが、あの場だったんですね。
「結局、僕たちはベストチームには選ばれませんでした。オリンピックイヤーということで、東京五輪で善戦したバスケットボールの3on3の女子代表が選ばれました。でも、モンゴルサッカー連盟がベストオーガナイズ賞というのを受賞したんですね。僕たちも関係なくはないんです。キルギス戦で日本に行って、勝って帰って来て、しかもコロナ感染者を1人も出していないんですよ」
――あっ、確かに。
「でしょ。対戦相手のキルギスは何人も感染者が出たり、濃厚接触者が出たんですよね。現に試合に出場できない選手もキルギス側には出てしまいました。また、モンゴルがホスト国となったU-23アジアカップ予選でも感染者を1人も出さなかったんですね。そういうのも含めて、自分たちが手を打った代表活動のオーガナイズが効いていたわけじゃないですか。トロフィーをもらうのはサッカー連盟会長ですけど、オーガナイズしているのは現場の僕らなんです。そういう意味では嬉しいですよね」
――モンゴルに間瀬さんのレガシーがいくつもあるわけですね。
「オーガナイズという面でも僕はいろいろと伝えました。個人が時間通りに来なかったり、ミーティングに集中できなかったりといろんな問題があるわけじゃないですか。日本の『ホウレンソウ』(報告・連絡・相談)とかね、そういうこともしっかり伝えていきました」
――今、振り返ってもモンゴル代表監督は本当にやりがいのある仕事だったんですね。
「自分が持っているものと彼らが持っていないものがすごくマッチして、お互いが成長できたと思います。僕自身も指導者としてかなり成長させてもらえました。同じ練習をしていても、ブラウブリッツ秋田時代の指導映像を改めて見ると『俺ってこんな教え方が下手だったんだ』と思いますよ。それぐらい今の方が教え方がうまいんです。やっぱりモンゴルのスタッフや選手たちのおかげで僕の能力が上がったという部分はありますよね」
ワイヴァンでは育成一貫システムの骨格部分に携わる
――モンゴル代表監督就任前にワイヴァンFCで経験したこともプラスに働きましたか?
「そうですね。モンゴルの経験を踏まえて、ワイヴァンに戻れることはとても大きいです。今回はワイヴァンが大切にしている独自の育成一貫システムに携わり、トップチームまで繋げる骨格部分のジュニアユースの統括を依頼されています」
――ちょっと長期プラン的な復帰に今回はなりそうなんですか?
「そうなんですよ。鋭いですね(笑)」
――はははは(笑)。
「海外の代表監督就任やJリーグクラブの監督就任といった可能性が常にありながら、アマチュアクラブに長く携わるという考えが今まで自分の中になかったんですね。でも、冷静に考えると、ワイヴァンの野々山智代表は僕の能力を買ってくれて、見抜いてくれて、伸ばしてくれている。さらにワイヴァンでスタートモーションというトレーニングも完成させて、モンゴル代表監督として各年代のチームや女子チームの代表選手の能力や走力を上げて、サッカーの試合でも結果を出して。そこから再びワイヴァンに戻るわけです」
――モンゴル代表監督の退任が決まってすぐ、「戻ってきてくれ」みたいな話になったのですか?
「いや、最初はやっぱり『高いカテゴリーでやりたい』ということもあって、いろいろと動いていたんですよ。でも、病気になってから動き出した分、タイミングが遅かったですし、現在までの経緯やスタートモーションの理解といった面では伝わらない部分もあって。だったら、『僕を見出してくれたワイヴァンを自分自身の能力で前に推し進めることに貢献したい』という思いと、『このクラブだったら自分が一番成長し、さらに進化させられる』という思いがありました。それが理由でワイヴァンに戻ると決めましたね」
――間瀬さんの理論も含めた間瀬イズムを現実化できるクラブということでワイヴァンなんですね。
「そうですね。野々山代表は『上のカテゴリーで勝負して、またいつでも帰ってきてください』と言ってくれます」
――モンゴル代表監督に就任する時もそうだったんですか?
「そうそう。以前にワイヴァンに所属していた時は期間限定でしたし、所属しながらも次のクラブを探していました。モンゴル代表監督という素晴らしい仕事が見つかり、ワイヴァンを出ていったのですが、やっぱり今回はそういう中途半端な思いでやってはいけないと思うので、しっかり覚悟してやらせてもらうつもりです」
日本スプリント協会設立の経緯とスタートモーションの体系化
――あと、間瀬さんが設立に関わった「一般社団法人日本スプリント協会」について、その経緯を詳しく聞いていいですか?
「できるだけ簡潔に話しましょうか。秋田の2019年シーズンに僕はスプリントトレーニングを導入しました。サッカー界でスプリントトレーニングを導入しているケースは少しだけあるんですよ。でも、サッカー選手の全員がそのトレーニングをしているかといったら、今はほぼ誰もしていないんじゃないですかね。
日本には杉本龍勇さんという有名なスプリントトレーナーがいて、Jリーグでもフィジカルコーチとして清水エスパルスなどで指導した経歴があります。この方がなぜ有名かというと、海外でプレーする岡崎慎司や吉田麻也、長友佑都らに慕われて、時々ヨーロッパに行って彼らに走り方を教えた人なんですね。で、杉本龍勇さんの下でトレーニングを学んだ東島恒介が僕の大学の後輩にあたるんです」
――秋田の2019年のキャンプに来られたという?
「そう。キャンプで彼にスプリントを指導してもらい、その後も2カ月おきぐらいに秋田に来てもらって指導を続けてもらったんです。サッカー選手って誰にも走り方を教わらずに走っているじゃないですか。それだけに結果がすぐ出るんですよ。特にロングカウンターとかプレスとか、ちょっと長めの走りでスピードが上がりました。フォームが良くなると燃費が良くなるので、長い距離も走れるようになるし、スプリント回数が増えたりします。これはチームにとってかなり良いことです。
のちに加入したワイヴァンでもスプリントトレーニングを導入したいと僕は思いました。しかし、後輩は香川県に住んでいて、コロナ禍はまったく愛知県に来られないことがわかり、とうとう僕が教えるしかなくなったんですね。それまでは監督の立場だったので、ずっとスプリントトレーナーの彼に指導してもらっていただけでしたが、今度は自分で指導しなくてはならない。それからは彼とオンラインミーティングを重ね、トレーニング映像をいくつも送ってもらったりして、まず自分自身にトレーニングを課してみたのです。
いざ自分がトレーニングをやり始めると疑問がいっぱい湧いてきました。例えば、フォームが良くなると直線でのスピードは上がりますが、そもそもサッカーは1対1の対応のスポーツで、相手がドリブルしてきたらグッとついていくとか、戦術的に陣形を整えて相手のDFがパスした瞬間にスタートしてプレスに行くとか、あらゆる形からのスタートがすごい大事だということに気づきました。でも、このスプリントトレーニングはそこに関して1ミリも説明がないんです。直線まっすぐでのフォームとそこでのスピードが上がる説明だけで」
――サッカー指導者の観点からの疑問ですね。
「厳密に言えば、このスタートに関するトレーニングは自分が作らないといけない。改正しないといけない。まずは陸上界の選手の方がサッカー選手よりも速いわけだから、世界で一番速いウサイン・ボルトを研究したんですよ。そのあとにサッカー界のトッププレーヤーであるクリスティアーノ・ロナウドやリオネル・メッシ、ムバッペやルカ・モドリッチといった選手たちを調べていくと共通点がありました。あらゆるスポーツのトッププレーヤーのスタートの形から共通点を集めまして。でも、集めただけじゃダメですよね。どうやったらそれができるようになるかを研究して。そうやってスタートモーショントレーニングができ上がったんです」
――共通点を簡単に言うと?……
Profile
長束 恭行
1973年生まれ。1997年、現地観戦したディナモ・ザグレブの試合に感銘を受けて銀行を退職。2001年からは10年間のザグレブ生活を通して旧ユーゴ諸国のサッカーを追った。2011年から4年間はリトアニアを拠点に東欧諸国を取材。取材レポートを一冊にまとめた『東欧サッカークロニクル』(カンゼン)では2018年度ミズノスポーツライター優秀賞を受賞した。近著に『もえるバトレニ モドリッチと仲間たちの夢のカタール大冒険譚』(小社刊)。