ザグレブ出身でディナモ・ザグレブでプロデビューし、シュツットガルトでブレイクしたボルナ・ソサ。クロアチアの年代別代表の常連だった23歳が、EURO2020直前にドイツ代表への鞍替えを明言した。クロアチアで大騒動になった一件を同国のサッカー事情に詳しい長束恭行氏が解説する。
クロアチア人のシンボルというべき「シャホブニツァ」(紅白の市松模様)が鮮やかにデザインされた“聖なる”ユニフォームに袖を通し、国歌『美しい我らが祖国』を声高らかに唄えば、クロアチア代表の誰もが愛国心で奮い立った「もの」だ。なぜ過去形なのか?
「Welcome to the new age.」(新しい時代へようこそ)
Instagramでこんな自己紹介文を書いている若者が、クロアチア代表の既成概念をぶっ壊した。
わずか3カ月でドイツ国籍取得
ボルナ・ソサ。自慢のスピードで左サイドを切り裂き、ベッカム級と評される高精度のクロスを武器に、ブンデスリーガでアシストを量産するシュツットガルトの左ウイングバックだ。EURO2020開幕を1カ月後に控え、そんな彼がクロアチア代表からドイツ代表への鞍替えを表明した。国外で生まれ育ったクロアチア移民が民族的アイデンティティをたどり、クロアチア代表へと鞍替えすることは一般的だが、クロアチアの首都ザグレブで生まれ育ち、U-21クロアチア代表メンバーにも名を連ねる現有戦力が「他国のユニフォームに袖を通したい」と希望するなんて、まさに青天の霹靂だった。戦争を知らない子供たちによる「新しい時代」の到来だ。
クロアチア代表は90年代に活躍したロベルト・ヤルニ以降、左サイドバック(あるいはウイングバック)を信頼して任せられる真のタレントが出現していなかった。そんな中、名門ディナモ・ザグレブで頭角を現していた20歳のソサは、A代表未招集ながらもロシアW杯でクロアチア代表候補32名の枠に入る。2018年5月には移籍金600万ユーロでシュツットガルトと5年契約にサイン。ユースカテゴリーでは代表の常連で、A代表デビューも時間の問題とされていた。しかし、準優勝という成功体験に溺れ、世代交代に消極的なズラトコ・ダリッチ監督からはまったく声がかからず。レンジャーズで活躍するボルナ・バリシッチはまだしも、ダリオ・メルニャク(リゼスポル/トルコ)や年下のドマゴイ・ブラダリッチ(リール)に飛び越えられたことは屈辱だったに違いない。
そんな中、ドイツサッカー連盟のテクニカルディレクター、オリバー・ビアホフがソサに最初に接触を図ったのは3カ月前のこと。左サイドの人材不在に喘ぐドイツ代表にとって、母親がベルリン生まれという23歳のクロアチア人はうってつけのタレントだ。ビアホフから「君はドイツ代表の現在の戦力であり、未来の戦力だ。EURO2020に限らず、この先10~12年間のドイツ代表の戦力として考えている」という熱烈なラブコールにほだされ、ドイツ代表への鞍替えを決意。ドイツサッカー連盟があらゆる便宜を図ってくれ、ソサ本人が「最速」と認めるほどのスピードでドイツ国籍を取得した。あとはFIFAから代表国変更の認可を取り付けるのみ。この水面下の動きが初めて公になったのが5月7日のことだ。
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Profile
長束 恭行
1973年生まれ。1997年、現地観戦したディナモ・ザグレブの試合に感銘を受けて銀行を退職。2001年からは10年間のザグレブ生活を通して旧ユーゴ諸国のサッカーを追った。2011年から4年間はリトアニアを拠点に東欧諸国を取材。取材レポートを一冊にまとめた『東欧サッカークロニクル』(カンゼン)では2018年度ミズノスポーツライター優秀賞を受賞した。近著に『もえるバトレニ モドリッチと仲間たちの夢のカタール大冒険譚』(小社刊)。