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「育成の水戸」になるまでの10年(前編)。西村卓朗GMが試行錯誤した「選ばれるクラブ」になるための道筋とは?

2025.03.19

GMが描くJクラブ未来地図#5
西村卓朗(水戸ホーリーホックGM)前編

若手を中心に多くの日本人選手の目が「外」に向き、世界的な移籍金のインフレ傾向に円安も重なり外国籍選手獲得のハードルも上がる――今のJクラブの戦力編成の難易度はかつてないほど高まっており、中長期の明確なクラブ戦略なしでチーム力を維持・向上させていくのは不可能だ。今連載では、そのカギを握る各クラブのGM/強化部長のビジョンに迫りたい。

第5&6回は、16年に水戸ホーリーホックの強化部長、その後、19年からGMを兼ねることでクラブ経営を全般まで見渡しながら、チームとクラブの強化に尽力してきた西村卓朗GMにご登場いただく。前編では、西村氏が水戸に携わった10年において「育成の水戸」と認知されるに至った経緯を中心に話を聞いた。

J1へ移籍する選手が増えた3年間

――取締役GMを兼任しながらですが、強化部長は就任して10年になります。最初に伺いますが、ずばり強化の醍醐味や苦悩は何でしょうか?

 「プロサッカークラブにおける象徴的なものはトップチームの成績だと思います。その非常に重要な部分の役割を担っていると思っています。最前線の商品を作っているという責任があります。多くの人に集まってもらって、注目されて、多くの方々の感情を揺さぶって、特殊な職種だとつくづく思います。毎年順位をつけられて、毎週勝ち・負けを体験する企業(また地域の方々)というのもなかなか珍しいと思います。まさしくそれが、醍醐味ですね。勝利をお届けできたときは、様々な方々の高揚感を肌身で感じられて、貢献できたという安堵感に一瞬ではありますが浸ることができます」

――強化の苦悩はどうでしょう?

 「強化は、人事の仕事でもあるので、もうひとつの醍醐味は、先ほどの言葉を引き取ると、多くの方々の感情を揺さぶるために、選手、スタッフの成長に強く関われるということです。またその中においての人々との出会いです。その一方、別れがあることが苦悩ですね。苦渋の決断をしないといけないときがある。人を相手にする仕事なので、当たり前ですが、自分の思ったとおりにならないことばかりです。どうやったらうまくいくのだろうということを、日々自問自答しています。とはいえ、人の成長に関われ、喜びに立ち会えることもある。それが強化の仕事のやりがいだと思います」

――この10年の変化や成果をどのように感じていますか?

 「水戸に来る前は、社会人リーグのVONDS市原のGM兼監督を3年間務めていて、Jリーグの強化に携わるのは水戸ホーリーホックが初めてでした。そういうこともあり、最初の2年は前任の方(小原光城現FC東京GM)の体制を受け継ぐ形だったので、とにかく、Jリーグの強化部長はどうやっていくものだろうかとか、水戸ホーリーホックの強化は何をしていくべきか、ということを考え続け、他のクラブの状況や、水戸の課題や強み、歴史などをひたすらインプットしていた期間でした。その後、18年にはハード面の変化がありました。待望の練習施設『アツマーレ』が完成したんです。その出来事はチーム強化において追い風になるだろうと思っていました。そのタイミングで監督交代を行い、長谷部茂利さん(現川崎フロンターレ監督)を招聘し、新たなチーム作りをスタートさせました。そこから水戸ホーリーホックとしての独自性をどのようにしていくかを考え、着手していくこととなりました。18年からアクセルを踏んで、アウトプットのフェーズに突入したという感じでした」

2018年から2019年まで水戸を率いた長谷部監督

――18年に過去最高成績となる10位に、19年にはさらに最高順位を更新する7位となり、J1昇格プレーオフ進出まであと一歩のところに迫りました。

 「長谷部さんが手腕を発揮してくれたことと相まって、チーム強化の面においても、その頃は非常にいい時期を迎えられていたと思っています。その後、長谷部さんが福岡の監督に就くため、水戸を離れることとなりました。20年からは秋葉忠宏さん(現清水エスパルス監督)に来てもらいました。今思えば、安定的な3年間を送ることができました。18年から若手選手を育てることにさらに力を入れていきましたが、その継続というより、より成果を出したのがこの3年間でした。水戸からJ2チームではなく、J1チームに移籍する選手が増えたのがこのフェーズでした。コンスタントに選手をJ1に送り出せるようになり、移籍金の額も増えていった時期でもあります。特筆すべきは、21年に5人の選手(住吉ジェラニレショーン、柳澤亘、平野佑一、松崎快、牲川歩見)にJ1クラブからオファーを出させる活躍をさせたことが挙げられます。その移籍金があったから、コロナ禍の苦しい経営状況を乗り切ることができました。秋葉さんが水戸で指揮を執ってくれた3シーズンは、選手とチームの価値を高めるフェーズだったと思います」

2020年から2022年まで水戸を率いた秋葉監督

クラブに価値を作り、人材を集め、事業規模を拡大する

――19年にはGMに就任し、強化部長としてチーム編成を行いながら、クラブ全体のマネジメントにも関わるようになりました。

 「クラブの事業サイドにも加わり、そのための取り組みや人事にも関わらせていただきました。フロントの人材の採用を積極的に進め、ビジネス面では新規事業を作り、改革を進めつつ、21年にはアカデミースタッフの人事にも関わるようにしました。水戸ホーリーホックで記念すべき初ゴールをあげた鳥羽俊正さんにヘッドオブコーチングとして戻ってきてもらったり、当時ユースの監督だった樹森大介(現アルビレックス新潟監督)をトップチームに引き上げたり、アカデミーにおいても採用や、配置転換などをすることができました。強化、事業、アカデミーの順番で関わっていきました。そういう変化があった10年でしたね」

――GMとしてクラブ全体をマネジメントしながら動かせている実感はありますか?

 「まさしく、19年から22年まではそういう実感がありました。ただ、23年にトップチームが成績不振に陥ってしまったため、夏ぐらいに舵を切って、事業サイドの仕事をまかせるようにして、トップチームのマネジメントに専念するようになりました。その中で24年に森直樹監督が就任するのですが、長い期間、一緒に仕事をしてきた人間が監督になったということは大きな出来事だったと思っています。同時にユースチームで指導していた樹森大介がトップチームの攻撃を担当するようになりました。偶発的でしたけど、アカデミーとトップチームのつながりが生まれたことは、昨年の象徴的な出来事だったと思います」

――強化部長として就任した当時、年間売り上げは6億円弱で、リーグ最下位レベルでした。チームを強化するためにも、まずは経営面を強化しないといけないという考えのもと、GMに就任したのでしょうか?……

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佐藤 拓也

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