現役引退した遠藤康、次の一歩。「宮城県のサッカー人口を増やしたい」という野望
ベガルタ・ピッチサイドリポート第21回
2024年シーズンいっぱいで18年間におよぶ現役生活に幕を下ろした遠藤康。鹿島アントラーズやベガルタ仙台でプロサッカー選手として活躍した彼は今、自分が育ったスポーツ少年団・なかのFCの代表を務めている。地元に帰ってきた遠藤は、これからの自身の展望について、そして、宮城県のサッカーの未来について、果たしてどういった青写真を描いているのだろうか。今回もおなじみの村林いづみに迫ってもらおう。
2024年11月21日、遠藤康はユアテックスタジアム仙台で引退会見を開いた。会見場に現れた姿を見て驚いた。会見定番のスーツ姿ではなく、いつものジャージ。数時間前まで練習場で見せていた格好のまま、かしこまらずに席に着いた。「スーツが嫌だっただけです。あとは、まだ選手としてやっているので、スーツを着て会見をするのは性に合わないというか、まだ試合があるのでジャージでお願いしたいと、わがままを言いました」と笑った。翌月にJ1昇格プレーオフを控えた中での会見だった。
会見で語られた引退後のプランについても、周りの予想を大きく覆してきた。「仙台や鹿島での指導者はやらないと決めています。これはなぜかと言えば、僕は教える立場の人間ではないのかなと思っていますし、今(それぞれのチームに)すごいスタッフがたくさんいる。そこにはリスペクトがあるので、そういう意味では僕が入るべきではないと思っています」と強い信念を見せた。
なんだか、いつも彼には驚かされる。実は2年半前、自らを育ててくれた地元のスポーツ少年団「なかのFC」の代表を引き継いだのだという。これからはその役割をしっかり担いながら、「宮城県のサッカー人口を増やすようなことをしたい」と新たな野望も口にした。現役生活18年、輝かしいタイトルも多く獲得し、ピッチの中でワクワクするプレーをたくさん見せてきた彼が、これからどんな道を選び、進んでいくのか。少し覗いてみたくなって、2025年初め、彼が主催、なかのFCが運営を行った「東北人魂フェスティバルIN多賀城」の活動を訪ねた。
周りへ影響を与え続けた仙台での3年間。後継者・郷家友太へ託したバトン
「鹿島で引退してもいいかなと思っていた」。彼を取り巻く人々も、「恐らくそうなるだろう」と思っていたかもしれない。その中で届いた生まれ故郷、仙台からのオファーだった。2022年、「2年限り」と決め現役を続行した。舞台はJ2に降格したベガルタ仙台。「J1復帰」という至上命題を掲げ、遠藤は先頭に立って奮闘した。1年目は32試合に出場。5ゴールを決め、シーズンを通してチームをけん引する働きを見せた。負け癖がついていたチームに、練習から厳しさや違いを示す。この年、J1プレーオフまではあと一歩届かなかったが、「仙台に遠藤康あり」を強く印象付けた。「宮城に帰ってきてくれてありがとう」とサポーターは叫んだ。翌2023年は、けがとの戦いを余儀なくされた。長年患っていた左足底腱膜炎。痛みを取り除くべく、現役生活の中で初めての手術を経験した。もう一年と決めた2024年だったが、けがの影響で試合に絡むことができず、次の一歩を踏み出す大きな決断をした。
キャプテンを引き受けた2024年。試合に出ることはできなくても、自分にできることを模索した。遠藤らしくピッチ内外で若い選手たちに大きな影響を与えてきた。彼の言葉は常に仲間の心を動かしてきた。
「友太、同じ地元出身で、仙台に来てくれてありがとう。この先、このチームを引っ張るのはお前しかいない。お前次第で、このチームはもっと上に行けると思うし、お前次第でもっと下に行くこともある。このベガルタ仙台をJ1に上げて、いつかこのベガルタ仙台が常勝軍団となって、俺がいた鹿島より上に行けるように頑張って欲しい。これからも頼むよ」
J1昇格プレーオフ決勝・ファジアーノ岡山戦に敗れた直後。最後のミーティングで涙を流しながらあいさつした遠藤は、敢えて名指しで、みんなの前で郷家友太へ思いを伝えた。その言葉は、広報カメラを通じて、チームを取り巻く人々へ伝えられた。シーズン途中からゲームキャプテンを務めた郷家友太へは、チームを率いる者として思いを託した。選手ではなくなる遠藤が、信頼する後輩へ、大切な何かを引き継いだ瞬間だった。
なかのFC代表就任の経緯。スポーツ少年団代表という新たな肩書
なかのFCは宮城県仙台市で1986年に創設された少年サッカーチームだ。遠藤や今季からベガルタ仙台に加入した武田英寿など、サッカー選手を輩出している。小学校6年間、ここでサッカーの基礎を身に着けJリーガーとして羽ばたいた遠藤に、恩師である前代表の千葉忠志さんからは長くラブコールが届けられていた。「年齢を重ねて、千葉さんが現場に来られなくなってしまって、鹿島にいた頃から相談を受けていました。鹿島の頃は、現場を見ることもできないからと言っていたんですが、仙台に帰ってきたタイミングで引き継いだ形です」。
現在の肩書を問うと「フリーマン(笑)。なかのFC代表、元プロサッカー選手かな」と答える遠藤。引退会見でも「なかのFCに対して、まだまだ自分の思いなど還元できていない部分があるので、まずしっかりやりたい」と語っていた。子どもの頃に育まれたボールを蹴る楽しさやサッカー選手への夢を、次代につなぐ役割を強く意識する。
子どもの自主性を育てる大会。プロとの真剣勝負も行われた「東北人魂フェスティバル」
「東北人魂(正式名称・東北人魂を持つJ選手の会)」は、2011年の東日本大震災発生を機に、東北出身のJリーガーたちが東北地方のサッカー復興のために設立した任意団体だ。……
Profile
村林 いづみ
フリーアナウンサー、ライター。2007年よりスカパー!やDAZNでベガルタ仙台を中心に試合中継のピッチリポーターを務める。ベガルタ仙台の節目にはだいたいピッチサイドで涙ぐみ、祝杯と勝利のヒーローインタビューを何よりも楽しみに生きる。かつてスカパー!で好評を博した「ベガッ太さんとの夫婦漫才」をどこかで復活させたいと画策している。