ハイデュクを20年ぶりリーグ優勝に導いても「史上最悪」?「クロアチア最強の毒舌家」から口撃を浴びるガットゥーゾ監督の功罪

炎ゆるノゴメット#16
ディナモ・ザグレブが燃やす情熱の炎に火をつけられ、銀行を退職して2001年からクロアチアに移住。10年間のザグレブ生活で追った“ノゴメット”(クロアチア語で「サッカー」)の今に長束恭行氏が迫る。
第16回では、ジェンナーロ・ガットゥーゾ監督の功罪について。ハイデュク・スプリトを率いて20年ぶりのクロアチアリーグ優勝が懸かる首位争いを演じながらも、「クロアチア最強の毒舌家」から口撃を浴びている理由とは?
現役時代はアグレッシブなプレーと好戦的な性格から「闘犬」と呼ばれたジェンナーロ・ガットゥーゾ。昨年6月にハイデュク・スプリトの監督に就任し、早々に地元の重鎮記者と衝突したものの、シーズンが経過するにつれて獰猛ぶりは鳴りを潜めていた。ところが、クロアチアリーグの優勝争いが佳境を迎えたところで「クロアチア最強の毒舌家」に牙を向けた。
1位と2位の直接対決となった「アドリア海ダービー」(3月16日)で、リエカに0-3の惨敗を喫したハイデュクは首位から陥落。指揮官のガットゥーゾはピッチ脇の中継スタジオに呼ばれると、解説者のヨシュコ・イェリチッチにだけ握手を拒否した。ガットゥーゾとイェリチッチの間でブロークンな英語とスペイン語による丁々発止のやり取りが交わされたが、最初に刀を振りかざしたのは憤怒に燃えたガットゥーゾだ。
「お前はしゃべりすぎだ。サッカーへの敬意が欠けている。状況をよく知っているくせに、いつも酷いことを口にする。オレは敬意を払っているのに、お前は悪口しか言わない」
「君(のハイデュク)はかなり酷いプレーをしているじゃないか」
「それが私のスタイルだ!」
「君はこの国で外国人だ。ここのすべての人々に敬意を払わなければならない」
「いやいや、ここではサッカーについて話せ! 面と向かって話せ!」
「だったら話そうじゃないか」
「お前がテレビに出ている場でオレが話すのはこれが最後だ! お前は邪悪だ! 二度と口を利いてやるもんか! お前はまるで全世界を征服したかのように話しているからな!」
「君はイタリアからやってきたのだから、私に指を振りかざすんじゃない」
女性司会者のバレンティナ・ミレティッチが仲裁してカオスは収まったものの、両者のバトル映像はすぐにネット上で拡散され、世界中のサッカーファンの耳目を集めることになった。
ガットゥーゾの怒りは収まらず、試合後の記者会見でも「敵」に吠えまくった。
「ヤツはオレにも、そしてオレの選手たちにも敬意を払っていない。言い返せない場で陰口を叩くのは簡単だ。まず何よりヤツが元プロ選手で、このスポーツで何が起こるか熟知していることが腹立たしい。オレが“外国人”であることが何だっていうんだ? あまりに酷い侮辱だ。オレがサッカー未経験というのか? オレがハイデュクに属していないというのか? ヤツは半年以上にわたってオレの選手たちをこき下ろしてきた。まるでW杯やCLで優勝した監督であるかのように振る舞っている」
直接対決では刀を鞘に納めたはずのイェリチッチも、中継スタジオから去った「敵」を容赦なく口撃した。
「サッカー選手としての彼は尊敬しているが、私がピッチで目にしたものといえば……。私には発言する権利がある。中身のない飴玉を叩いて、そこに何があるかを述べることは一番簡単だ。ハイデュクの何が問題かって? 継続性だよ。ハイデュクのプレーは酷く、そもそも試合の準備ができていない。もし私の発言が彼にとって不都合ならば、ハイデュクを批判していると彼が思うのならば、あえてハイデュクに触れるつもりはない。だが、私は彼以上のハイデュク人(hajdukovac)だ。誰が相手であろうと、しかるべき言葉で物事を語るつもりだ。元W杯王者として敬意は払うが、今の彼はハイデュクの監督であり、ここでは外国人だ。視聴者に対して、そして私に対しても敬意を払わなければならない」
最も投票数の多かった『Index.hr』のアンケートでは、ガットゥーゾ支持が「37%」、イェリチッチ支持が「36%」とほぼ同率。国内唯一のスポーツ紙『スポルツケ・ノボスティ』のWEB版アンケートでは、ガットゥーゾ支持が「30%」に対し、イェリチッチ支持が「46%」と上回った。両者の知名度を比較すれば、意外な結果と思われるかもしれない。だが、この数字の背景を知るために、昨今のクロアチアサッカー界を賑わしている「ヨシュコ・イェリチッチ」を一から説明する必要がある。
人気コメンテーターだが…民族や国籍を絡めた皮肉で炎上も
ねっとりとした口調で饒舌に話すことで人気のイェリチッチは、かつてテクニシャンとして鳴らす攻撃的MFだった。地元の名門ハイデュクで16歳でプロデビュー。1991年のユーゴスラビアカップでは、そのシーズンに欧州王者となるツルベナ・ズベズダとの決勝戦に出場して初タイトルを経験する。独立直後のクロアチアリーグで優勝したのち、1993年に「禁断の移籍」というべきディナモ・ザグレブに鞍替え。ハイデュクサポーターの恨みを買い、アウェイのダービーマッチとなればCK担当のイェリチッチにあらゆる物がぶつけられた。その中から冷静にライターを拾っては火が点くか確かめるほどの強心臓の持ち主だった。
イェリチッチは1996年1月にセビージャに移籍したものの、セグンダ降格となった1年半後にディナモへ復帰。同じくセビージャから復帰したロベルト・プロシネチュキと一緒に、90年代後半のディナモでチャンスメイカーとして活躍した。晩年はアキレス腱や膝の故障を抱え、浦項スティーラーズ、ザグレブに在籍したのち32歳で現役引退。同世代には競合するMFのタレントが多かったため、代表歴は1試合のみにとどまっている。
イェリチッチが再び表舞台に出てきたのは引退から10年あまり経ってからだ。2013年に民放局『RTL』の専属コメンテーターに就任すると、その後もテレビ局を渡り歩いた。数少ないディナモとハイデュクの2大クラブ経験者であることから国内事情に精通し、昨今の解説者に必須の映像分析やデータ引用もお手のもの。ファッショナブルでカメラ映えもよく、現代世相とサッカーを交差させたレトリックで番組をショー化する。テレビでの発言はすぐにネットニュースとなり、切り抜き動画がSNSに流れることで人気を博していった。彼には愛国主義的な側面もあり、カタールW杯の3位決定戦に勝利すると「クロアチア人であることは美しい。こんな感情が味わえるのだから」と昂奮し、90年代の独立戦争時に制作された愛国ソング『私の祖国』(Moja domovina)をクロアチア公共放送のスタジオで大合唱した。
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Profile
長束 恭行
1973年生まれ。1997年、現地観戦したディナモ・ザグレブの試合に感銘を受けて銀行を退職。2001年からは10年間のザグレブ生活を通して旧ユーゴ諸国のサッカーを追った。2011年から4年間はリトアニアを拠点に東欧諸国を取材。取材レポートを一冊にまとめた『東欧サッカークロニクル』(カンゼン)では2018年度ミズノスポーツライター優秀賞を受賞した。近著に『もえるバトレニ モドリッチと仲間たちの夢のカタール大冒険譚』(小社刊)。