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JFAを悩ます日本人監督の育成。改革のキーワードは「明治維新」?

2018.05.22

喫茶店バル・フットボリスタ ~店主とゲストの蹴球談議~


毎号ワンテーマを掘り下げる月刊フットボリスタ。実は編集者の知りたいことを作りながら学んでいるという面もあるんです。そこで得たことをゲストと一緒に語り合うのが、喫茶店バル・フットボリスタ。お茶でも飲みながらざっくばらんに、時にシリアスに本音トーク。

今回のお題:月刊フットボリスタ2018年6月号
「17-18欧州各国リーグ総括 独走した王者と、誇り高き敗者たち

店主 :浅野賀一(フットボリスタ編集長)
ゲスト:川端暁彦

バル・フットボリスタが書籍化!


「明治のお雇い外国人」を狙え!

川端「今号は『欧州各国リーグの総括』ということでしたが、プレミアリーグ、特にマンチェスター・シティのフォーカスを巻頭に置いていました。あらためて、やはり今季はシティのインパクトが特別だったということですか」

浅野「グアルディオラ監督が以前に指揮を執っていたバルセロナやバイエルンは彼の存在を抜きにしても圧倒的に強いチームで、実際今季もそれぞれ独走優勝しています。その点はペップの評価に対する唯一の突っ込みどころでした。一方で、上位拮抗のプレミアリーグはまったく状況が違います。ハイレベルのクラブが複数競り合っているプレミアの舞台でここまで圧倒的な力の差を見せ付けたことで、監督キャリアの隙は埋まった感がありますね。あとは中堅以下のチームを率いるくらいでしょうが、それはもう意味のない仮定ですしね」

川端「中堅以下の代表チームが極東にあるので、W杯後にそちらとかどうでしょうか。そこで成功すれば、キャリアの隙は完璧に埋まりますよ」

浅野「イニエスタへの32億円をペップに払うとか(笑)」

川端「ありでしょう!」

浅野「今投資するのは選手じゃなくて監督なんだよというアピールですね!」

川端「でもまあ、本誌の記事にもありましたが、シティの独走優勝も選手の大量入れ替えがあってこそなし得たことなので、選手もセットで連れてこないとダメでしょうけどね(笑)」

浅野「はい、監督だけ連れて来てもダメです(笑)」

川端「ただ、監督やスタッフへの積極投資という視点自体は“あり”だと思うんですよね。欧州トップレベルの監督はさすがに高過ぎて、今の日本の経済力では厳しいけれど、スタッフならば……、という」

浅野「ペップほどじゃなくてもね。例えば、今号の“いい話”枠で取り上げたセリエAベネベントのデ・ゼルビは30代の若手知性派監督で、イタリアのエキスパートの間ではセリエCのフォッジャ時代から評判だった俊英です。ただ、例のごとくパレルモで首を切られて、ベネベントで降格とキャリアの踊り場にある。そういう新世代の才能ある人をキャッチアップするのは日本の一つの方向性だと思う」

川端「明治のお雇い外国人も、そういう新進気鋭の人たちが多かったんだよね。実力はあるのに本国では不遇だったりとか。現代日本と西欧のトップクラスとは経済力で圧倒的な格差をつけられてしまって、これはもうちょっとキャッチアップしようがないくらいの差。だから、そういう路線を狙うべきだというのは現実的かもしれません。欧州サッカーはちょっと繁栄しまくりで、優秀な人たちが入りまくって過当競争になっている部分もあると思うし。これはリカルド・ロドリゲス監督(徳島)の取材でも感じたけど」

浅野「特に監督業なんて1回の失敗でアウトになるからね。(前トリノ戦術コーチの)バルディも『本当に優秀な人が運に恵まれず脱落していく』と言っていました」

川端「あと実績ベースで監督を探すとなると、どうしても『おじいちゃん』になっちゃいますよね。そこも意識を変えた方がいいのかな、と。これは日本人監督についても言えることだと思いますが」

浅野「それこそバルディとかエミリオ・デ・レオとか、あの人たちは30代の若さでFIGC(イタリアサッカー連盟)で講師を務めている新世代指導者のトップランナーだけれど、立場や国籍にかかわらずまったく分け隔てなく情報を吸収する姿勢や行動力は圧巻でした。バルディにアヤックスの白井さんの話をしたら、彼の分析法の概要を教えてくれと聞かれましたからね。とにかく貪欲。1年前に話した内容がもうブラッシュアップされていたりと、とにかく自分を変革し続けているんですね。頑固なおじいちゃんとはまったく違うメンタリティを感じます」

川端「そこですよね。日本の場合、『指導者の指導者』がどうしても年季の入った人ばかりになっているのは気になります。そういう意味で、ちょっとリセットボタンを押すべき時が来ているんじゃないかなと。思えば、20世紀、成長期の日本サッカー界はそういう層がみんな若造だったじゃないですか。今会長になっている田嶋幸三さんが指導者養成や育成の主導権握ってた頃って、30代から40代前半ですからね。強化委員会(現・技術委員会)の副委員長になったのが37歳とかでしょう」

浅野「現行の日本の指導者ライセンス制度のベースって、田嶋さんや小野さんたちが若い頃に作ったものですもんね。ヨーロッパサッカーはもうとっくにリセットボタンが押されていて、一番早くに押したドイツがリードしている」

川端「日本社会っぽい話というか、実際の日本企業でもある話だと思うのだけれど、組織として巨大になって成熟するにしたがって年功序列化している部分もあると思う。以前は日本サッカー協会から出るギャラなんて安いので大物はやりたがらず、善くも悪くも意欲のある若手がやるしかなかったという面があったわけで。Jリーグバブルの時は解説者やっている方が儲かったわけだし」

浅野「強豪国の中では変革が遅い方のイタリアにしてもバルディとかデ・レオが講師だからね」

川端「功労者に対する年金制度みたいなのはあっていいと思っていますし、経験を積んだ人だからこそできる助言や教導も絶対にあると思うんだけれど、実権自体はどんどん若い人へ移していくべき時期なのだと思う」

浅野「日本だと、長幼の序もあるしね」

川端「でも『教える側が年下だから嫌です』なんて人は、そもそも学ぶ意欲に欠けているわけだから、受講してもらわなくて結構というところでいいと思う。それこそ田嶋さんたちが指導者養成制度の改革を始めた時、小野剛さんや山口隆文さんみたいに教える側もみんな40歳前後で若くて、『なんであんな若造に教えられなくちゃいけないんだ』みたいな反発もあったみたいだけれど、それを跳ね返してきたわけじゃない。いま『あの頃をもう一度!』という時に取り戻すべきは、そういう気風の方なんじゃないかと思う」

UEFAライセンスとの互換問題

浅野「『日本でナーゲルスマンが出てこない問題』ってあるじゃないですか。ライセンスのA級以上が元プロの有名選手で埋まってしまうという。そこが日本サッカーのボトルネックだよね。例えばJユースにも20代の優秀な若手指導者が出始めていますが、もったいない」

川端「むしろ、大きな意味でアマチュアの指導者がトップライセンスを取れる流れ自体はあると思います。今年度のS級受講者20名を見ても、大学から1名、高校から2名、街クラブから1名、JFLから1名、地域リーグから1名と、3分の1弱がアマチュア層から。で、Jユースからも5名で、実のところこれだけで過半数を占めている。ただ、一番若い人が38歳。26歳で監督としてユース年代のドイツ王者になって、28歳でブンデスリーガ監督の座を射止めたナーゲルスマン的な現象は当然起きようがない。Jユースの指導者たちは順番待ちの列に並ぶ感じになってしまってもいるので」

浅野「つまり、枠の問題か」

川端「で、日本のナーゲルスマンと言えば、やはり大熊清さんですよね! 28歳の若さで東京ガスFC(現・FC東京)の監督になった。これも1995年だから、90年代の“そういう時代”の中での選択でした。今、こういう人事を断行する勇気や気概がみんななくなっているだけなんじゃないかという気もします。まあ、大熊さんはライセンスが後から付いてきたんだけど(笑)」

浅野「Jクラブが増え過ぎた弊害という面もあるのかな?」

川端「そもそも『指導者として食っていく』という意識を持った人自体が増えているのだと思います。日本サッカー協会も若者に枠を与えようというのはむしろ考えていて、『年取っているからダメ』と認められない人も多いみたいですね。今回も最年長が宮城県工業高校の宍戸清一監督で、47歳。ただ、学びたいという意欲は何歳になってもあるべきだし、そういう“老人力”にはむしろ薪をくべるくらいでいいと思うので、若者をどんどん認めるのと、年を取った人を受け入れるのは両立してほしい気持ちもあります。だから個人的にはS級の枠自体を拡大していく方向でいいんじゃないかと思います。それによって指導者の質が担保されなくなるなんてこともないと思うので。あと、ライセンス制度で今後あらためて問題になっていくのは『海外組』の扱いだと思う」

浅野「海外でライセンスを取って、海外で指導した経験のある(しかし日本での指導実績は皆無)という人の扱いね。UEFAライセンスと日本国内ライセンスの互換性がないという。その話は俺も立場上よく聞きます」

川端「もちろん、日本サッカーならではの課題感とかちゃんと共有したいという日本サッカー協会の言い分もわかりますし、互換性を認めるなら双方向であるべきというロジックもわかります。そうじゃないと、幕末の不平等条約みたいになってしまう(笑)。だから個人的には飛び級制度みたいな形でいいのかなと思っているんです。例えば『UEFAのトップライセンス持っている人は、S級ライセンス海外組講座を別スケジュールの短縮した形で受けられますぜ』みたいな。大事なのはそこで新たに枠を作る分だけ通常のS級枠を減らせないこと。そこを減らすとなると、制度として不具合が出る」

浅野「順番待ちしている人からすれば割り込まれた意識になるだろうから、気は使わないといけない案件だよね。ただ、海外で学んだ人を無視する制度設計はさすがに変えないといけない。海外に学ぶメリットが薄くなるから」

川端「僕は教える側にとってもいい刺激、学びの場になると思うんですよね」

浅野「現実的な着地点は、それ用の特別枠を設けるあたりだよね」

川端「で、ここからが大事なのだけれど、受ける側にとってもメリットがあると思います。彼らが日本で就職しようと思った時に最大のネックは人脈が弱いことだと思うけれど、そういうのを作る場、就職活動の機会としても機能し得る。日本サッカー協会も優秀な人を労せずに発見できる(笑)」

浅野「確かに日本での指導実績がないと雇われにくいというのは聞きますね」

川端「雇う側にしてみると、『どんな人かわからないから不安』というのはやはりあると思います。実際に指導実践させて文章書かせれば指導力の一端は見えるわけだし、人格的な部分も見えてきますから、日本的な『紹介』も効きやすくなる。ここはwin-winになれると思うんですよ」

「変わりたいのに変われない」のはナゼ?

浅野「JFAとJリーグの協働プログラム(JJP)で指導者を欧州に派遣している活動もそうだけれど、日本サッカー界に対欧州での問題意識自体はしっかりあるわけじゃないですか。やり方を変えるには軋轢が生まれるから誰もやらないだけで。そこはもう変えないとだめですよね」

川端「軋轢というか、『今までやってきたことを変える』というエネルギーですよね。そこはやっぱり日本サッカー界、あるいは日本社会自体が全体に高齢化している影響もあると思います。『今までと同じでいいじゃん。ずっとこれでやってきたんだから』という魔法のワードに基づくパワーが働きがち」

浅野「何か黒船的なショックが必要なのかな、やっぱり」

川端「難しいですよね。霜田正浩さん(現・山口監督)が技術委員長になってやろうとした諸々が、特に育成と指導者養成周りから凄い反発を受け続けていたのも、過去自分たちがやってきたことを否定されることへの反発があったからだと思うんですよ。でも、その功績部分へのリスペクトと、今の時代背景を受けて改革へ舵を切ることは両立できるとも思うんです」

浅野「それはそうだね。分けて考えないとね」

川端「90年代に、あの時代の日本のスポーツ界の中で田嶋さんや小野さんがやっていたことって普通に凄かったとやっぱり思うし、だからと言ってそれが現在の諸々にアジャストできているかというと、これまた別の話で。あのキツかった時代に泥をすすりながら頑張った人たちに報いてあげたいという感情自体は凄く理解できるのだけれど」

浅野「そこは俺も同感。小野さんの『クリエイティブサッカー・コーチング』って本、俺持っているもん」

川端「俺も持ってる(笑)」

浅野「あの本が出たのは1998年か。トルシエの招へいも、彼らは反発を受けながらやり切ったわけだから。ボリビアのタウイチ・サッカースクール(アカデミア・タウイチ・アギレラ)とかまで視察していたしね、あの人たちは。その熱意は本当に凄かったと尊敬する。ああいう過去の功績をリスペクトして、彼らが引いた道の上を今俺たちが歩いているのを自覚しなければならないと思う。トレセンシステムも今は叩かれているけど、当時は画期的なアイディアでしたし」

川端「折衷案的な部分もあったと思うけれど、あの時点でできることとしてはベストだったと思います。ただ、そうした過去の実績をポジティブに評価することと『現状のトレセンシステムは変えた方がいいんじゃない?』という未来に向けた話をすることは何も矛盾しないと思います」

浅野「もちろん、ブラッシュアップは常に必要だよね」

川端「指導者養成制度も同じだと思う。当時としては凄かった。だって、日本のスポーツ界にまともな年代もカテゴリーも全部縦断するようなライセンス制度なんてなかったんだから」

浅野「ゼロから作っていったその功績はリスペクトされるべきだよね」

川端「で、そしてそれは現在の指導者養成制度がこのままでいいのか?という議論とは、やっぱり矛盾しないと思います。日本人はどうにもそういう切り分け方が苦手なのもわかるんですが……。トレセンにしても指導者養成にしても、若さゆえのエネルギーが改革側にあったと思うんですよね。そういう気風はやっぱり大事ですよ」

天才が天才でいられる時間は限定的

浅野「日本サッカーは20世紀末になるまでアジアでも勝てなかったわけじゃないですか。そこがアジア最強の一角まできて、U-20W杯とかU-17W杯ではベスト16までは出れば大体行けるくらいの力はある。その土台は30代後半だった田嶋さんや小野さんが作ってくれた。ただ……ですよね」

川端「このままだとこれからはわからんぞ、と」

浅野「ぶっちゃけ、ナーゲルスマンも20年後もトップレベルかはわからない」

川端「そういうことですよね」

浅野「あれだけ革命的だったモウリーニョも正直今は厳しくなってきてるじゃないですか。もう最前線ではない」

川端「その代わり、別のナーゲルスマン、別のモウリーニョが出てきていれば無問題なんだと思う。京極夏彦が前に言ってましたよね。天才が天才でいられる時間は限定的なんだ、とか何とか。グアルディオラにだって、賞味期限はきっとある」

浅野「トップレベルからの去り方の話にもなってきますよね。シャビやイニエスタはその点でも偉大だな、と」

川端「確かにカッコイイ。でも俺はボロボロになって泥にまみれながら現役を続けるような選手も大好きですけどね(笑)」

浅野「ベンゲルはまさにそうなんじゃないですか。この人はサッカーが好きなんだなと思いました」

川端「そういえば、今号のプレミア特集でもベンゲルに対するひっそりしたコラムは凄く良かったですね。去り行く名将への敬意。あれこそ過去の功績へのリスペクトですよね。ああいうマインドは欠かしたくないですね。それと若者を登用していきましょうというマインドはまったく矛盾しないんですよ」

浅野「今、日本の20代、30代が主導権を握って制度を作ったらまったく別のものができると思うんだよね。本誌でよく登場してもらっている林舞輝さんは23歳だし、アルゼンチンで監督の勉強をしている河内一馬さんは25歳。Jユースにも柏とか栃木にいる20代の“吉田達磨チルドレン”は楽しみじゃないですか」

川端「いろいろ変な人いっぱいいますからね(笑)。そういうチャレンジャブルな人材を吸収していく仕組みは用意した方がいいと思います。吉田達磨チルドレンは出藍の誉れになる人が出てきてほしいですね。師匠に似て特殊な人が多そうだし(笑)。学校の先生も、早めにキャリアをスタートできるメリットがあるので、そういうところにも人材はいるかと。指導者は七転び八起きな仕事ですが、そうやって育っていく人傑はきっといるので」

浅野「問題はそれをすくい上げることですよね」

川端「制度的に壁があるのはいけないけれど、変なサポートも要らないと思う。這い上がってきてほしいし、そういう強さも必要」

浅野「ヨーロッパサッカーは人材の流動化が進んだことでアカデミックな知見を取り入れて変化しています。日本でも大学サッカー出身のアカデミックな監督が出て来ると面白い。東京学芸大の瀧井敏郎監督(名著『ワールドサッカーの戦術』の著者)みたいな。今海外で学んでいる人はアカデミックな知識が豊富なので、そうした異才を生かせる環境になってほしいですね」

川端「大学サッカーは今教員の指導者がどんどん減っていく流れになっていて、“大学サッカーならでは”の部分はどんどんなくなってきている感じもありますね。そうした点を心配されている方もいます。これも若い人を雇う枠がなくなっているという日本社会の縮図なのでしょうけれど」

浅野「サッカー界ももろにその流れにハマっている感じはあるので、思い切って変えていってほしいですよね。ヨーロッパの流れを見ていると、指導者養成は肝になっているじゃないですか。指導者が育たないと選手が育たないですし、そこはもっとフォーカスを当てたいですね」

川端「S級の枠を増やして予算そのままとなるとキツ過ぎると思うので(笑)、そこは投資する形にしてほしいですね。講師の陣容もより整えられるくらいの投資を。もしW杯で勝って予算が増えたら、指導者養成と育成にあらためて回してほしいな」

浅野「俺個人としては若くて才能ある指導者をメディアに引っ張り出して世に出したいですし、その人の考え方をシェアしていきたいという思いがあります。日本人はもちろん、さっき言ったデ・ゼルビとか海外の面白そうな人も含めですが」

川端「現場の人をもっと引っ張り出したいね。俺が前に引っ張り出したいと言っていた浦和レッズの大槻毅さんはふとしたことからアウトレイジ路線で有名になってしまいましたが(笑)」

浅野「実は浦和ユース時代にバルのオフレコトークでも話題に出ていた大槻さん。今やすっかり有名人なのでご登場いただくのは難しそうですが、機会があれば日本サッカーと世界のテーマでぜひお話を聞いてみたいです」

川端「大槻さんも県立高校サッカー畑の出身ですからね。そういう人材はまだまだきっといるんですよ。いずれにしても、日本サッカー界自体に意識改革が必要な時期がきているんだと思います。日本サッカー協会にいる若いスタッフも話してみると、めっちゃ面白そうな人いるんですよね。なかなか難しいとは思うものの、サッカー大好きで情熱燃やしている人の数は、ちゃんといますから」

浅野「若き日の田嶋、小野が今でもいるわけですね」

川端「Jリーグ初年度の優勝監督である松木安太郎さんは当時35歳ですから! 繰り返しになりますが、田嶋さんが強化委員会の副委員長になったのは37歳ですよ。岡田武史は特殊な状況ゆえとはいえ、40歳で日本代表監督になって経験を積み上げたことで、あれほどビッグな監督になったわけじゃないですか。そういう気風が日本になかったわけじゃないのです。むしろ、大いにあったんです。念のために強調して言っておきますが、これは経験を積んだ人を排除しようとかいう極論じゃないです。田嶋さんが大いに手腕を振るえたのも、上に大仁邦彌さんがいたからでしょうから、そういう組み合わせを作っていくべきでしょうという話でもあります。情熱的な指導者たちがより良い形で権限を持って切磋琢磨していけるような環境がもっと出てくればいいなと思います」

浅野「それが誰にとっても幸せだと思います。老害扱いされるのはかわいそうというか、これまでの功績に見合わない評価というか、いろんな意味で不幸な出来事だな、と」

川端「90年代の長沼健さんとか岡野俊一郎さんとかそういう立場だったわけじゃないですか。若者に権限を委ねつつ締めるところは締めて、最後の責任は自分が取る。若きリン・パオとユースフ・トパロウルに前線指揮を任せてそのサポートに徹した自由惑星同盟草創期の指導者たちみたいなものです」

浅野「前回に続いて銀河英雄伝説ネタ(笑)。前回は拾ってあげなくてゴメンね」

川端「いいんです! 気付いた人は気付いていたので(笑)」

浅野「でも自由惑星同盟も最後は自壊したけどね」

川端「かくも草創期の気風を維持することとは難しいのである」

浅野「日本サッカーの歴史がまた1ページ……」

●バル・フットボリスタ過去記事

Photos: Getty Images

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Profile

川端 暁彦

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣『エル・ゴラッソ』を始め各種媒体にライターとして寄稿する他、フリーの編集者としての活動も行っている。著書に『Jの新人』(東邦出版)。

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