クラシカルなCBの最高峰デサイーとモダンなMFの先駆者バラック。新旧チェルシーを代表する2人の名優
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2003年のロマン・アブラモビッチオーナー就任を機に一躍欧州を代表するビッグクラブへとのし上がったチェルシー。そのアブラモビッチ到来前後にクラブの中心として活躍したマルセル・デサイーとミヒャエル・バラック、2人のレジェンドをクラブの足跡とともにプレーバックする。
チェルシーを変えたロシア人
ロンドンでも裕福なキングス・ロードのクラブ、しかし同時に凶暴なフーリガンで悪名をも轟かせたチェルシーを一変させたのは「謎のロシア人オーナー」だった。財政破綻寸前、プレミアリーグから降格するはずのクラブを救ったロマン・アブラモビッチは当時、世界5指に入るといわれた大金持ち。なぜチェルシーのオーナーになったのか動機は謎だったが、サポーターにとっては大恩人である。
スタンフォードブリッジにはロシア民謡が大音量で流れ、「チェルスキー」と大書されたTシャツを着たファンは音楽に合わせて踊っていたものだ。クラブを救ってくれたのが日本人なら、阿波踊りだって踊っただろう。
マンチェスター・ユナイテッドのオーナーになったマルコム・グレーザーのケースとは対照的と言える。米国人のオーナーシップに反対するサポーターたちはFCユナイテッド・オブ・マンチェスターを設立。「魂を売った」クラブに対するコアサポーターの反発だった。
グレーザーはユナイテッドを投資対象としていた。つまり金儲けの対象としていたのに対し、アブラモビッチはただ散財するためにオーナーになっている。少なくともファンにはそのように見えた。ファンにとってはサンタクロースであり、宝くじに当たったようなものだった。新オーナー就任からチェルシーは怒涛の補強を開始し、あっという間にプレミアの強豪にのし上がる。「良い選手は買えるが良いチームは金では買えない」というサッカー界の格言を覆した最初の例と言えるだろう。
マルセル・デサイーがスタンフォードブリッジにやって来たのは、アブラモビッチより前のケン・ベイツの時代である。ベイツは負債まみれのチェルシーを1ポンドで買い取り、プレミアリーグのトップ6に押し上げ、FAカップやカップ・ウィナーズカップをもたらした。同時に強引な経営手法や奔放な言動で物議を醸したお騒がせ会長でもあった。
デサイーはピエルルイジ・カシラギ、ブライアン・ラウドルップ、アルベルト・フェレールらとともに1998年の夏、ワールドカップチャンピオンとして加入している。
ベイツはキングス・ロード界隈の中産階級をターゲットに、ジャンルカ・ビアリやジャンフランコ・ゾラなどイタリア人のスターを獲得。イタリアン・レストランなどの経営で成功した中産層を新たな客層として取り込み、1970年代のフーリガンのイメージを一変させた。1998-99シーズンには、キャプテンのデニス・ワイズを除く全員が外国籍選手という補強策でチームの順位を押し上げたが、同時に財政破綻を引き起こした。その窮地を救ったのがアブラモビッチだったわけだ。
無双の壁
デサイーはガーナの首都アクラの生まれだが、育ったのはフランスのナントだ。ナントのユースでプレーしてトップリーグにデビュー、1992-93シーズンにマルセイユに移籍。このシーズンのリーグ5連覇とCL初優勝に貢献したが、国内リーグの買収問題発覚からチームは2部へ降格。1993年11月にミランへ移籍した。ミランでも1993-94にCL優勝。個人的なCL連覇だった。
ミランではMFとしてプレーしたが、本来のポジションはCBだ。フランス代表でも鉄壁のCBだった。ローラン・ブランとのコンビで1998年ワールドカップ優勝の原動力となっている。この頃のデサイーがまともに抜かれるシーンを見た記憶がない。ロマーリオ、ロナウド、アレッサンドロ・デル・ピエーロ、ダボール・シュケルなど名だたるFWもデサイーを通過することはできなかった。1対1の守備力に関しては史上最強クラスだろう。
チェルシーに加入した1998年はまさにピーク。 フランク・ルブーフとのコンビで堅守を築いた。デサイーはまさに壁だったが、ボール扱いやパスに特別に優れた能力はない。技術に優れたブランやルブーフと組むことで完璧なペアになっていた。対人能力に際立っているストッパータイプと、カバーリングと配球の巧いリベロタイプの組み合わせは当時のスタンダードでもあった。現在はCBの2人ともストッパーとリベロを合体させたタイプになっているので、その点でデサイーは旧式であり現在ではむしろ数少ないスペシャリストだったといえる。
瞬間的なスピードとパワーは凄まじく、デサイーほど強靭なCBはいなかった。それについては圧倒的にスペシャル。無双のDFだった。
万能の新皇帝
新オーナー、アブラモビッチは惜しげもなく1億ポンド(約140億円)の補強費用を出している。しかし、その割に獲得選手はビッグネームというより意外と堅実な即戦力だった。ウェイン・ブリッジ、ダミアン・ダフ、ジョー・コール、グレン・ジョンソン……最後にエルナン・クレスポ、ファン・セバスチャン・ベロン、クロード・マケレレ、アドリアン・ムトゥが移籍期限ぎりぎりで滑り込んでいるが、当初期待されたようなスーパースターではない。
ジョゼ・モウリーニョ監督を招へいした後は、監督やダイレクターのピーター・ケニオンの意向もあって現場の声が反映された、見方によっては地味な補強が続いた。ある意味、移籍市場の話題をさらうような補強は2006-07シーズンのアンドリー・シェフチェンコとミヒャエル・バラックぐらいだった。
ウクライナのスーパースター、シェフチェンコがオーナーの要望だったことは容易に想像がつくが、バラックの方はよくわからない。ドイツの「新皇帝」はフリートランスファーでバイエンから加入している。
カイザースラウテルンでブレイクし、レバークーゼンではCL準優勝の原動力となった。バイエルンでは絶対的な中心として活躍。190㎝近い長身と頑健な体格、両足を同じように使え、長短の正確なパス、運動量、守備力、得点力とすべてを兼ね備えた逸材である。
初代「皇帝」のフランツ・ベッケンバウアーと同じく、バラックもフィールドに君臨するリーダーだったが、よりパワフルなイメージだ。チェルシーらしい選択と言えるかもしれない。ディディエ・ドログバ、ジョン・テリー、アリエン・ロッベン、フランク・ランパードなど、パワー、スピード、運動量といった違いはあるがいずれもフィジカル能力に傑出した人材をそろえていた。
技巧と身体能力を兼ね備えた万能のバラックは、ボランチでもトップ下でも効果的なプレーができる。利き足の右でのパワフルなミドルやFKからのゴールばかりでなく、ヘディングと左足の得点が多い。左足はボレーシュートも巧く、子供時代から両足利きとして有名だったそうだ。
チェルシーでは最初のシーズンに足首を負傷して8カ月の戦線離脱を余儀なくされたが、その後完全復活を果たしてチームに不可欠な存在として活躍した。
レバークーゼン時代の2001-02シーズンにブンデスリーガ、DFBポカール、CLのすべてに準優勝、2002年ワールドカップも準優勝とシルバーコレクターのイメージがついてしまったが、バイエルンでは7つのトロフィーをもたらし、チェルシーでも2009-10シーズンのプレミアリーグ優勝の他、FAカップに3度優勝している。
威風堂々としたプレースタイルは皇帝のニックネームにふさわしく、ドイツ代表ではタイトルに恵まれなかったが、初の東ドイツ出身のキャプテンとしてチームを引っ張り続けた。
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驚異的な対人守備能力でレ・ブルーとブルーズの最終ラインに君臨したクラシカルなCBの最高峰マルセル・デサイーと、攻守にオールラウンドな能力でゲームを掌握した“小皇帝”ミヒャエル・バラック。チェルシーのクラブ史に名を刻む2人の名手が、大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム「プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド」(サカつくRTW)に登場!
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<商品情報>
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Photos: Getty Images
Profile
西部 謙司
1962年9月27日、東京都生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、会社員を経て、学研『ストライカー』の編集部勤務。95~98年にフランスのパリに住み、欧州サッカーを取材。02年にフリーランスとなる。『戦術リストランテV サッカーの解釈を変える最先端の戦術用語』(小社刊)が発売中。