延期となっていた2019-20シーズンのコパ・デルレイ決勝で、同じバスクのライバルであるアスレティック・ビルバオを下し33年ぶりの戴冠を遂げたソシエダ。彼らの特筆すべき点は、なんと16 人ものカンテラーノがトップチームでプレーしている点だ。下部組織から次々と戦力を送り出せる理由とは? ロベルト・オラベSD にその秘訣を聞いたインタビューを特別掲載。
※『フットボリスタ第81号』より掲載。
── 今トップチームが首位(インタビュー時点)を走っていますが、この成功はカンテラの成功だと言っていいのでしょうか?
「クラブのモデルは、歴史的に一つの明確なフィロソフィに支えられてきた。それは自らの資源を活用する、タレントの育成を信じるということだ。確かに今現在の成功、それを成功と呼ぶのは早過ぎるかもしれないが、トップチームに16人の我われのアカデミー出身者がいること、その他にもトップチーム入りの準備をしている大勢の若者がいること、育成の好調はクラブの安定にとって重要な一つのカギとなっている。それはクラブ全体の努力、フィロソフィ、モデルの延長線上にあるものだと思う。フィロソフィ分野を担当する会長と取締役会から、戦略担当の各分野の指揮組織、オペレーション担当の現場までね」
── ただ、90年代や2000年代の初めまではトップチームには多くの外国人選手がいました。その当時から何か育成方針に変更があったのではないですか?
「いや、そうではないと思う。確かに歴史を振り返れば導きの糸を失った時もあった。しかし、このクラブは100%育成組織出身者でリーグを制覇したこともある。それからいろいろルールに変化があった。最初は選手の永久契約の禁止、次に外国人選手が現れ、さらにボスマン判決があった。そういう変化にクラブのフィロソフィとモデルは、エリートクラブであり続けるために適応する必要があった。今の我われの戦略は、アカデミーの80%を地元のギプスコア県出身者、20%をそれ以外の出身者で構成することと、彼らを育ててトップチームの最低60%をアカデミー出身者、40%をそれ以外の地域から獲得した選手で構成することだ。アカデミーの80%対20%によってトップチームを60%対40%にすることが目標。外部からの選手が多かった時代は、その時たまたまそうだったというだけ。我われは地元のタレントを育てることを強く信じている。育成がうまくいけばいくほど外部補強は少なくなる」
── その県外の20%というのはどこから来た選手ですか?
「提携関係にあるクラブから来た選手が多い。育成施設スビエタには国境はない、というのが我われの考え方。地元(ギプスコア県)はわずか人口70万人ほどだが、そこの出身者が80%を占めることを非常に大切している。なぜなら、その80%が我われのDNA作りを担う者だからだ。このギプスコア県のタレントを育てるというプロジェクトには、県全体の学校や公の組織、クラブが参加しており、そこの選手たちは地元に強いアイデンティを感じている。それ以外の20%は県外の提携クラブからも来るだろうし、世界中どこからでもやって来る可能性がある。我われは80%には最高のタレント育成プランを適用し、20%には最高の選手を連れて来て我われのプログラムに組み込みたいと考えている」
── その20%もスビエタは通過するわけですよね?
「そうだ。最低3年間はスビエタで育てたいと思っている。そうすれば、我われの育成プランに組み込まれたと考えている。その20%には年齢も関係している。12歳はギプスコア県出身者だけ、14歳以降は県外のアラバ県、ナバーラ県、ラ・リオハ州、南フランス出身者を集め始め、16歳以降はスペイン全土にも視野を広げ、18歳は全世界に目を向ける。まとめると12歳は地元だけ、14歳から隣接県や隣接地域のテクニカルセンター出身者が加わり、16歳からは国内全体に、それ以降は全世界に開かれている、というわけだ」
── 非常に緻密で系統立ったプランですね。
「その通り。我われの育成プランには5本の柱がある。それは①セレクションとリクルーティング、②練習、③試合、④評価、⑤教育だ。この5本の柱をベースとして組まれた育成プランでタレントを育て、トップチームに送り込みたいと思っている」
地元社会に適合する子供を育てる
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Profile
木村 浩嗣
編集者を経て94年にスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟の監督ライセンスを取得し少年チームを指導。06年の創刊時から務めた『footballista』編集長を15年7月に辞し、フリーに。17年にユース指導を休止する一方、映画関連の執筆に進出。グアルディオラ、イエロ、リージョ、パコ・へメス、ブトラゲーニョ、メンディリバル、セティエン、アベラルド、マルセリーノ、モンチ、エウセビオら一家言ある人へインタビュー経験多数。