「一生懸命に頑張ること」≠「無理をすること」子どもたちの成長を阻む“過密日程”
中野吉之伴の「育成・新スタンダード」第5回
ドイツで15年以上にわたり指導者として現場に立ち続け、帰国時には日本各地で講演会やクリニックを精力的に開催しその知見を還元。ドイツと日本、それぞれの育成現場に精通する中野吉之伴さんが、育成に関する様々なテーマについて提言する。
第5回は、サッカーにおけるコンペティションの過密日程や普段のトレーニングはもちろん、日常生活に至るまで。何もサッカーに限った話ではない、日本の子どもたちの“過密スケジュール”問題を考える。
日本の子どもたちのスケジュールって大丈夫だろうか?
1月に日本に一時帰国した時に、各地でサッカークリニックや指導実践などを行ってきたが、子どもたちのスケジュールを聞くとやっぱり驚かされる。とにかく忙しい。次から次へと次の予定が入っている。毎日の学校の他に、サッカーの練習、スクールの練習や他の習い事、塾……。週間スケジュールを見せてもらったら、ほとんどが塗りつぶされているんじゃないだろうか。特に都心部では、家でゆっくりできる時間っていったいどれくらいあるんだろうと心配になってしまう。
でも、それがおそらく一般的だということは、多くの大人は問題ないと思っている。そして子どもたちはちゃんとできているから大丈夫だと思っている。
では、なぜそんなにスケジュールがギュウギュウなのか。大人側の主張としては「子どもたちに成長してもらいたい」と思っているからではないかと思うのだが、これは合ってるだろうか。ここがそもそも違うなら、もうどうしようもない。
成長していく選手もいる2つの理由
成長してもらいたい。子どもたちが成長するサポートをしたい。だから可能な限りスケジュールを埋めて、成長の機会を作ってあげる――こういう思考図式になるのだろう、おそらく。
人はどうすれば成長するのか。果たして成長メカニズムをしっかりと理解しているだろうか。
負荷(練習や勉強に取り組む)→ 疲労(パフォーマンスの低下)→休養(コンディションの回復)→向上(パフォーマンスの向上)→負荷
大雑把に言ってこうしたサイクルが必要だ。練習などで疲れたところで十分な休養を取ることで回復し、負荷をかける前よりも全体的な能力が向上していく。理想的には1回ごとの練習に可能な限り全力で取り組み、ヘトヘトになり、でもちゃんと次の練習まで休める時間が取れること。能力の向上という点で見れば、それが一番効果が出る。
ただ、多くの場合、休養が十分に取れていないまま、つまりコンディションが回復し切る前、パフォーマンスレベルが向上する前に新しい負荷をかけてしまうので、極端な話コンディションとパフォーマンスのレベルは下がっていく。ケガも増えるし、集中力、モチベーションもなくなっていく。加えて成長期の子どもたちには、成長に回すだけのエネルギーが必要だ。それなのに体の中に貯蔵されているエネルギーを使い切ってしまうようなスケジュールでは、回復することで精一杯になってしまう。
走り込みをやっているチームは「そうすることで体力と気力が身につく」という。確かにそれで成長していく選手もいる。理由は2つで、一つはその選手が持つ潜在的に持つキャパシティレベルが高いので、対応することができる。選手の成長には個人差がある。中には大人顔負けの持久力を持っている子もいる。だからできているように見えるし、逆にできていない子は頑張っていないからという見方をされてしまう。
もう一つの理由は、エネルギーを使い切らないように子どもたちが体力を温存しながらやっているから。人間は身体の構造上、100%近いパワーでプレーができる時間と頻度は限られている。だから全力で取り組んでしまうと、先に述べたように十分な、具体的に言えば24~72時間の休養時間が必要になる。でも、そんな休みの時間はない。となると、一つひとつの練習や試合ではある程度力をセーブした状態でプレーしなければならなくなる。やればやるほどうまくなったり強くなったりはしない。
スケジュールが埋められれば埋められるほど、一つひとつのことを“こなそう”とせざるを得なくなる。でもそれは、本来願っているはずの成長と真逆の方向性ではないだろうか。普段70~80%の力で取り組んでいて、大事な試合で100%出せるだろうか? それが成長に繋がるのか?
それに、子どもたちには目に見える予定だけが大事なのではない。家で一人でボーっとする時間、学校が終わった後で友達とふざける時間、テレビを見る時間、友達と時間を気にせず遊ぶ時間、家族で過ごすだんらんの時間、兄弟で遊ぶ時間、寝る前に部屋で本や漫画を読む時間――すべてがかけがえのない時間ではないか。そうした余白の時間をどれだけ取れているだろうか?
スケジュール通りこなせるようになることが成長に繋がるわけではない。伸びしろのある余白の時間を大事にしながら、一つひとつのスケジュールに集中して、可能な限り100%の力で臨めるような生活サイクルを作ることが大切なのだ。子どもだけではない。頑張る時間、遊ぶ時間、休む時間。私たち大人だってそうなのだ。
そうした過密日程というのは日常生活だけではなく、大会形式にも見られる。例えば高校選手権はどうだろう?
“選手ファースト”の意味
もし私が「選手権の存在意義を問う」と、そんな見出しで話をし出したら、「何を大げさな」とか「何てことを言うんだ」という声がたくさん聞こえてくるかもしれない。それこそ今、日本サッカー において高校選手権はメインコンテンツの一つと言っていいほど人気があるのだから。各会場には何千何万とお客さんが詰めかけ、決勝戦になると5万人以上が来場。日本スポーツ界全体で見ても、最も注目させる試合の一つといっても過言ではないかもしれない。
でも、「だから」それで問題ないのか、というとそれもまた違うのではないだろうか。高校という育成年代を取り扱う大会として見た時、そこには適切な意図と意義が整理されている必要がある。今の大会形式で、選手が本当に全力で臨むことができるだけの準備がされているだろうか。
既存の日程に対応できるように選手が無理をすることを求める声があったりするが、いや、選手の体を考慮した日程にする方がよっぽど大切なのではないだろうか。「そうはいっても、日程上難しいんです」というんだったら、そもそも大会の仕組みそのものに無理があるということではないか。
そんな中、2年後の2021年度大会から形式がリフォームされるという。日本サッカー協会と全国高校体育連盟が“選手ファースト”の考えから「高校生年代だったら45分ハーフ」「出場校の増枠」「延長戦の復活」という改革案を検討しているようだが、現時点で挙がっている改革案を見る限り、選手ファーストではまったくない。
そもそも選手ファーストとはどういうことか。選手のために?でもそれは選手という立場をどうするかという視点でしかない。選手ファーストで大事なのは、選手の成長を第一に考えるという視点でなければならない。
“サッカー本来”の45分ハーフ+延長戦という主張をするのであれば、彼らの成長に一番大切な休養の時間を十分に取ることが必要不可欠だ。休養日を確保するために「試合間隔を必ず中1日以上空ける日程を組む」とされているが、世界中のサッカーシーンのどこに、中1日で行っている大会があるのか。ワールドクラスのフィジカル能力を持つトップクラスの選手でさえ、週に2試合のスケジュールを過密日程と呼んでいるのだ。
「みんなが熱狂する最高の大会なんだ」というなら、それにふさわしい日程と大会形式が準備されなければならない。成長に必要な大事な大会というのであれば、選手が全力で戦える状況を作ってあげなければならない。人は「全力で走れ」と言われたから、全力を出せるわけではない。身体の問題だけではない。僕らの体は、頭は、心は、100%の力を出すために相応の準備が必要なのだ。
ドイツでも、他のヨーロッパ諸国でも短期集中的な全国大会はない。どこも1年間をかけて行われる。あらかじめスケジュールが決まっているので、コンディション管理もしやすい。あるいはドイツだと、リーグ戦後にドイツ王者決定戦がある。U-17、U-19の一部リーグはドイツ全土を3地域に分けられているのだが、それぞれの地域の1位クラブと、ブンデスリーガクラブの集中する西部地区からは2位クラブも決勝ラウンドに進出。準決勝から決勝を戦うスケジュールになっている。いずれにしても年間を通じてのリーグ戦とカップ戦。それが整理されたら、過密日程の問題は基本的に改善される。
これは高校サッカーにおいての話だけではない。全国小学生大会はもっとケアが必要だ。“日本一の小学生になるために”、週に8コマもサッカーをしてる少年の顔を見たことがあるだろうか? 精気がない。あるはずがない。子どもたちが毎日のスケジュールを“こなす”だけで、その中で自分が潰れないようにすることでいっぱいいっぱいなのだ。
「一生懸命に頑張ること」と「無理をすること」は同義ではない。彼らが夢中で取り組んで、しっかりと体も心も頭も休めて、また全力で飛び出していく。それぞれが自分の全力で取り組めるような環境を大切にしてあげることが、自分たち大人が気をつけなければならないことだ。
中野吉之伴の「育成・新スタンダード」
- 第1回 「暑さ」だけが理由じゃない なぜ「休み」が大切なのか
- 第2回 全員出場は理想ではなく最低条件 育成年代の「出場機会」問題
- 第3回 「完ぺきを求めてはダメだ」指導者のパワハラ問題と向き合う
- 第4回 チーム登録問題を一例に考えるグラスルーツ環境改善への道標
- 第5回 「一生懸命に頑張ること」≠「無理をすること」子どもたちの成長を阻む“過密日程”
- 第6回 何のためのフニーニョなのか。見逃さないでほしいこと
- 第7回 育成年代コーチが直面した「サッカーのない生活」
- 第8回 制限がある中でのトレーニングへの取り組み方
- 第9回 グラスルーツでも増える若手指導者。その理由と可能性
- 第10回 グラスルーツの指導者は「そこにある」人種差別問題とどう向き合っているのか?
- 第11回 ドイツでも進む「子供のスポーツ離れ」。国を挙げた取り組みと、サッカークラブにできること
- 第12回 指導者たちの言葉から紐解く、育成現場における「空気感」の大切さとその作り方
- 第13回 子供たちが、自分で考えて移籍する環境での大人の役割とは――ドイツ育成年代の“移籍”との向き合い方
- 第14回 ドイツの街クラブのユースチームでは具体的にどんなコンセプトを掲げ、どんなトレーニングや活動を行っているのか
- 第15回 新クラブハウスに保育園を併設。 ドイツの街クラブはどのように資金をねん出しているのか
- 第16回 育成レベルでも解任は日常茶飯事。だが今回ばかりは…突然の通告、その原因はドイツにもある“クラブ内政治”
Photos: Bongarts/Getty Images , Getty Images for DFB
Profile
中野 吉之伴
1977年生まれ。滞独19年。09年7月にドイツサッカー連盟公認A級ライセンスを取得(UEFA-Aレベル)後、SCフライブルクU-15チームで研修を受ける。現在は元ブンデスリーガクラブのフライブルガーFCでU-13監督を務める。15年より帰国時に全国各地でサッカー講習会を開催し、グラスルーツに寄り添った活動を行っている。 17年10月よりWEBマガジン「中野吉之伴 子どもと育つ」(https://www.targma.jp/kichi-maga/)の配信をスタート。