J3で旋風を巻き起こすテゲバジャーロ宮崎。知られざるルーツを探る
JFLから昇格1年目でJ3の首位に立つテゲバジャーロ宮崎。予想外の躍進に驚いている人も多いだろう。彼らはいったい何者なのか? 『フットボール風土記』の著者である宇都宮徹壱氏に、彼らの知られざるルーツを解説してもらおう。
2021年のJリーグも、いよいよ残り1節となった。すでにJ1とJ2の優勝クラブが決まる中、がぜん注目を集めているのがJ3。現時点で首位に立っているのが、今季からJ3に参入したばかりのテゲバジャーロ宮崎(以下、テゲバ)である。
「宮崎」が順位表のトップにいるという驚き
15チームで争われる今季のJ3において、昨年までJFLに所属していたテゲバを優勝候補に推す声は、私が知る限り皆無であった。ところが前半戦を5位で折り返すと、第17節からの7試合で勝ち点19を積み上げて2位に浮上。第27節にはホームでFC岐阜を破り、初の首位に立った。
その後、アウェイでカターレ富山に敗れるも、ロアッソ熊本との天王山を制して再び首位に。最終節は試合がないため優勝は他力となるものの、J2ライセンスがないテゲバが2位以内となればJ2からの降格は1枠減る。そんなわけでテゲバの順位には、J3ファンのみならずJ2下位のクラブ関係者も熱い視線を注いでいる。
それにしても(J3とはいえ)28年ものJリーグの歴史の中で、順位表のトップに「宮崎」の名があるのは感慨深い。それは単に、ルーキーイヤーのJクラブが最後まで優勝の可能性を残しているから、だけではない。九州の広大なJ空白地帯に生まれたクラブが、このポジションにいることが奇跡のように思えてならないのである。
とはいえ宮崎県は、決して「サッカー不毛の地」だったわけではない。
伊野波雅彦、興梠慎三、増田誓志といった日本代表経験者を輩出し、鵬翔高校は2012年の全国高校サッカー選手権で県勢初となる優勝を果たしている。加えてホンダロックSCが、13シーズン連続でJFLでの活動を続けていることも、付言しておく必要があるだろう。
九州というくくりで見れば、最初にJクラブが設立されたのは福岡県で、Jリーグ開幕から3年後の1996年のこと。以降、佐賀、大分、熊本、長崎、沖縄、鹿児島の各県に続々とJクラブが誕生している。しかし宮崎だけは、その間も「広大なJの空白地帯」であり続けた。県を代表するホンダロックは、企業チームとして存続する道を選び、県民の間からもJクラブを渇望する声が挙がることもなかった。
そんな宮崎県を出自とするJクラブが、J3参入1年目で優勝争いをしている。だからこそ、感慨深いのである。本稿は「なぜ宮崎はJ3で優勝争いをしているのか」について、論じるものではない。これまでの私の取材経験から、宮崎のフットボールを地政学的に解きほぐしつつ、知られざるテゲバの出自についても言及していくことにしたい。
なぜ「プロスポーツが根付きにくい土壌」になった?
……
TAG
Profile
宇都宮 徹壱
1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。2010年『フットボールの犬』(東邦出版)で第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞、2017年『サッカーおくのほそ道』(カンゼン)でサッカー本大賞を受賞。16年より宇都宮徹壱ウェブマガジン(https://www.targma.jp/tetsumaga/)を配信中。