コロンビア1989 PARTE 2
「パチョ、もう1回ナシオナルでプレーしないか?」
それは、ルイス・クビジャから“パチョ”マツラナへの「最後通告」とも取れる。1982年、フランシスコ・マツラナはデポルテス・トリマというクラブで32試合プレーし、これを最後に引退するつもりでいた。歯科医との二足の草鞋を脱ぐ時が来たと思っていた。
「今の俺にナシオナルで何ができると?」
「引退するのか。じゃあ、ユースチームのコーチをやらないか」
なぜ、クビジャの2つめの提案に応じたのかはよくわからなかった。マツラナは選手時代のピークをナシオナル・メデジンで過ごした。10年間在籍してリーグ優勝も2度経験。午前のトレーニングに参加し、午後は歯科医として患者を診察するという生活を続けていた。プロフットボーラーは一生続けられる仕事ではない。いつか終わりの時が来るが、マツラナには平行して進むもう1つの人生があったわけだ。1つが終わっても、もう1つは続く。当然、歯科医として生きていくつもりだった。
プロフットボーラーとしてデビューしたナシオナルでの最初の監督はユーゴスラビア人のウラジミール・ポポビッチだった。次はアルゼンチン人のオズバルド・スベルディア、1968年にエストゥディアンテスを世界一に導いた名将だ。エストゥディアンテスはタフでラフな当時のアルゼンチンを象徴するチームで、ファウルで相手のキープレーヤーを抑え込む戦い方は多くの批判も浴びたが、彼のチームでプレーしたカルロス・ビラルドはスベルディアのスタイルを受け継いで1986年ワールドカップ優勝を勝ち獲っている。……
Profile
西部 謙司
1962年9月27日、東京都生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、会社員を経て、学研『ストライカー』の編集部勤務。95~98年にフランスのパリに住み、欧州サッカーを取材。02年にフリーランスとなる。『戦術リストランテV サッカーの解釈を変える最先端の戦術用語』(小社刊)が発売中。