代表への憧れ、ファンへの想いを胸に高みへ。斉藤光毅が語る、孤独と成長の1年(後編)
今年1月にベルギー2部ロンメルSKへ移籍して以来、斉藤光毅の生の声が日本まで届く機会は貴重となった。前所属の横浜FCでは高校2年生にしてトップチーム登録され、クラブ史上最年少となる16歳11カ月11日でデビュー。10代ながらJリーグで60試合以上の出場経験を積み、将来を渇望されていた若武者は初上陸の欧州でどのような1年を過ごしていたのか。現地に赴いたサッカージャーナリストの舩木渉氏が、U-17日本代表時代から取材している本人を直撃した。後編ではストライカーの自覚、夢見る日本代表入り、そしてファンへの思いの丈を語る。
現れ始めたストライカーとしての本性
「本当にゴールを決めたい気持ちが…」
――ロンメルSKでは今シーズン開幕から監督が代わりました。ただ、昨シーズンもアシスタントコーチをされていた方なので、チームがまるっきり変わるのではなく、自分のことをある程度わかってくれている監督が使ってくれているところもあると思います。監督交代をどう捉えて開幕を迎えましたか?
「正直ビックリしました。プレシーズンまでずっと(リアム・)マニング監督とやっていたのに、開幕の1週間前に監督が代わったので。(ピーター・ファン・デル・フェーン新監督の下で)やることはそれほど変わらなかったですし、そのおかげで自分が1トップになって、裏への抜け出しなどでうまくゴールを決められたので、ポジティブに感じた部分ではあったんですけど、そういう(開幕直前に監督が代わる)ことも海外ではあるんだなぁというか。とはいえ、なかなかないことだと思うんですけど、臨機応変に対応できたので、自信に繋がったのかなと思います」
(筆者注:2020-21シーズンからロンメルの指揮を執っていたリアム・マニング監督は、2021-22シーズン開幕3日前の8月12日に退任し、イングランド3部MKドンズの監督に就任。チームを引き継いだペーター・ファン・デル・フェーン監督は個人的な理由により12月13日づけで辞任した)
――1トップを張るということは、間違いなくゴールが求められます。もしかしたらチャンスメイクにも力を使いたいかもしれないですが、よりゴールを求められるようになって自分のプレーに変化は出てきましたか?
「横浜FCの時はちょっと中盤まで降りて、ボールをもらい、ドリブルして相手を剥がして……みたいな感じだったんですけど、今は1トップなので、裏に抜けて、押し上げて、味方のためにスペースを空けることが求められます。なので、システム的に見ると自分のプレースタイルはちょっと変わりましたね。
1トップに入って開幕戦でゴールを決め、少しずつ『ゴールを決めてくれる』と思われるようになったのかなとも思っています。その中で、1トップの自分がゴールを決めなければダメで、自分が外したら勝てないという責任がちょっとずつ芽生え出してきました。
そういう責任がある中でゴールを決めるのは難しいことだと思うようにもなってきています。自分が決めたら勝てるし、決めなかったら敗戦の責任を問われるというのは、より感じるようになりましたね。もちろんプレッシャーもありますし、それに打ち克っていかなければ成長しないと思っています」
――プレッシャーは重荷に感じるタイプですか? それともエネルギーに変えられるタイプですか?
「どうなんだろうな……。エネルギーになる時もありますし、シュートを外しすぎて焦る時もあるので、どっちもどっちかなと思います。けど、これまでシュートを外しても『うわー! やってしまった!』と思うことは、今ほど多くなかった。ストライカーとして、これからもっとそういう経験をしていかなければいけないと思います」
――シュートを外す回数は少ない方がいいですが、その度に1トップとしての役割の重みを実感するわけですね。ストライカーとしてのメンタリティも相当に鍛えられそうですし、内面に変化も出てきているのではないでしょうか。
「自分ではあまりうまく表現できないタイプだと思うんですけど、ずっとストライカーのメンタルみたいなものを持ってはいるんです。本当にゴールを決めたい。その気持ちが今はより表に出てきているというか、周りからの声や見方でもそう感じます。今までもこれからもゴールに対する気持ちは変えず、もっともっと強くしていかなければいけないと思うし、もっと貪欲にゴールを狙っていきたいです」
――Jリーグ時代はサイドでもプレーしていましたが、欧州で生き残っていこう、成り上がっていこうとするにあたって自分のポジションはストライカーですか?
「そうですね。1トップでも2トップでもどちらでもいいですけど、サイドよりストライカーのポジションでやっていきたいですし、真ん中にもサイドにも臨機応変に対応できたらもっと幅も広がると思います。けど、とりあえず自分の一番のポジションはストライカーかなと思います」
同世代の活躍を刺激に掲げる「下剋上」
「パリ五輪の前にA代表に選ばれたい」
――この夏には東京五輪がありました。欧州へ移籍して環境は変わるけれども、自分にもチャンスがあると思っていたところもあるのではないでしょうか。U-20W杯で一緒に戦った仲間もメンバーに選ばれていましたが、東京五輪はどのような思いで見ていましたか?
「もちろん東京五輪でのメンバー入りは狙っていましたし、そこで活躍してステップアップしたかったですけど、選ばれている他の選手たちを見ても、自分よりはるか上の舞台でプレーしていました。なので仕方ないというか、今のレベルでやっているんだったら自分が選ばれないのは当たり前だろうと思うようになったというか。
その思いによって悔しさも増しますし、もっともっとやらなきゃいけないという危機感も生まれました。これからA代表やパリ五輪といった次の目標がありますし、より上のステージでやりたいなと思いましたね」
――斉藤選手はパリ五輪世代でもあるので、もう一度五輪にチャレンジできるチャンスがあります。
「そうですね。でも、僕はA代表に行きたいです。今の状態だったらたぶん選ばれないですけど、もっと活躍して、もっと高いレベルのステージに行って、もっともっと注目されるような選手になれば見えてくると思うので、パリ五輪の前に日本代表に選ばれたいですね」
――日本代表は斉藤選手にとってどんな存在ですか?……
Profile
舩木 渉
1994年生まれ、神奈川県出身。早稲田大学スポーツ科学部卒業。大学1年次から取材・執筆を開始し、現在はフリーランスとして活動する。世界20カ国以上での取材を経験し、単なるスポーツにとどまらないサッカーの力を世間に伝えるべく、Jリーグや日本代表を中心に海外のマイナーリーグまで幅広くカバーする。