今夏、2005年から16年間在籍したレアル・マドリーを離れ、フリートランスファーでパリ・サンジェルマンに加入したセルヒオ・ラモス(35歳)が先月末、新天地で初めてピッチに立った。本当に「ようやく」といった感じだ。RマドリーでCL4冠に貢献した偉大なるキャプテンともなれば期待値も相当大きかったため、一向にデビューの兆しがないどころか練習にも姿を見せないような状況に「完全に失敗移籍。冬の市場で放出へ」と報じるメディアも現れた。がしかし、ついにデビューの日はやってきた。
リーグ1前半戦もあと少しで終わり、という11月28日の第15節サンテティエンヌ戦。19位(当時)と降格圏内に沈むホームチームに先制点を奪われたものの、1-3で逆転勝ちしたこの試合にセルヒオ・ラモスはフル出場した。
筋肉疲労でその後はまた欠場が続いたが、12月19日のフランスカップ(ラウンド64)、5部リーグ所属のフェニ・ウルノワを下した(0-3)アウェイゲームでは先発して前半の45分間プレー。そして22日、同じく敵地で行われたリーグ1第19節のロリアン戦(1-1)は後半開始から交代出場し、新年1月からのシーズン後半戦に望みをかける形で前半戦を締めくくった。
「孤独を感じて辛い時もあった」
実際ラモスに関しては、一時は「緊張感が漂う状況だった」と、パリ・サンジェルマン(以下PSG)のスポーツディレクター、レオナルドがつい最近のラジオインタビューで明かしている。
「夏の時点でケガをしていることは承知していたが、これほど長引くとは……」と語ったレオナルドの言葉は、ナセル・アル・ケライフィ会長を筆頭に、エージェントからマウリシオ・ポチェッティーノ監督、チームメイト、ファン、そしてラモス本人も含めた全関係者の一致した思いだったことだろう。
PSGに入団した当初から彼が負っていたのはふくらはぎ痛だったが、根源は今年初旬から痛みを訴えていた左膝だ。2月6日にラモスは半月板の手術に踏み切り、3月にいったん復帰してスペイン代表のW杯予選にも出場したが、その後また療養生活に逆戻りした。
レアル・マドリーでは5月5日のCL準決勝、チェルシー戦の第2レグにフル出場したのが最後で、2021年はレアルではこの試合を含めて5回しかピッチに立っていない。
PSGのメディカルチームの見解によれば、痛めた膝をかばうような動きの蓄積がふくらはぎの筋肉に負担をかけ、それが予想以上に長引いてしまったのだという。
新たに迎え入れてくれたチームで活躍したいと、逸(はや)る気持ちを抱えながら、ラモスはゲームの感覚や仲間とプレーする感触を味わうために何度かは全体練習にも参加したが、パリに来てからほとんどの時間、彼はフィットネスルームで、理学療法士やトレーナーと地道にリハビリに勤しむ日々を送っていた。
「孤独を感じて辛い時もあった。ネガティブな考えが湧いてきて、疑念がよぎることもあった。けれどとにかく自分を、そして自分の努力を信じた。そしてクラブが自分に寄せてくれた信頼に応えることだけに集中した」
彼はその頃の胸中をこう語っている。
ラモス=今季のPSGに欠けていたもの
11月初旬から全体練習に参加できるようになると、ポチェッティーノ監督は24日のCLマンチェスター・シティ戦(アウェイ)で彼をメンバーに加えた。出場はなかったものの、新たなチームメイトと初めて一緒にベンチに入り、実戦感覚で試合に臨む体験をしたラモス。
レアル・マドリーでの手術後の復帰が尚早だったかもしれない、という懸念もあって、慎重に復帰時期を見極めてきたポチェッティーノは、「彼の姿勢はとてもプロフェッショナルであり、チームを助けようというポジティブな意識で臨んでいる。彼がどんな選手かはもちろんリクルートした時から知っていた。彼は偉大なチャンピオンだ。高いレベルで培った経験や知識を、彼はチームにもたらしてくれる」とラモスの頑張りを評価している。
「リーガとリーグ1はまったく違う。彼がどのように順応できるかは、やってみなければわからないが、時間とともに熟成させていけたらいい」
そう指揮官が語っていた初のリーグ1、サンテティエンヌ戦だったが、率直な感想は“やはり凄い”に尽きる。……
Profile
小川 由紀子
ブリティッシュロックに浸りたくて92年に渡英。96年より取材活動を始める。その年のEUROでイングランドが敗退したウェンブリーでの瞬間はいまだに胸が痛い思い出。その後パリに引っ越し、F1、自転車、バスケなどにも幅を広げつつ、フェロー諸島やブルネイ、マルタといった小国を中心に43カ国でサッカーを見て歩く。地味な話題に興味をそそられがちで、超遅咲きのジャズピアニストを志しているが、万年ビギナー。