【短期集中連載】間瀬秀一のモンゴル冒険譚Part2「『オンライン代表監督』という異色の挑戦。そしてキルギス撃破の歴史的快挙」
5カ国でプレーした異色の現役時代を経て、イビチャ・オシムの通訳として指導者キャリアを始めた間瀬秀一。ブラウブリッツ秋田や愛媛FCで監督を歴任し、2021年4月からモンゴル代表監督という新たな挑戦を始めた。残念ながら眼の病気で昨年12月で退任することになったが、クロアチア時代のルームメイトで20年来の仲であるジャーナリストの長束恭行氏を相手に、未知の地での濃厚な冒険譚を聞かせてくれた。
全4回の短期集中連載のPart2は、コロナ禍での渡航制限で日本からオンラインでの指揮を執ることになった異色の代表チーム作り、そしてFIFAからも「マンデー・モチベーション」と称えられたW杯2次予選、ギルギス撃破の内幕を明かす。
画面越しのミーティングで何を伝える?
――4月1日にモンゴル代表監督に就任したものの、コロナ禍の渡航制限で間瀬さんは日本に留まり、オンラインでのチーム作りを強いられました。現地のコーチスタッフには最初にどんな話をしたのですか?
「世界の人間を人種で分類した場合、日本人はモンゴロイドって言うんですよね。なので、『俺はモンゴロイドなんだ。俺は君たちの後輩みたいなもんだから』と彼らにちゃんと伝えました。つまり、『日本人とモンゴル人と同じ人種なんだ』ということをまずは言いました」
――『俺たちは同胞だ』みたいな感じですね。
「現時点で日本サッカーがアジアのトップというのは間違いないです。それと同時にアジアの中で日本人指導者がトップレベルにあることは間違いないんじゃないですかね。彼らのトップリーグである『モンゴル・ナショナルプレミアリーグ』の試合を観ていても、サッカーの原理だとか現代サッカーの戦術とかを知らないだけなので、それをしっかりと理解すれば絶対に強くなる。もう一つの課題はやっぱり走力です。彼らのスピードとスタミナとインテンシティを向上させれば『戦える』という確信が僕の中にあったんですね」
――オンラインでコーチスタッフと連絡を取り始めたのはいつぐらいだったのですか?
「6月7日にW杯2次予選最終戦のキルギス戦があることは決まっていたので、4月8日に就任発表がリリースされた後ぐらいです。日本、キルギス、タジキスタン、ミャンマー、モンゴルが属するグループFは、コロナ禍の影響で残り試合はすべて日本でセントラル開催されることになったんですよ。最初は当然、僕がモンゴルに行って代表キャンプをやろうと思っていたのが、コロナ禍でモンゴルに行けないことがわかったので、オンラインでしか練習指導できないことが判明していました。であれば、どうやって代表選手を選考していくか、ということになりました」
――まったく会えない中でどうやってコーチスタッフと意思疎通を深めたのですか?
「例えば、日本の監督とコーチの間でも一緒に酒を飲んで交流するとかあるじゃないですか。僕はそういうのが苦手なんですよね。酒も飲まないし、どちらかと言うとそういう場は嫌いなんです。今でも日本の組織作りは盃を交わして、とよく言われるんですけど」
――モンゴル人もその傾向が強そうなイメージがありますよね。
「そう、それもあるんです。モンゴル人も酒が好きだし。でもそうじゃなくて、自分がここまでいろいろとやってきて確信しているのは、サッカー選手のモチベーションってシンプルにサッカーがうまくなることだと思うんですよ。別に酒を飲んで騒ぐことがモチベーションじゃない。だとしたら、選手やスタッフが一番求めているものを、ちゃんとこっちが持っているかどうかが大事だと思いますね」
――同感です。
「モンゴルのコーチは指導者としての能力を上げたい。モンゴルのサッカー選手はサッカーがうまくなりたい。だとしたら、その術を監督が持っているかどうかが一番大事だと思います」
――日本戦の0-14という結果を受けて、モンゴル代表のコーチや選手たちは「自分たちは強くなりたい」といったモチベーションが上がっていたんですか?
「上がってないです、上がってないです(苦笑)。正直言うと、あの試合後におそらく内部崩壊ぐらいに陥ったと思うんですよ。よく考えてください。今大会のW杯予選でワースト記録のスコアで負けて、世界中にあの結果や内容が配信されるんですよ。だから代表としても、協会としても、選手のモチベーションとしても、おそらく最低の状態じゃないですか(苦笑)」
――最初のオンライン会議の雰囲気はどうだったんですか?
「今思えば、もしかしたら最初は暗かったかもしれないですね」
――間瀬さんって周囲にエネルギーを与えられる人だと思っているんですけど、落ち込んだスタッフに伝えようと思ったことは何ですか?
「こうやれば必ずみんなはもっとサッカーがうまくなるし、足も速くなるし、戦術の理解も高まるし、必ず勝利できるということを真摯に伝えました」
――どれぐらいの頻度でオンライン会議はあったんですか?
「むちゃくちゃ多かったです。代表キャンプが始まるまでにスタッフと何回やり取りしたかはもう覚えていないぐらい。とりあえず全体像を把握することが大事なんで。ただし、モンゴル代表でやるシステムや戦術は、自分の中ではかなり前の時点で決めていました。なんなら練習メニューも同時に決めていたぐらいで。どんな選手がいるのかはわからなくても、モンゴル代表の選手の技術や走力を考慮すれば、 このシステム、この戦術がいいんじゃないかというアイディアがあって、それをコーチにも伝えたんです。そこは用意周到でしたね」
――打てば響くスタッフだったのですか?
「そうですね、打てば響くという意味ではありがたかったです。彼らにしたら僕が言うことは真新しいんで『すごく興味がある』と言っていました。なので、すごい真剣にやってくれましたよ。一番苦労したのは、サッカーの知識があって日本語も話せるスタッフを見つけること。最終的には交換留学で日本に7年間滞在し、高校・大学でサッカー部に所属していたトルガという35歳のコーチが自分の右腕となりました。彼の存在はすごい大きかったですね」
オンラインで助けになった映像分析、映像編集のスキル
――オンラインでの練習指導は大変だったんですか?
「大変でした。でも、事前準備が用意周到だったので、次の日にやるトレーニング映像を連日見せていました。自分的に良かったのは、秋田時代、とりわけ2019年の1年分のトレーニングすべてをカメラで撮影して映像で手元に持っているんです。それをベースにすることでトレーニング方法をわかりやすく伝えられました」
――オンラインだけに映像を活用されたわけですね。
「僕の指導者としての生い立ちはオシムさんの通訳がスタートですけど、オシムさんが監督としてJリーグに来ていた頃って、まだ対戦相手のスカウティングや映像分析、映像編集や映像ミーティングがほとんどない時代なんです。でも、僕が岡山にコーチとして2010年に加入した頃は、もう対戦相手のスカウティングや映像分析、映像編集や映像ミーティングがすでに広まった時代なんですよ」
――当時の間瀬さんもその担当をしていたって言ってましたよね。
「そう。Jリーグもほんとあのあたりでグッと変わったんですね。今思えばありがたいことに、当時の岡山を率いた影山雅永さん(現・U-20日本代表監督)は、フランスW杯で初出場した日本代表の分析官なんです。その人に自チーム分析という役割を与えてもらいました。僕はその頃から自分たちのチームのプレーを分析して、編集して、映像ミーティングをすることを何回も繰り返していたんです。そのあとも三浦泰年さん(現・鈴鹿ポイントゲッターズ監督兼GM)が率いるヴェルディで同じ役割を与えられて。監督じゃなくてコーチの自分が選手に映像ミーティングをしていたんですよ」
――その時にノウハウをしっかりと培ったわけですね。
「自分が説明した映像をもとにトレーニングも組み立てる。ここまでの作業を岡山とヴェルディの時からずっと繰り返していて。僕のキャリアが語られる際は、オシムさんの通訳としての話がよく引き合いに出されますけど」
――いやいや、間瀬さんは通訳以後のコーチ時代のほうが長いんで。
「そうそうそう。実はそこが大きいんですよ」
――今までのキャリアがすべて繋がっているわけですね。
「めっちゃ繋がっています。秋田や愛媛の監督になってからも、映像分析や映像編集、映像ミーティングのほとんどを僕が引き受けていました。なので、その経験があったからこそ、モンゴル代表ではオンライン監督がやれたんですよね」
――代表キャンプでの練習指導はどのように進めたのですか?
「最初は僕が準備したトレーニングを、イチからずっとやってもらってました。練習はライブカメラで撮ってもらって、Zoomを通して自宅のリビングで見ていたんですよ。何か気になったところがあったらMessengerでコーチに電話して、『そうじゃない。もうちょっとボールを受ける前に後ろを見て』とか細かい指示を出していました。しかし、モンゴルのコーチたちは、初めてやる僕の練習を選手たちにやらせることで精一杯なんです。こちらが電話をしても着信音に気づかないし、選手たちに説明することに必死なんで。このやり方に僕自身がジレンマを感じ、コーチもしんどさを感じていました。
なので、彼らにトレーニングのメニューを事前に伝えたら、あとはもう彼らに任そうと思ったんです。いちいち『そこが違う。こうじゃない』と電話で指摘するのじゃなくて、『ポイントはここだよ』とか『こういうことが起こったらこう指導してね』って事前にコーチに伝えて、あとはほとんど自宅のリビングで見守るという(笑)」
――コーチも含めたチームの成長度合いはどうでした?
「正直言うと劇的ではなくて、徐々に徐々に良くなっていきました」
――モンゴルのスポーツ界は個人競技は強いけど、チーム競技はなかなか結果を残せませんよね?
「まさにその通りです。言われているように実際、そうなんです(笑)」
――指導してみて、チームに協調性や統一感が欠けていることを感じましたか?
「協調性がないとか統一感がないとかじゃなくて、多分知らないだけなんですよ」
――知らないだけ?
「例えば、日本でみんなが携帯電話を使ってる時代に、他の国ではやっとテレホンカードが生まれたとか。それぐらいの歪(ひずみ)って世の中にはあるじゃないですか。もちろん今のモンゴル人は携帯電話を使ってますよ。iPhoneも一番いいものを持っているし。そういう意味では進んでいるんだけど、ことさら団体スポーツとかサッカーにおいてはチームプレーのレベルがすごく遅れている感じはするんですよね」
――でも、やる気はすごいある?
「そう。ちゃんと伝えたら全然できます。単にやっていなかっただけだと思います」
オンラインでも生まれる感情や絆
――代表キャンプはいつ頃から始まったんですか?
「キルギス戦の3週間ぐらい前です。キャンプを始めた時は最初は6、7人しか集まらなかったのですが、だんだんと人数が増えていって。ポルトガル人とセルビア人がそれぞれ監督を務めているクラブは代表選手をなかなか放出してくれなかったので、全員そろったのは試合の1週間前でした」
――あっ、1週間前なんですね。
「だから、全員で練習ができたのは1週間だけです」
――オンラインでの活動が2カ月間続き、モンゴル代表と初めて顔を合わせたのはチームが大阪入りした6月4日でした。その時の雰囲気はどうだったのですか?……
Profile
長束 恭行
1973年生まれ。1997年、現地観戦したディナモ・ザグレブの試合に感銘を受けて銀行を退職。2001年からは10年間のザグレブ生活を通して旧ユーゴ諸国のサッカーを追った。2011年から4年間はリトアニアを拠点に東欧諸国を取材。取材レポートを一冊にまとめた『東欧サッカークロニクル』(カンゼン)では2018年度ミズノスポーツライター優秀賞を受賞した。近著に『もえるバトレニ モドリッチと仲間たちの夢のカタール大冒険譚』(小社刊)。