2012年、当時19歳の小林祐希をキャプテンに据えた東京ヴェルディの内情と若き俊英の苦悩
泥まみれの栄光~東京ヴェルディ、絶望の淵からJ1に返り咲いた16年の軌跡~#6
2023年、東京ヴェルディが16年ぶりにJ1に返り咲いた。かつて栄華を誇った東京ヴェルディは、2000年代に入ると低迷。J2降格後の2009年に親会社の日本テレビが撤退すると経営危機に陥った。その後、クラブが右往左往する歴史は、地域密着を理念に掲げるJリーグの裏面史とも言える。東京ヴェルディはなぜこれほどまでに低迷したのか。そして、いかに復活を遂げたのか。その歴史を見つめてきたライター海江田哲朗が現場の内実を書き綴る。
第6回は、2012年、当時19歳という若さで東京ヴェルディのキャプテンを任された小林祐希を中心とするチームが上を目指しながら跳ね返された経緯、そして小林の苦悩と成長を丁寧に綴っていく。
19歳で左腕に巻く腕章「逆にラッキー」
2012年1月22日、駒沢女子大学記念講堂――。
東京ヴェルディは2012シーズンの新体制発表会見を行った。川勝良一監督は就任3年目。前身のヴェルディ川崎時代を含めて、同じ監督が2年を超えて指揮を執った例はない。「監督より靴下のほうが長持ちする」と言われるクラブが未踏の領域に入ったことを意味していた。
選手たちの中心で、晴れがましい顔を浮かべているのが19歳の小林祐希だ。
川勝は新チームのキャプテンに小林を指名した。2010年、東京Vユース所属の小林は2種登録でトップの試合に4試合出場。翌年、ユースから昇格し、34試合2得点をマークした。中盤の底に定位置を獲得した気鋭の若手である。しかも今季から、ラモス瑠偉をはじめ歴代の名選手が背負った10番を付けることになった。
四方八方からカメラのフラッシュを浴びる姿に感じたのは、大いなる期待に不安が入り交じるものだった。
私の知る小林は、溢れんばかりの自負心が服を着て歩いているような若者である。思ったことをはっきりと主張し、相手が年上だろうが関係ない。これまで周囲と摩擦が起きることも少なくなかった。
10番はともかく、キャプテンの大役はギャンブルだ。訊けば、これまで副キャプテンの経験すらないという。
「小学生の頃かな。チームで一番巧いやつがキャプテンをやるのが当然だと思っていたんです。俺は誰よりも練習していたし、誰よりもサッカーに懸けていた。サッカー小僧であることに強い誇りを持っていた。だから、すっかりそのつもりでいたのに、あいつだとチームがまとまらないよな、みたいな雰囲気ができて、ほかの選手がキャプテンになった。そのときはショックで2、3日練習を休みました」
以降、リーダーの資質は明らかになっていない。これに川勝は意に介さない様子で言った。
「まったく心配していない。能力のある選手がほかの選手より重い荷物を背負うのは当然のこと。年齢は関係ないでしょ。あいつはキャプテンで10番を背負う理由をこれからつくるよ」
後日、小林に新シーズンへの意気込みを訊く機会があった。
「10番として認めてくれる人は、いまはまだひとりもいないと思います。チームメイトもサポーターも。みんなをギャフンと言わせてやりたいですね。優れた選手は練習の1本のパスでも違いを示せる。派手なプレーで目立ってやろうというつもりはありません。ひとつのパスを確実に、よりスピーディーに。そのうえでチームの勝利につながる決定的な仕事をしたい。苦しい試合でこそ、自分が風穴を開ける」
左腕に腕章を巻くことについてはこう語った。……
Profile
海江田 哲朗
1972年、福岡県生まれ。大学卒業後、フリーライターとして活動し、東京ヴェルディを中心に日本サッカーを追っている。著書に、東京Vの育成組織を描いたノンフィクション『異端者たちのセンターサークル』(白夜書房)。2016年初春、東京V周辺のウェブマガジン『スタンド・バイ・グリーン』を開設した。