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オスカル・タバレスを忘れない。「歩む道そのものこそ報酬」と説いた、ウルグアイ代表監督15年の価値

2021.11.25

11月16日のボリビア戦に3-0で完敗。これで4連敗、第14節を終えた2022年カタールW杯南米予選(10カ国・全18節)で本大会出場圏外の7位に転落したウルグアイ代表が決断を下した。オスカル・タバレス、解任――。2006年から15年間にわたる長期政権に終止符が打たれた。その背景や反響、そして74歳の名将が“小さなサッカー大国”の誇りである代表チームの土台を築き上げた功績の計り知れない価値を、これまで何度も“マエストロ”を取材してきたChizuru de Garciaさんが綴る。

 一時帰国中だった私のもとに、AUF(ウルグアイサッカー協会)から“マエストロ”ことオスカル・タバレス監督の退任が決まったという内容のメールが届いたのは午前3時50分。その数時間前から「解任はほぼ決定」との情報が流れていたためにどうしても落ち着かず、なかなか眠ることができなかったが、メールを受け取った後も現地の反応を読んだり聞いたりしながら、結局翌朝まで起きていた。これまで何度も取材をし、個人的に話をする機会を通してマエストロの人間性に魅せられていた私にとって、AUFの決断はとにかく残念で仕方がない。解任の理由は「W杯予選での戦績不振」というが、本大会出場の可能性を残した時点での退任は自身もさぞ無念だろう。

「謙虚さ、リスペクト、帰属意識、団結力」

 「タバレス解任」の報せは、人口わずか330万人の国を大きく揺るがした。国民の約70%がサッカー好きで、2018年W杯ロシア大会の前には90%近い人が「代表チームを支持している」と回答した、小さなサッカー大国ウルグアイ。そんな国の人々にとって、今回の出来事は単なる「サッカーチームの監督解任」ではない。

 2006年にウルグアイ代表における2期目として監督を引き受けてから15年もの間、タバレスはそれまで完全に方向性を見失い混沌としていた母国の代表チームに秩序をもたらし、ユース代表から一貫した指導でA代表の人材を育成する基盤を築いた。結果よりもプロセスを重んじる健全な環境作りを目指し、選手たちにはトロフィーよりも“ラ・セレステ”(ウルグアイ代表の愛称で「空色」の意)のユニフォームを着ることの喜びを覚えさせた。

2010年7月、スアレスの“神の手”とPK戦の末に勝利した南アフリカW杯の準々決勝ガーナ戦で。1度目の就任時に1990年イタリア大会(16強)、2期目に2010年(4位)、14年(16強)、18年(8強)とW杯4大会に母国代表を導き、コパ・アメリカでは2011年に優勝を成し遂げた

 タバレスの教えを受けた選手をつかまえて、「ウルグアイ代表のアイデンティティとは何か」と聞けば、誰もが戦術うんぬんではなく「謙虚さ、リスペクト、帰属意識、団結力」といった人間的な側面についての話をする。タバレス監督はマエストロ(先生)の呼び名の通り、選手たちにサッカーの域を超えた多くの学びを与えた。そして人々は、そんな監督に文字通り導かれた代表チームを自国の誇りとして愛してきた。……

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ウルグアイ代表オスカル・タバレスカタールW杯

Profile

Chizuru de Garcia

1989年からブエノスアイレスに在住。1968年10月31日生まれ。清泉女子大学英語短期課程卒。幼少期から洋画・洋楽を愛し、78年ワールドカップでサッカーに目覚める。大学在学中から南米サッカー関連の情報を寄稿し始めて現在に至る。家族はウルグアイ人の夫と2人の娘。

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