カルレス・プジョル。男が惚れる男。
優等生でも原理主義者でもナルシストでもない
3月4日、プジョルが今季限りでバルセロナを退団することを発表した。昨夏に手術した右膝の具合が良くなく、試合に出ては悪化させて休む、を繰り返しており、引退するのではという噂が出ていた。「6月以降何をするかは決めていないが、まずは休みたい」と現役続行の可能性も残しつつ、右膝の様子を見て最終決定するつもりのようだ。いずれにせよ、契約解除でクラブとは合意に達しており、バルセロナのプジョルは今季で見納めになる。
彼ほど「満身創痍」という言葉が似合う選手はいない。ちょうど1年前の『ムンド・デポルティーボ』紙が、99-00シーズンのトップチーム入り以降の彼のケガの回数を36回としていた。その内訳は右足が17、左足が7、脇腹を含む腹部が5、左肘が1、右肩が1、頭部が5。36度目の右膝の負傷が今回の決断に踏み切らせたわけだが、彼は決してケガに弱い選手ではなかった。むしろその逆。CBというポジションで決して当たり合いから逃げないから生傷が絶えなかったが、驚異的な回復力とファイトですぐに復帰してくるのだ。
彼はリーガでフェイスガードを付けてプレーした最初の選手だった。2003年に頬骨を折った時には、スポンジ状で目の周りがくり抜かれた手作り感あるマスクだったのが、ゴーグル風の視界が広くプラスチックのような薄いものに洗練されていく様子がわかったのも、プジョルのおかげだった。スペインで彼以外のフェイスガード装着者をほとんど見ないのは、たぶん他の選手は顔面を守って衝突を避けるか、完治するまで休んでしまっているからだろう。
スマートな選手ではなかった。カーリーヘアといかつい体で、これまでバルセロナのシンボルであったクライフ、グアルディオラ、シャビと続くひ弱なテクニシャンの系譜とは正反対。足はとてつもなく速かったが、走る姿はドタドタとしていて出すパスは不正確。トップデビュー当時は高尚なバルセロナファンの失笑を買っていたのを覚えている。だが、プジョルは厳しく自己を律する姿を見せつけることで、その笑いをかき消していく。彼は照れ笑いをしないのだ。ミスを犯した後の反応は自分に対する怒りである。
照れ笑いはプライドの高さと自己への甘さの裏返しであり、見ている方は「ヘラヘラ笑うな!」と頭にくる。が、プジョルの反応は、我われと同じ謙虚で厳しい視線で自分を律しているのが伝わってくる。観戦者の分際で、“今、俺はミスした。次は絶対に繰り返さない”。そんな気持ちを笑える者がどこにいよう!
プジョルのミスは許された。たるんでいる証拠でも、仕事を舐めているわけでも、クラブやファンを軽んじているわけでもなかったからだ。プジョルは下手、という事実はそれを補って余りある献身や汗、ファイトという彼が教えてくれる生き方と比べると、まったくとるに足らないものだった。プジョルは行動で自分の進む道を表現していた。
ファイターではあるが、闘将でもない
腕にカタルーニャカラーのキャプテンマークを巻く彼は他の多くのチームメイトやフロント、ファンと同じカタルーニャ主義者だが、グアルディオラのような原理主義者ではなかった。政治的なアピールは最小限にして、「他者への尊重」など国境を越えたより重要な価値の方を、言葉ではなく行動で示し続けた。
例えば11-12シーズン、4月29日のラジョ・バジェカーノ戦で5点目を決めたチアゴ・アルカンタラは、アシスト役のダニエウ・アウベスとともにフラダンスのような変てこな踊りのゴールパフォーマンスをした。それを見て飛んで来たのがプジョルだった。2人の間に割って入り叱りつけたのだ。相手チームとファンに失礼だ、と。先日のラジョ戦で6点目を決めたネイマールとD.アウベスは同様の下手糞な踊りを見せたが、プジョルがグラウンドにいたら絶対に許していなかったはずだ。
昨シーズンの1月30日、コパ・デルレイの敵地でのクラシコでは、スタンドからピケに投げ付けられたライターを彼が拾い、審判へ見せようとしていたのをプジョルがもぎ取り、そのままプレーを続けたことがあった。不毛なアピール合戦を避け、グラウンド上で決着を付けようとする、彼なりのスポーツマンらしい潔い行動だったのだろう。
こうして尊重とかスポーツマンシップとかの模範となりながらも、プジョルには優等生的な嘘臭さがなかった。それは彼に道徳を教えようなどという押しつけがましい気持ちがさらさらなかったからに違いない。そうしたいから、そうしただけ。多分、プジョルはグラウンド内でも外でも試合でもプライベートでもああいう生き方をしているのだろう。美辞麗句によって対面を繕おうという計算は見えない。見た目も泥だらけ、汗だらけ、カーリーヘアを振り乱しながら、ハートの方もかっこ良く見せようという見栄とは無縁。ファイターだがいわゆる闘将ではなく、敵意をむき出しにすることはなく、どんな悔しい敗戦の後でも試合後にはきちんと切り替えた。失言や暴言は皆無で、自戒の言葉すらあまり聞いたことがない。集中力を欠いたとか普通のプレーヤーが悔やむようなことは、常に100%の彼には存在しなかったのだろう。彼を律しているのは、サッカーの世界に収まらない、人間としての価値なのだ。
そんな彼の最もカッコ良かったプレーは、2002年10月23日、チャンピオンズリーグのロコモティフ・モスクワ戦で空っぽのゴールに立ちはだかり、相手のシュートを右胸に当てて弾き出したもの。ボールが当たったのはちょうどバルセロナの紋章が縫い込まれている場所で、ファンには伝説のように語り継がれているプレーである。DFで派手でもないプジョルがこのクラブの象徴化への道を歩き始めた瞬間として、バルセロナファンではない私も痺れた。
ちょっと出来過ぎた話で、これがそもそもカッコいいラウールと“マドリディスモ”(レアル・マドリー主義)の間の逸話だったら拒否感が湧いてくるかもしれないが、「クラブ以上のクラブ」とかの大仰さを差し引いても“バルセロニスモ”(バルセロナ主義)が本来、“らしくない”プジョルをシンボルとして受け入れたというカップリングの瞬間は、今も懐かしく私を幸せな気持ちにしてくれるのだ。
Profile
木村 浩嗣
編集者を経て94年にスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟の監督ライセンスを取得し少年チームを指導。06年の創刊時から務めた『footballista』編集長を15年7月に辞し、フリーに。17年にユース指導を休止する一方、映画関連の執筆に進出。グアルディオラ、イエロ、リージョ、パコ・へメス、ブトラゲーニョ、メンディリバル、セティエン、アベラルド、マルセリーノ、モンチ、エウセビオら一家言ある人へインタビュー経験多数。