残留争い、昇格争いの常連だった北海道コンサドーレ札幌が、いまや毎年ACLを目指すようになった。その札幌で、この2年で評価を上げたのが高嶺朋樹、田中駿汰、金子拓郎の2020年加入の “大卒トリオ” だ。今シーズン(2021年)から全員が一桁番号を背負うようになり、チームの顔と言って良いだろう。
大学時代には3人とも全日本選抜に入っており、名の知られた選手でもあった。しかし、その中で “這い上がって” ここまできた選手がいる。今シーズン全38試合に出場し7得点を記録した金子拓郎だ。
今や代表入りも囁かれるほどになった左利きのアタッカーだが、日本大学時代に経験した最上位カテゴリは関東大学2部リーグである。しかも、4年のうち2年は東京都リーグを経験した。なかなかスカウトの目にも止まりにくいこの場所から、どのようにしてJ1を代表するアタッカーに成長したのだろうか。
2年間の東京都リーグ生活
――今季は全38試合に出場し7得点。振り返っていかがですか?
「もの足りなさがありますね。チャンスを外すことの方が多かったですし、もっと決める確率を上げてれば、二桁(10ゴール)取れたと思います。チームとしてはACLという目標もありましたし、個人としても二桁を意識していたので。達成できなかった悔しい気持ちは大きいです」
――金子選手はサイドでのドリブルが代名詞ですが、大学2年生のときのデンソーチャレンジカップが特に印象に残っています。東京都リーグ所属でこんなすごい選手がいるのかなと。
「関東選抜Bで優勝して、そこで活躍できたのは大きかったです。大学1年生時は東京都リーグ1部で、2年目に関東2部に上がりましたけど、3年でまた落ちました。そんな中で(関東選抜に)選んでもらって。自信はありましたけど、関東1部のレベルを知らなかった。だから、そこで通用したのは良い経験になりましたし、自信にも繋がりました。ただ、関東1部に所属している選手と対峙して、まだまだだと感じた部分もありました。こういう選抜の大会は初めてでしたし、すごく良い経験になりましたね」
――そもそもですが、なぜ日本大学を選んだのですか?
「関東1部の大学に行きたかったのですが、声がかからなかったんです。インターハイに出られなかったのが大きかったなと。進路をどうしようか悩んでいたところ、高校のスタッフで日大OBの方から紹介を受け、内定をいただきました」
――ただ、大学に入学して東京都1部に降格しました。
「僕が高校3年で進路を決めたときは関東2部だったのですが、落ちてしまって。ちょっとショックでしたね。4年間はチームとして浮き沈みが激しかったのですが、良いことも悪いことも経験できました。東京都リーグに2回も落ちたことがある選手は、J1であまりいないと思うので。その中でもやっぱりプロは目標としていました。東京都リーグに落ちても環境のせいにはせず、日々努力を続けていましたから。そして運良く札幌に拾ってもらったので。諦めずにやって良かったなと思います」
――ちなみに、都リーグでもの足りなさは感じました?
「チームとしては余裕のある戦いをしていたわけではありませんでした。ただ、個人的には点を取っても嬉しい一方で「でも、東京都リーグだしな……」という気持ちはありました。だからこそ、関東1部や2部でやりたいという思いは強かったです」
――そこでもプロを諦めずにやれた理由、メンタルを保てた一番の要因はどこにあるのでしょうか。2回も落ちたらだいぶ落ち込みそうですが。
「正直に言って、めちゃめちゃへこみましたね。『プロはもう、カテゴリ的に厳しいな』と。でも、J3以上のどこでもいいから引っかかれば良い。それでも良いから絶対にプロになるんだ、と強い気持ちを持っていたので。落ちてしまったけど、必ずどこかで誰かが見てくれているし、なにか起こるかもしれないと思ってプレーをしていました」
――大学ではプレー面でどういった成長がありましたか?
「やっぱりフィジカルとスピードですかね。筋トレをはめちゃくちゃやっていて。高校よりだいぶ太くなって、当たり負けもしなくなりました。今でもフィジカル的にはあまり負けないな、と」
――確かに。4年生のときに見て体が太くなったなと思った印象があります。
「日大の施設は素晴らしくて、トレーニングルームも充実しています。グラウンドの横の食堂でご飯もすぐに食べられます。僕が2年のときにできたのですが、環境の良さが助けてくれたとも思いますね」
ペドロヴィッチ監督から得たもの
――金子選手の初出場は大学4年次でしたよね。名古屋との試合で、ボランチで出場して驚きました。……
Profile
竹中 玲央奈
“現場主義”を貫く1989年生まれのロンドン世代。大学在学時に風間八宏率いる筑波大学に魅せられ取材活動を開始。2012年から2016年までサッカー専門誌『エル・ゴラッソ 』で湘南と川崎Fを担当し、以後は大学サッカーを中心に中学、高校、女子と幅広い現場に足を運ぶ。㈱Link Sports スポーツデジタルマーケティング部部長。複数の自社メディアや外部スポーツコンテンツ・広告の制作にも携わる。愛するクラブはヴェルダー・ブレーメン。