コロンビア1989 PARTE 5
無法の法
ファウスティーノ・アスプリージャの電話が鳴った。
「チラベルトを殺すけど、いいよな?」
「え、なんだって!?」
「チラベルトを殺す」
「なっ……いいわけねーだろ!!」
電話をかけてきたのは麻薬組織に属する男で、アスプリージャとは顔見知りだ。コロンビアはフランスワールドカップ南米予選でパラグアイと対戦、アスプリージャはパラグアイのホセ・ルイス・チラベルトと乱闘騒ぎを起こして2人とも退場になっていた。電話の男はどうやらチラベルトが許せないらしい。
「ふざけるな、絶対にダメだ。いいか、絶対ダメ! そんなことしたら全部ぶち壊しだぞ。フットボールのことはフィールドがすべてなんだ。そこで終わりだ。外へ持ち出すな」
アスプリージャは必死に説得した。
「誰がやってくれと言った? 俺は頼んでないぞ。俺のためなら絶対やるな」
電話の男は、これでもいちおう仁義は通している。すでにパブロ・エスコバルはこの世にいなかったが、その流儀は多少なりともまだ残っていたわけだ。エスコバルがコロンビアの裏社会を牛耳っていたころ、殺人には許可が必要だった。法律違反の限りを尽くしていた連中だが、国家が定めた法律とは別の法が存在している。エスコバルが許可した殺人は彼らの間では合法だったが、許可のない殺人は厳しく処罰されていた。……
Profile
西部 謙司
1962年9月27日、東京都生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、会社員を経て、学研『ストライカー』の編集部勤務。95~98年にフランスのパリに住み、欧州サッカーを取材。02年にフリーランスとなる。『戦術リストランテV サッカーの解釈を変える最先端の戦術用語』(小社刊)が発売中。