デル・ピエーロとインザーギ。短くも強く輝いた“デル・ピッポ”の煌めき
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驚異の嗅覚で次々とゴールを陥れたクラシカルなゴールゲッターの代表格フィリッポ・インザーギと、万能型のファンタジスタとして一時代を築いたアレッサンドロ・デル・ピエーロ。“デル・ピッポ”がわずかな期間ながら交わったユベントスでの4シーズンに思いを馳せる。
デル・ピッポ
2人が2トップを組んだ期間は意外と短い。ピアチェンツァ、レッフェ、エラス・ベローナ、パルマと渡り歩いたフィリッポ・インザーギはアタランタでセリエA得点王に輝き、ユベントスに来たのが1997-98。フルシーズン、コンビを組んだのはこの1シーズンだけなのだ。
デル・ピッポの時代は4シーズンあるが、どちらかが負傷している期間があり、1999-00にはダビド・トレゼゲが加入してインザーギは出番を減らしている。ただ、イタリア代表でもアレッサンドロ・デル・ピエーロと2トップを組んでいたので、デル・ピッポは印象深いコンビだった。
1歳違いの2トップのプレースタイルは対照的だ。インザーギは「オフサイドポジションで点を取る」と言われたように、至近距離から盗みとるようなゴールを得意としていた。一方のデル・ピエーロは、「デル・ピエーロ・ゾーン」と呼ばれた左45度付近からファーポストへ決めるループ気味の美しいゴールがトレードマーク。稀代のテクニシャンで正確無比なシューターだった。
2トップは、あまり似過ぎていると失敗する。2人とも同じタイプだと、いわゆるキャラが被る現象が起きてしまい、互いのプレーを邪魔し合う形になりがちなのだ。定番は長身のターゲットマンと裏への飛び出しを得意とする俊敏なセカンドトップの組み合わせ。2トップ全盛時のブラジルは判で押したようにこの組み合わせだった。
ストライカーには自分の形がある。得意なパターンに持っていこうとする。だから相棒はまったく違うタイプの方がいい。「俺はこうする」と、初顔合わせで宣言する選手はけっこういる。自分のスタイルを相手に理解させないと、自分の領域を侵食されてしまう心配があるからだ。それで飯を食っている、これでのし上がってきた、そういうプライドがあるのだ。
ピッポとアレックスのコンビには、そんな心配は皆無だった。被りようがないぐらいキャラクターが違っていたからだ。それでいて、この2人は妙に波長が合っていた。互いの領域を邪魔しないだけでなく相乗効果があった。
2トップの定番とは、2人とも微妙に違っていた。インザーギは長身というほどではなく、細身でスピードはあったがターゲットマンではない。デル・ピエーロもスピードで裏抜けするよりも、サイドへ開いたりバイタルエリアに潜り込んでパスを受けるタイプで、典型的なセカンドトップではなかった。それがかえって相性の良さに繋がったのだろう。
裏を狙うのはむしろインザーギ。インザーギのランで相手ディフェンスラインが下がることで、デル・ピエーロが足下でパスを受けるスペースができる。そこから2人の素早いコンビネーションでフィニッシュへ持っていくパターンもあった。2人とも俊敏で、カウンターアタックは電光石火。ジネディーヌ・ジダンのキープ力も相まって、ユベントスのカウンターは抜群のキレ味だった。
ストライカーの吸引力
アレックス・ファーガソンはインザーギを「オフサイドポジションで生まれた男」と言ったそうだ。
もしかしたら、当時VARがあったらインザーギの得点は半分ぐらいに減っていたかもしれない。オフサイドぎりぎりで飛び出してのゴールは得意中の得意。ぎりぎりオンサイドというより、ぎりぎりでオフサイド。実際、オフサイドを取られることも多かったが、本人はまったく気にしていない。確信犯だからだ。
オフサイドだからマークを振り切れていて、至近距離なのでシュート技術もさほど高度なものは必要ない。頭でも足でも、手以外のどこかに当てて入れてしまえばいいだけだ。2006-07シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ決勝では2得点でMVPに選ばれているが、そのうち1点には「ハンド」の疑いさえあった。
ここというタイミングで、シュートを決められる場所にいること。得点感覚はよく「嗅覚」と表現されるが、インザーギほど鼻が利くストライカーもいない。
よく比較されるゲルト・ミュラーとは体型もプレースタイルも異なるが、嗅覚というところは確かによく似ていた。1974年ワールドカップ決勝のスコアは2-1だが、本当は3-1だった。西ドイツのエースだったミュラーは「トータルフットボール」のオランダを下す決勝点を決めているが、オフサイドで取り消された幻のゴールもあったのだ。スローで見ると、ぎりぎりでオンサイドだった。
インザーギの場合も、当時はスロー再生すると「オフサイドだな」と思えることが多かったものだが、VARなら意外とオンサイドということもありそうである。それほどぎりぎりを常に狙っていた。
インザーギは「パスを出す選手とタイミングを合わせることが大事」と言っているが、パサー側から見ると、おそらくパスのタイミングと場所がわかりやすいタイプだったと思う。
パスを引き出す動きが巧い選手には吸引力があって、出し手側には「そこ」へ吸い込まれるようにパスを出してしまう感覚があるものなのだ。インザーギからすれば、どんぴしゃのパスをくれたという感想かもしれないが、出し手側は巧く引き出してくれたという感覚ではないか。
デル・ピエーロやジダンのパスは確かに精度が高かったに違いないが、それ以上にインザーギがいいタイミングでいい場所にいたのだ。
ファンタジスタでバンディエラ
デル・ピエーロもいつもぎりぎりを狙っていた。こちらはポストぎりぎりのシュートだ。
右足の内側にひっかけて右上隅を狙うシュートが有名だが、右足のキックの精度はまさに職人芸。「デル・ピエーロ・ゾーン」の凄さは、ポストの外側からシュートがゴールへ入って行くところだ。
GKはゴールの大きさを体で知っている。シュートが打たれた瞬間に、これは外れる、これはポストに当たる、とわかるぐらいゴールのサイズを感覚的にわかっている。だから「外れる」と感じれば手は出さない。外れたはずのシュートが枠に入ってくるのは、洗練されたGKほど厄介なのだ。
ボールタッチは絶品、ドリブルは柔らかくてキレもあり、右だけでなく左足のシュートも巧い。ペナルティエリア左角付近の「ゾーン」に入れば、デル・ピエーロを止めるのは難しかった。
特別に速い印象はないが、右回りも左回りもスムーズで動きに無駄がない。ボールタッチにも無駄がないので結果的に速かった。「ファンタジスタ」ではあるが、よりゴールゲッターに近い。コンビネーションでも単独でもゴールを狙える万能型だった。
カルチョ・ポリでユベントスが降格した時にマンチェスター・ユナイテッドからのオファーを蹴ってセリエBでプレー、チームを昇格に導くとともに得点王も獲った。昇格後の2007-08シーズンはセリエAの得点王。21ゴールはインザーギとコンビを組んだ1997-98以来の自己タイ記録だった。
デビューはセリエBのパドバだったが、その後はユベントスでエリートコース。デル・ピエーロがセリエBで再びプレーしたのは意外だったが、その時の体調管理が実ってセリエAで初の得点王となり、チームの苦境を救って真のバンディエラとなった。逆境をはねのけて高みに上る強さは、セリエCからたたき上げてきたインザーギと、どこか通じるものもあったかもしれない。
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身体能力は高くなかったものの、巧みなオフ・ザ・ボールの動きでDFを出し抜きゴールネットを揺らす点取り屋インザーギと、イマジネーションと確かなスキルを駆使し、“デル・ピエーロ・ゾーン”からゴールへの橋を架けたデル・ピエーロ。異なるスタイルを持つ2人のストライカーが、大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム「プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド」(サカつくRTW)に登場!
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<商品情報>
商品名 :プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド
ジャンル:スポーツ育成シミュレーションゲーム
配信機種:iOS / Android
価 格 :基本無料(一部アイテム課金あり)
メーカー:セガゲームス
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Profile
西部 謙司
1962年9月27日、東京都生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、会社員を経て、学研『ストライカー』の編集部勤務。95~98年にフランスのパリに住み、欧州サッカーを取材。02年にフリーランスとなる。『戦術リストランテV サッカーの解釈を変える最先端の戦術用語』(小社刊)が発売中。