レンタル選手の現在地#4
毎シーズン、多くの若手選手がレンタル移籍で所属元クラブを離れ、将来の開花を見据えて研鑽を積んでいる。レンタル先のクラブのファンはもちろん、レンタル元クラブのファンにとっても動向が気になる未来のスター候補の現状にスポットライトを当てる。
J2で最後まで降格に抗ったSC相模原とって、木村誠二はなくてはならない存在だった。結果的には降格という結果に終わってしまったものの、彼がいなければ今季の相模原の戦いはもっと厳しくなっていただろう。
木村自身、年間を通してみればシーズン後半戦はチームの主力として戦っていたが、前半戦は京都サンガF.C.で出場機会をほとんど得られず苦しい時期を過ごしていた。
京都で過ごした苦しい時期。そして、相模原で残留を懸けて過ごした木村の1年を振り返る。
「お前が壊れてしまいそう」。出場時間はわずか12分
今年の夏、木村は大きな決断を迫られ悩んでいた。出場機会を得るためにFC東京から京都へ期限付き移籍をした木村だったが、出場時間はわずか12分。ヨルディ・バイス、麻田将吾らがいるDFラインのメンバーに割って入れずにいた。
天皇杯では直前までメンバーに入っていたそうだが、“修行先”でうまくいってないことで木村の心も不安定になっていたのか、体調を崩してしまったこともあった。そんな様子を見かねて「今のお前を出したら(木村のメンタルが)壊れてしまいそうだ」と曺貴裁監督に言われ、京都で出た公式戦はリーグ第5節のブラウブリッツ秋田戦のみにとどまっていた。
そんな状況だったにもかかわらず、木村の下へ相模原から期限付き移籍のオファーが届いた。
「試合に出れていない状況でも『来てほしい』と言ってくれたことは素直にすごくうれしかったです。ただ僕の中では『1年間京都で頑張る』と決めていたので、途中でまた違うクラブへ行くのはどうなのかなという気持ちがありました。なので移籍はかなり迷いましたね……」
しかし、同期や先輩、代理人とも相談した末、「環境を変えてまた頑張ってみよう」と京都を半年で離れる決断をした。
悩んだ末の決断。相模原では中心選手に
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Profile
舞野 隼大
1995年12月15日生まれ。愛知県名古屋市出身。大学卒業後に地元の名古屋でフリーライターとして活動。名古屋グランパスや名古屋オーシャンズを中心に取材活動をする。2021年からは神奈川県へ移り住み、サッカー専門誌『エル・ゴラッソ』で湘南ベルマーレやSC相模原を担当している。(株)ウニベルサーレ所属。