コバチ兄弟やラキティッチなど、クロアチア代表は世界中に散らばる移民を取り込んでチームを作ってきた。「ディアスポラ」と言われる国外に渡ったクロアチア系移民は、母国の人口とほぼ同じ400万人近い数に上るという。近年、バトレニに再び「ディアスポラ」の才能が加わるようになった。その背景に何があるのか、長束恭行氏に解説してもらおう。
「クロアチアから届いた箱を父さんがカッターナイフで開け、兄さんと僕のために2着のクロアチア代表のユニフォームを取り出した瞬間、とても力強く感じたんだ。『ああ、僕もこの一員になったんだ』とね」
スイス生まれの移民二世だったイバン・ラキティッチが幼少期を振り返り、19歳でクロアチア代表を選択するに至った独白記事『世界で一番のユニフォーム』が『ザ・プレイヤーズ・トリビューン』に掲載されたのはロシアW杯の真っ最中だった。90年代前半のユーゴスラビアは戦火に包まれており、当時のイバン少年は生まれてこの方、父の故郷を訪れたことがなかった。しかし、初めて手にした紅白格子柄のバトレニ(クロアチア代表の愛称)のユニフォームを寝る時も学校に行く時も肌身離さず着用していたという。祖国愛に目覚めた彼がのちのバトレニでどれほど貢献をしたのかはあえて触れる必要はないだろう。
1998年フランスW杯後に「第一の波」
クロアチアの統計上の人口は現在407万人であるが、国外にもほぼ同数のクロアチア人移民が永住しているという。離散したユダヤ人にたとえて「ディアスポラ」(dijaspora)と呼ばれる彼らは、経済的あるいは政治的理由、もしくは戦争難民として国外に住みつき、欧州全域に限らず北米や南米、さらにはオーストラリアやニュージーランドにもコミュニティが存在する。各国代表チームに「○○ッチ」という苗字を見つければ、大概がクロアチア人だったりするものだ。
バトレニに最初の「ディアスポラ」の波が押し寄せたのは、独立後の国威掲揚になった1998年のフランスW杯以降のことだ。初出場3位の偉業を成し遂げた主力メンバーが次々とチームを離れると、彼らに置き換わったのがニコ&ロベルトのコバチ兄弟やイバン・クラスニッチ(ドイツ)、ムラデン・ペトリッチ(スイス)、ヨシップ・シムニッチ(オーストラリア)といった移民二世だった。彼らに共通するのは、クロアチア人ならではの愛国心と「ディアスポラ」ならではの祖国愛が相乗していたことだ。浦和レッズに第85回天皇杯のタイトルをもたらしたFWトミスラフ・マリッチもドイツ生まれの元クロアチア代表だが、彼の故郷ヘイルブロンでインタビューした際に「ディアスポラ」としての熱量と葛藤を分かりやすく筆者に説明してくれた。
「私たちディアスポラは異国に住んでいるとはいえ、クロアチア人として育てられてきた。それだけにクロアチアという国には特別な感情を抱いているんだ。クロアチア生まれの人が祖国を愛するのは当たり前のこと。しかし、私たちディアスポラはクロアチアを愛しているけど、祖国には住んではいないという『痛み』が自分の中にあるんだよ。だからクロアチア代表のチャンスが与えられた時には自分をもっとアピールしようという気持ちになるんだ。クロアチアで生まれ、クロアチアリーグを経た選手たちはもともと祖国で知られているけど、私たちは祖国で最初は知られない存在だったわけだからね。
異国で生まれてきたがために祖国とは別の国のリーグでキャリアを築き始めなくてはならない。私はクラブでポジションを奪うために人一倍の力を振り絞って戦った。たとえ所属クラブがスター選手を獲得してきたとしても。ドイツにおいて私は子供の頃から外国人扱いだった。ここの法律は尊重しているし、ドイツ人のメンタリティも尊重している。クロアチアがクルブ(krv=血)を与えてくれた一方、ドイツがクルフ(kruh=パン)を与えてくれたことには感謝しているよ。しかし、ここでは外国人として振る舞わなくてはならなかった。つまり私の『我が家』はなかったということだ。そのようなメンタリティはクロアチアで生まれ育った選手たちとは異なるものだろう」
W杯準優勝の効果?20年後に訪れた「第二の波」
そして今、第二の「ディアスポラ」の波がバトレニに押し寄せようとしている。9月のU-21欧州選手権予選のクロアチア代表にバイエルンのDFヨシップ・スタニシッチ(21歳)とレッドブル・ザルツブルクのMFルカ・スチッチ(19歳)、ドルトムントのFWマルコ・パシャリッチ(21歳)がリストアップ。そのうちスタニシッチとスチッチは早くもステップアップし、10月のW杯予選でA代表デビューを実現した。準優勝に輝いたロシアW杯が「ディアスポラ」の祖国愛に再び火を点けたことは想像に難くないが、根底にはクロアチアサッカー協会(HNS)の長年にわたる戦略があり、そこに昨今のチーム事情やHNSの体制変化がうまく重なった。……
Profile
長束 恭行
1973年生まれ。1997年、現地観戦したディナモ・ザグレブの試合に感銘を受けて銀行を退職。2001年からは10年間のザグレブ生活を通して旧ユーゴ諸国のサッカーを追った。2011年から4年間はリトアニアを拠点に東欧諸国を取材。取材レポートを一冊にまとめた『東欧サッカークロニクル』(カンゼン)では2018年度ミズノスポーツライター優秀賞を受賞した。近著に『もえるバトレニ モドリッチと仲間たちの夢のカタール大冒険譚』(小社刊)。