今、サッカー界では多くの日本人選手が欧州のトップリーグで活躍している。だが、彼らは国外でチャレンジしている選手のほんのひと握りでしかない。欧州での成功を目標に、日本ではスポットライトの当たることのない下部リーグからキャリアアップを目指している選手が数多くいる。2014年にドイツへ渡り、現在も5部リーグでプレーを続けている蛭子順平もその一人だ。高校時代には名門国見高校で主将を務めた30歳のDFはどんな想いを胸にドイツへと渡り、どんなキャリアを歩み、そして何を感じたのか。現地ドイツで彼と知り合い、その挑戦を見てきたフットボリスタ・ラボの居町敬祐さんが、知られざる挑戦について話を聞いた。
――初めに、日本での選手キャリアを教えてください。
「高校は国見高校で、1年生の時にプリンスリーグで数試合に出場し、2年生になってからはプリンスリーグなどでコンスタントに出場機会を得ていました。3年生の時はキャプテンを務めレギュラーでしたが、全国高等学校サッカー選手権の県大会準決勝で長崎日大に敗れてしまい悔いの残る3年間でした。卒業後は国士舘大学に進学します。1年生時はBチームでIリーグを戦い、2年生の時はトレーニングはトップチームで、ゲームでは引き続きBチームでプレーしました。3年生からの2年間はトップチームで関東大学リーグを戦い、4年生の時には副キャプテンを務めました。学業では保健体育の教員免許を取得しています。卒業後は、一番熱意を持ってオファーしてくださったアミティエ京都SC(現おこしやす、京都AC)で1年間、お世話になりました」
――その後、ドイツでの挑戦をスタートさせます。きっかけは何だったのでしょうか?
「小学生の時に長崎県選抜で一緒だったチームメイトが大学卒業後ドイツに渡っていて、彼からいろいろ話を聞いていたんです。海外でやってみたかったという気持ちはありましたし、チャレンジしたいという一心で決めました。その彼を通じてゲルト・エンゲルスさんと連絡を取ってドイツでの所属先を決めるためのトレーニングに参加し、1年目(2014-15シーズン)は6部のSG Germania Burgwartに所属することが決まりました」
ドイツ下部リーグでの挑戦
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居町 敬祐
1989年生まれ、大阪在住。子供の頃からF1オタクでアイドルはアイルトン・セナ。サッカーとの出会いは大学生の時で、イングランドに2度一人旅してサッカーの虜となる。2017-18シーズンの1年間、ワーホリでドイツへ渡り、地域リーグで活躍する日本人サッカー選手や裏方スタッフを取材。現在はスポーツ界で活動できるよう、動画編集や撮影を勉強中。サッカーをはじめスポーツにおける文化やコミュニティ、アナザーストーリーの発信者を目指しています。twitter:@Keiimachi