明日10月30日は、ディエゴ・マラドーナの誕生日。生きていたら61歳になっていたはずだった。
マラドーナが最後に公の場でその姿を見せたのは、60歳の誕生日を迎えた日。アルゼンチンサッカー協会とLPF(リーガ・プロフェシオナル・デ・フットボール=アルゼンチン1部リーグ)の計らいから、ちょうどその日に彼が監督を務めていたヒムナシア・イ・エスグリーマ・ラ・プラタの試合が行われ、キックオフ前に記念のプレートやユニフォームを贈呈された。だが、歩行も会話も困難な状態でカメラの前に立たされ、リーグの新スポンサーのロゴ入りウェアを着せられた英雄を哀れむ声は多く、彼を宣伝に利用したLPFを強く批判する人も少なくなかった(私もその一人だ)。
そのマラドーナが亡くなってから、まもなく1年になる。一周忌を前に、彼の急な死を知ったあの衝撃からこれまでを振り返ってみると、この11カ月間、自分がマラドーナのことを思わなかった日など一日もなかったことに気づく。
と言っても、今までずっと泣いていたとか、嘆いていたというわけではない。マラドニアーノ(またはマラドネアーノ)と呼ばれるマラドーナ狂信者の中には、実際にあの時以来、悲哀に暮れっ放しの人もいるが、私の「思い」は少し違う。連日、サッカーに関する話題を耳にしては「ディエゴはどう思っているのだろう」と考え、即時に彼がこの世にいないことを思い出してため息をつき、落胆する。そんな日々を送っているのである。
欧州スーパーリーグ発足をめぐる騒動が起きた時。アルゼンチン代表が28年ぶりにタイトルを獲った時。リオネル・メッシがバルセロナを退団した時。サッカー界を賑わす、騒然とさせる何かが起きるたびに、今ここにディエゴがいたら何を思っただろう、そしてこれらについて彼の口からどんな毒舌、名台詞が飛び出しただろうといった想像を、常に張りめぐらせてしまうのだ。
40年近くもの間「マラドーナがいるサッカー界」に慣れ親しんできた者として、彼がいなくなってから絶えずそんな不満を感じるのは当然の成り行きかもしれないが、予期はまったくしていなかった。マラドーナが亡くなったほぼ1カ月後に会ったクラウディオ・ロドリゲスがそのようなことを示唆していたにもかかわらず――。
ディエゴの不在による“falta”
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Profile
Chizuru de Garcia
1989年からブエノスアイレスに在住。1968年10月31日生まれ。清泉女子大学英語短期課程卒。幼少期から洋画・洋楽を愛し、78年ワールドカップでサッカーに目覚める。大学在学中から南米サッカー関連の情報を寄稿し始めて現在に至る。家族はウルグアイ人の夫と2人の娘。