「日本にいた時より絶対強くなっている」斉藤光毅が語る、孤独と成長の1年(前編)
今年1月にベルギー2部ロンメルSKへ移籍して以来、斉藤光毅の生の声が日本まで届く機会は貴重となった。前所属の横浜FCでは高校2年生にしてトップチーム登録され、クラブ史上最年少となる16歳11カ月11日でデビュー。10代ながらJリーグで60試合以上の出場経験を積み、将来を渇望されていた若武者は初上陸の欧州でどのような1年を過ごしていたのか。現地に赴いたサッカージャーナリストの舩木渉氏が、U-17日本代表時代から取材している本人を直撃した。前編では孤独との向き合い方、重ねた試行錯誤、そして自己表現の変化を明かす。
「孤独=遠慮」との戦いが続いた半年
「正直めっちゃキツかった」
――斉藤選手、今日はお時間を作っていただきありがとうございます。ベルギーに渡ってもうすぐ1年になりますね。この1年間で情報がほとんど日本に届かず、どんな日々を過ごしていたのかわからなかったので、直接うかがいにきました。
「たぶん日本にいるみなさんには情報がないので、僕がベルギーで何をしているか全然わからなかったと思うんですけど、最近は試合に出られていますし、そんなに横浜FC時代と変わらずプレーできています。けど、最初の半年は正直めっちゃキツかったです」
――横浜FCからロンメルSKに移籍したのはちょうどコロナ禍が始まったばかりの頃で、ベルギー入り直後に隔離生活も送りました。言葉もわからず、様々な制限のある中での挑戦は困難を極めたのではないかと想像していました。
「何もわからない状態なうえ、すべてが初めてのことでしたし、コロナ禍でレストランなども開いていなかったので、本当に孤独を感じていました。その中で、どの行動をするにも『これはしていいのかな?』『これはしちゃダメな行動なんじゃないか?』というのが常にあったので、慣れるまではキツかったですね」
――どんな時に孤独を感じましたか?
「練習が終わって家にいる時間も孤独を感じましたし、常にですね。練習場に行っても、オランダ語を話せる人と、南米系の人と、英語を話せる人とで固まっていて、共通言語のある派閥に僕は入れない。昨シーズンは通訳がいましたけど、日本語しか話せないことによる孤独感もありましたし、街に出ても日本人がいない状況に慣れていなかったことによる孤独感も、家で1人ということにも孤独感がありました」
――すべてを1人でやらなければいけない手探りの状態から、どのように新しい環境に馴染んでいったのでしょうか。
「誰かに聞かなくても、とりあえずやってみれば、だんだん『これがやっていいことだ』『これはあんまりよくないことだ』とわかってくるので、そうやって慣れていきました。でも、もっと自分でアクションを起こして、言葉はわからなくてもジェスチャーなどを使って周りとコミュニケーションを取ってみたら、もう少し早く慣れられたのかもしれないですね。
もちろん自分なりに全力でやっていたんですけど、今振り返ったら、ピッチ外で感じていた『これをやってはダメなんじゃないか?』というのが、ピッチ内でのプレーにも少し影響してしまっていたのかなと思っています。それはサッカー選手として絶対にダメなことですよね」
――意気揚々と欧州に来てみたものの、サッカーでも私生活でもかなり苦しい日々を過ごしていたんですね。
「常に『やってやる』という思いを持っていて、それを前面に出そうとしていたんですけど、この環境に慣れてきた時に思い返したら、ちょっと遠慮していた部分があったのかなと思います。日本にいた時よりは絶対につらい思いをしていますし、強くなっていると思うので、それもいい経験です」
肉弾戦、弱肉強食、試行錯誤を乗り越えて
「結果によって周りも変わってきた」
――サッカーの面でいうと、ロンメルSKに加入してからの半年間はゴールを1つも奪えないまま、2020-21シーズンを終えました。結果を出せないことによるもどかしさもあったのではないでしょうか。
「たぶんサッカーがうまくいっていれば孤独も感じなかったんですよね。あまりスタメンで出られず、ゴールも決められず、少しネガティブになっていた自分もいたと思います。逆に孤独を味わっていなかったらゴールを決められたのかもしれないですけど、そのバランスを見つけるのは難しいし、まだ全然見つけられていない状態です。今はスタメンで出られていて、ちょっとですけどゴールも決められていて、それがあるから孤独を感じていないだけかもしれないですし」
――自分をアピールしようにも、求められるプレーや判断、ピッチ上での感覚もJリーグ時代とはまったく違って、そのギャップにも苦しんでいたのではないかと想像していました。
「そうですね。昨シーズンは結果も残せていないし、あまりいいプレーもできていなかったので、『自分はこういうプレーヤーだ』というのを、周りに理解されていない感じがありました。今シーズンはリーグ開幕戦でゴールを決めて、そこから『斉藤光毅はこういう選手だ』とわかってもらえたのかなと。結果によって周りの自分に対する行動や言動も変わってきたので、本当に結果は大事だなと思いますね」
――ベルギー2部リーグは技術より個々の身体能力に依存したサッカーをするクラブが大半です。その環境に馴染むのは難しかったですか?
「正直、今も馴染めているかどうかわからないですよ(笑)。決してサッカーのレベルは高くないのかもしれないですけど、『サッカーがうまいチーム』と戦ったとしても勝つのはこっちかもしれないし、ベルギーに来てフィジカルが強くて球際も激しいガシャガシャしたのもサッカーだと思ったので、それに慣れれば、また違う成長の仕方ができる。
もちろん最初は戸惑いましたし、『ボール出てこないなぁ』とか、『こいつ自己中だな』とか思うこともありました。それに、めっちゃ人のせいにしてくるんですよ。でも、だんだんやっていくうちに、このサッカーに慣れ過ぎず、いいところを自分で吸収しないといけないと思うようになりました」
――欧州だと、自分のミスを人のせいにするような選手も少なくない印象です。そういう選手は自分よりも弱い立場の選手を標的にしますよね。特に最初の半年、もしかしたら今も、斉藤選手は標的にされやすい立場にいるのではないかと思います。……
Profile
舩木 渉
1994年生まれ、神奈川県出身。早稲田大学スポーツ科学部卒業。大学1年次から取材・執筆を開始し、現在はフリーランスとして活動する。世界20カ国以上での取材を経験し、単なるスポーツにとどまらないサッカーの力を世間に伝えるべく、Jリーグや日本代表を中心に海外のマイナーリーグまで幅広くカバーする。