「トッテナム戦のディナモには期待してください」――クロアチアサッカーを追い続けているジャーナリストの長束恭行氏は、試合前から編集部に自信のほどを伝えていた。なぜ、奇跡は起きたのか。ディナモ・ザグレブの長い愛憎の物語――サッカーには対戦相手にもドラマがある。
国内無敵のディナモ・ザグレブが欧州カップで恥をさらしていた頃、熱狂的なサポーターグループ「バッド・ブルー・ボーイズ」(BBB)のメンバーである友人マティヤに「こんなディナモをどうしたら愛せるんだ?」と尋ねたことがある。彼は沈思黙考したのち、苦笑いを交えながら答えた。
「世間一般では『出来の悪い子ほどかわいい』なんて言うだろう? それと同じかもな」
マミッチ兄弟による支配からの脱却
新10番のルカ・モドリッチが3年ぶりの優勝をもたらした05-06シーズン以来、ディナモはクロアチアリーグで11連覇を達成してきた。国内ではれっきとした優等生なのに、CLやEL(UEFAカップ含む)で西欧クラブを相手にするとコンプレックスが災いし、ナーバスな試合を展開。ヴァイッド・ハリルホジッチが電撃的に監督就任し、グループステージ突破が現実的になりかけた年もあったが(10-11シーズンのEL)、最終節のPAOK戦をホームで勝ち切れず、またして煮え湯を飲まされた。クラブの念願は69-70シーズン以来の「欧州の春」。失態や悪運が重なり、年を越す前に敗退を強いられると「もはや呪いではないのか」と周囲でささやかれていた。
欧州で勝てないチームを作った元凶は、クラブを牛耳るマミッチ兄弟の存在だ。兄ズトラブコは取締役会長、弟ゾランはスポーツディレクターの立場で現場介入し、代表チームをも利用した移籍ビジネスで私腹を肥やしてきた。注目選手を片っ端から売った挙げ句、連覇中の11年間において監督交代はなんと18回(最長がゾラン本人が務めた2年7カ月)。継続的なチーム作りは到底無理な話で、クラブを私物化する兄弟に対し、過激派のBBBはあらゆるトラブルを犯してきた。
潮目となったのは2018年6月6日。移籍金横領や脱税の罪でマミッチ兄弟がオシエク地方裁で有罪判決を受けると、懲役6年半を求刑されたズトラブコは国内法の及ばないボスニアに逃亡。懲役4年11カ月のゾランは刑務所行きを免れたものの(地方裁判決では懲役5年以上の求刑で法的効力が発生)、新たに監督業を営む中東の地に足止めとなった。とりわけ、サッカー協会幹部として代表チームに随行し、現場の重圧になっていたズドラブコの不在は、直後のW杯準優勝に影響したと言っても過言ではない。証人として裁判に巻き込まれ、偽証罪の疑いで世論の非難を浴びたモドリッチがのびのびとロシアの地でプレーしていたのが印象的だった。
救世主ビエリツァの下で「欧州の春」を達成
ディナモの内部にも新たな潮流が生まれた。2018年5月、オーストリアやイタリア、ポーランドで実績を積んできたネナド・ビエリツァが新監督に就任。それぞれの国で彼の審美眼に合った無名の実力派を連れてきて18-19シーズンの2冠を達成しただけでなく、フェネルバフチェやアンデルレヒトが同居するELを見事にグループ1位で通過。49年ぶりの「欧州の春」にザグレブは大きく沸いた。
ビエリツァ監督の特徴は「欧州仕様」の戦術としてトランジッションとカウンターアタックに磨きをかけたことだ。選手掌握にも長けた彼は巧みにターンオーバーを操り、セリエAで燻る技巧派の長身FWブルーノ・ペトコビッチや韓国Kリーグから逆輸入した高速ウインガーのミスラフ・オルシッチを代表レベルにまで向上させた。ディナモが仕上げの育成を施したMFダニ・オルモの急成長もあり、勝負強いチームが完成した。マミッチ兄弟の不在でビエリツァが仕事に集中できたのもあるし、W杯の成功体験でクロアチア国民のコンプレックスやリミッターが外れたことも影響したのだろう。ノックアウトステージに入るとラウンド32のビクトリア・ピルゼンを乗り越え、次のラウンドではベンフィカを追い詰める大善戦。延長戦で散ったとはいえ、「ベスト16」という新たなマイルストーンを置くことに成功した。
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Profile
長束 恭行
1973年生まれ。1997年、現地観戦したディナモ・ザグレブの試合に感銘を受けて銀行を退職。2001年からは10年間のザグレブ生活を通して旧ユーゴ諸国のサッカーを追った。2011年から4年間はリトアニアを拠点に東欧諸国を取材。取材レポートを一冊にまとめた『東欧サッカークロニクル』(カンゼン)では2018年度ミズノスポーツライター優秀賞を受賞した。近著に『もえるバトレニ モドリッチと仲間たちの夢のカタール大冒険譚』(小社刊)。