うどん屋での相席。川﨑颯太の悔し涙。驚くべき選手の成長――京都サンガ・曺貴裁監督が地元・京都で過ごす幸せな日々
川﨑颯太、福岡慎平、麻田将吾、若原智哉といったアカデミー出身の若手と、ピーター・ウタカ、ヨルディ・バイスのような百戦錬磨の外国籍選手が見事に融合。躍動感あふれるサッカーで、京都は12年ぶりのJ1復帰を果たした。そのチームを率いるのは曺貴裁監督。1年半ぶりに帰ってきたJリーグの舞台で、改めてその指導力を遺憾なく発揮している。大学生と向き合った1年間。地元のクラブで指揮を執る想い。改めて自分がやるべきこと。
2021年7月に発売された『フットボリスタJ』の独占インタビューから、本誌未掲載部分を改めて公開する。(インタビューは6月30日に実施)
久々に帰ってきた地元・京都で感じたこと
――京都に住むのは34年ぶりなんですね。
「本当に高校を卒業して以来ですからね。だから、この前サンガタウンの裏に“太陽が丘”がありますけど、僕が高校2年の時に高校選手権の京都府予選の決勝で、当時強くて国体のメンバーもほとんどを占めていた京都商業と試合をして、延長で僕がクリアしたボールを、そのまま決められて負けた、まさにそのコートを見に行ったんです。ちょっと思い出しましたね。『ああ、ここで全国に行っていたら人生変わっていたかなあ』とか。でも、今から見ると凄く小さく見えました。だから、その裏にサンガの練習場ができて、そこに僕が監督として来るなんて、あの頃はJリーグもなかったですし、本当に僕も含めて誰も想像していなかったですけど、あそこに“太陽が丘”がまだあって、メインの陸上競技場があるというのは、凄く感慨深いところはありましたね」
――久々に帰ってきた京都は変わっていましたか?
「高校までしかいなかったですからね。でも、変わっていない気がします。お店とかはわからないですけど、碁盤の目の道路は何も変わっていないですし、京都駅が綺麗になったとか、ちょっとしたデパートができたとかはありますけど、昔ながらの家とか、鴨川の感じとか、この間ランニングした時も、全然変わってないなあという感じでしたよ。もっと普通は変わっていると思うんですけど、京都は京都ですね。昔からあった建造物や神社や学校も含めて、『ああ、ここにあった学校、まだあるんだ』とか、そういうことは凄くありますね」
――懐かしさもありますか?
「メチャメチャあります。そして、思い出しますね。『ここの通りを自転車で通って、たい焼き食ったんだ!』とか、そういう高校の頃を思い出します」
――そんな地元で監督をやれるということに対して、率直にどう思ってらっしゃいますか?
「ここに住んでいる友達も、先輩や後輩も多いですし、みんな僕と同い年くらいだと、子供もある程度成人して、会社でも少し良いポジションに就きつつ、バリバリ働きながらも、週末は『ちょっと子供を連れてサッカー見に行こうかな』ってできる年代じゃないですか。でも、みんなにとっては亀岡が凄く遠いイメージで、足が向かなかったらしいんですよ。それで今回僕が帰って来たことをきっかけに見に来たら、『メッチャ面白い!』って言ってくれる人が結構多いので、そういう意味でも京都で、生まれたところで監督をするというのは、本当に自分が身近に思っていた人たちと、また青春時代に感じたことを広げていけるというか、京都にあれだけ熱心なサポーターがいて、この間後援会に出させてもらった時に、あれだけ錚々たる企業の方たちが応援してくれているのを見ると、『この地に生まれて良かったな』と思いますよね。それは今までにはなかった感覚でした」
――50歳を超えて地元に戻って、昔の仲間たちが自分の仕事を応援してくれるって、人生でもなかなかないシチュエーションですよね。
「本当です。そういうものでお互いが繋がって、昔話も含めて『今の会社でこんなことで悩んでいるんだよ』とか、自分と共通するところもありますし、身近な感じがあります。サッカーの監督をしながら、友人関係も近いのが嬉しいですよね。あとは、買い物に行っても京都の人って知らない人でも『こんなん買って何作るの?』って聞かれたりとか、『待たせて悪かったから、これ使い』みたいな、そういうサービス精神がある土地なので、僕もどっちかと言ったらそういう気質なんですよ。人にサービスしたいというか、お節介かもしれないですけど(笑)、それはこの街で育った感じもあると思うんですよね。知らない人でもちゃんと喋る、みたいな。だから、やっぱり自分の親とかルーツとか、育った街とか隣近所とか、学校って人の“そもそも”の部分を作っていく上で、大事な要素なんだなって思いますよ。ウチの家族が1回こっちに来た時に、カレーうどんがメチャ美味いうどん屋さんに行って、そこに奥さんと娘を連れて行ったんです。そうしたら、いっぱいだから相席になったんですよ。それで娘が『あの人、“当たり前”みたいに相席してきたね』って言ったんですけど、僕はそんなこと思わないですからね。東京だと相席って簡単にしないじゃないですか。うどん屋で3人席の空いている所に入るなんて、できないじゃないですか。でも、『そんなん普通やったな』って。そういうことが思い出されて、この地で監督をするってそういうことなんだなって。変わってないなというか、自分も変わってないなと思いましたし。居心地は悪くないですね」
川﨑颯太の悔し涙。杉山弘一コーチの「50メートル、5秒8ね」
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Profile
土屋 雅史
1979年8月18日生まれ。群馬県出身。群馬県立高崎高校3年時には全国総体でベスト8に入り、大会優秀選手に選出。2003年に株式会社ジェイ・スカイ・スポーツ(現ジェイ・スポーツ)へ入社。学生時代からヘビーな視聴者だった「Foot!」ではAD、ディレクター、プロデューサーとすべてを経験。2021年からフリーランスとして活動中。昔は現場、TV中継含めて年間1000試合ぐらい見ていたこともありました。サッカー大好き!