移籍金制度が廃止された先にある未来。「ディアラ判決」がスーパーリーグ構想を加速させる?
CALCIOおもてうら#32
イタリア在住30年、ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を広げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えるジャーナリスト・片野道郎が、ホットなニュースを題材に複雑怪奇なカルチョの背景を読み解く。
今回は、「ディアラ判決」論評の続編として、今の移籍金制度が廃止された先にあるフットボールエコノミーの未来像について考察してみたい。
前々回の当コラムでは、さる10月4日に欧州司法裁判所が下した、ラサナ・ディアラの移籍トラブルを巡る判決について、状況を整理した。今回はそれを受ける形で、もしこの判決が、移籍金制度そのものを含む移籍システム全体の大幅な見直し、さらにはフットボールエコノミーの再構築にまでつながって行くとしたら――という可能性について、考察を試みてみたい。
選手側からの一方的契約解除が容易になる?
この「ディアラ判決」が移籍制度、ひいては移籍市場の今後にとって重大だと考えられているのは、現在の移籍システムの枠組みを規定しているFIFAの「選手のステータスと移籍に関する規程」(RSTP)の一部が、EU法の「労働と移動の自由」(第45条)、「反競争的協定の禁止」(101条)に抵触するという判断が下されたためだ。
現在の移籍システムは、あるクラブとの契約下にある選手が他クラブに移籍するためには、所属元クラブと選手が双方の合意に基づいて契約を途中解除し、その代償として移籍先クラブが移籍金(契約解除に伴う違約金/補償金)を支払う、というスキームを前提として成り立っている。それを定めているのが、「契約は契約期間の満了あるいは双方の合意によってのみ終了する」と定めたRSTP第13条だ。
ただし、続く14条、15条にはその例外として「正当な理由」(契約違反、モッビング、給与未払い、出場機会が公式戦の10%未満など)があれば、クラブ側あるいは選手側からの一方的な契約中途解除が可能だと記されており、さらに17条では「正当な理由のない」一方的契約解除についても、それが可能になる条件とその手続きが定められている。
「正当な理由のない一方的契約解除」というのはつまり、契約下にある選手が突然「もっといいチームが見つかったので今月一杯で辞めます」と宣言して契約を破棄するということ。「辞表を出して転職する」というのは、一般的な労働市場では当たり前に行なわれていることであり、プロサッカーの世界においても「原則としては」可能だが、現実にはこのRSTP17条によって厳しい制約が課されている。
「ディアラ判決」が問題にしたのはこの17条の内容。「正当な理由のない」一方的な契約解除について定めている条件や手続きが、選手の「労働と移動の自由」を不当に制限しているだけでなく、クラブ間の「公正な競争」を阻害するものであり、EU法に反しているというのが、この判決が下した判断だ。
これに従うならば、17条が定める以下のような制約はすべて違法であり、見直しを強いられるのは必至ということになる。
・選手側から一方的契約解除を行えるのは、28歳未満なら契約発効後3年、以上なら2年を経て以降に限られるという「(契約)保護期間」の規程
・選手側がクラブに支払う補償金をFIFA紛争解決室が個別に算定するという規程、およびその不透明な算定基準と過大な算定額
・選手と移籍先クラブに科される出場停止や新規選手登録禁止などスポーツ的制裁を定めた罰則規程、およびその前提となっている移籍先クラブの連帯責任
FIFAは、RSTPが定めている移籍システムの大枠は、クラブ間のサッカー競技を定期的、安定的に開催するために必要なものであり、17条などに定められた移籍に対する制約もその目的にかなったものだと主張してきた。しかしこのディアラ判決は、17条が定める制約について「サッカー競技の適正な実施を保証するためというよりも、選手移籍という経済的な背景においてクラブの経済的利益を保護することを意図しているように見える」と評価しており、その点で不当だと判断している。
つまり、現在の移籍システムは、選手の契約を取引可能な資産として利用し売買する市場を形成し維持する機能を持っており(footballistaでも以前に特集で取り上げた「選手の債券化」だ)、それが選手の自由な移籍とクラブの公正な競争を阻害している、という指摘である。
判決文には「これらの規則は、その性質上、プロサッカークラブがクラブ間で行うことができる競争に高度の弊害をもたらすものである。したがってこれらの規則は、欧州連合の全領域における競争を制限する、あるいは防止することを目的としているとみなされるべきである」という記述までがあるほど。
この判断が、選手側から「正当な理由のない」一方的な契約解除を行うハードルを大幅に下げるものであることは間違いない。現在の移籍制度下では、たとえ他のクラブと移籍について水面下で合意していたとしても、所属クラブが移籍先クラブと移籍金などの条件について合意し、それに基づいて「同意に基づく契約の中途終了」(RSTP13条)を受け容れない限り、契約期間中の移籍は難しいのが現実だ。
しかしこの「ディアラ判決」に従えば、5年契約の1年目であっても、選手側からクラブに対して一方的契約解除(RSTP17条)を通告し、他のクラブに移籍することがかなり容易になる。「保護期間」が無効になり、選手と移籍先クラブに対するスポーツ的制裁もなくなるとしたら、「契約残余期間分の給与総額」を賠償金として支払うだけで十分、ということになるからだ。
FIFAとFIFPROで異なる判決の解釈
ただ、この判決が現在の移籍システム、ひいてはフットボールエコノミーにどれだけ大きな影響を与えることになるのかは、現時点ではまだ不透明だ。こうした事態においてはありがちな話だが、この判決をめぐる関係各方面の「解釈」は、その立場によって大きく異なっている。……
Profile
片野 道郎
1962年仙台市生まれ。95年から北イタリア・アレッサンドリア在住。ジャーナリスト・翻訳家として、ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を広げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。主な著書に『チャンピオンズリーグ・クロニクル』、『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』『モウリーニョの流儀』。共著に『モダンサッカーの教科書』などがある。