10月7日、サウジアラビアの政府系ファンド中心の共同事業体によるニューカッスル買収がついに決定。待ち望んでいたサポーターたちは本拠セントジェームズ・パークに集い喜びを爆発させたが、昨年4月から報じられていた取引はなぜ、成立までに1年半以上の時間を要したのか。『フットボリスタ第87号』で、イングランドクラブの売買に忍び寄る悪徳ブローカーの存在を紹介してくれたYuki Ohto Puro氏が解説する。
2017年元日、早朝のことだった。前夜にアンフィールドでリバプール対マンチェスター・シティの一戦を見終えマンチェスターへ戻った私は、プレミアリーグ恒例の年末年始の過密日程に備え、リバプールが次戦で乗り込むサンダーランド行きの長距離バスを待っていた。程々に酩酊して心地よくまどろんでいる中、ある2人の男女が声をかけてきた。おそらく私以上に酔っ払っている。ろれつも怪しい。新年祝賀パーティーで騒いだ後だったのだろう。
「中国人?」
「いや、日本から来たんだ」
「日本人か!東京はクールでいいよな!あの映画見たことあるか?」
と、2人がひび割れた画面のスマホで見せてくれたのは「ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT」だった。妻夫木聡が両手でピストルのジェスチャーをすることで有名な「あの映画」だ。結果的に3時間のバスの車中、延々とこの映画を見させられることになった。
「なぜサンダーランドなんかに行くんだ?」と問われた私は、プレミアリーグの観戦旅行をしている旨を伝えた。陽気な彼、そして相方の彼女はどうやらイングランド北部の雄、サンダーランドを応援しているらしい。チームのことを話す2人の楽しそうな顔が忘れられない。当時プレミアリーグに所属していた彼らは、ご存知の通り一気にイングランド3部まで転落したが、あの頃のサンダーランドにはデイビッド・モイーズを監督に迎えポジティブな空気が漂っていたように思う。
対照的に同じタインウェアのライバルクラブ、ニューカッスルには陽光が射し込んだ。長年に渡るマイク・アシュリーの圧政から開放され、サウジアラビア資本が後ろ盾となった彼らの行く末はきっと明るいものとなるに違いない──そう信じたいと思う私の心に暗く雲がのしかかるのは、その買収プロセスが疑惑にまみれたものだったからだ。
人権団体、放送局、政府…買収騒動を生んだ各方面の思惑
20年4月にサウジアラビアの政府系ファンドであるパブリック・インベストメント・ファンド(PIF)とPCPキャピタルパートナーズ社、RBスポーツ&メディア社のコンソーシアムによるニューカッスル買収が報道されて以来18カ月に渡って繰り広げられてきたこの買収劇は、プレミアリーグ内にとどまらず国際人権団体アムネスティ・インターナショナル(AI)、カタール政府および国営放送『beIN』、英首相ボリス・ジョンソンなど様々なステークホルダーを巻き込んだ。
その最大の原因は、クラブ所有者の適格性を判断するオーナーズ&ディレクターズテスト(ODT)をプレミアリーグが進める上で、買収先となるPIFに強い懸念が示されたからだった。同社代表のサウジアラビア皇太子ムハンマド・ビン・サルマンに嫌疑がかかっているのは、国家による反人権的行為の指揮。即座に反対を表明したAIは、ニューカッスル買収を「悪名高い反人権国家によるスポーツウォッシング(スポーツを利用した負の解消)」と形容している。
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Profile
Yuki Ohto Puro
サミ・ヒーピアさんを偏愛する一人のフットボールラバー。好きなものは他人の財布で食べる焼肉。週末は主にマージーサイドの赤い方を応援しているが、時折日立台にも出没する。将来の夢はNHK「映像の世紀」シリーズへの出演。