REGULAR

「ウチのクラブは5年後を、今見られる」サンフレッチェの未来を創る強化責任者、雨野裕介が明かす育成型クラブの強み

2024.11.28

GMが描くJクラブ未来地図#2
雨野裕介(サンフレッチェ広島強化本部長)後編

若手を中心に多くの日本人選手の目が「外」に向き、世界的な移籍金のインフレ傾向に円安も重なり外国籍選手獲得のハードルも上がる――今のJクラブの戦力編成の難易度はかつてないほど高まっており、中長期の明確なクラブ戦略なしでチーム力を維持・向上させていくのは不可能だ。今連載では、そのカギを握る各クラブのGM/強化部長のビジョンに迫りたい。

第1&2回は、前任者の足立修からバトンを受けて強化本部長に就任したサンフレッチェ広島の雨野裕介。シーズン途中にトルガイ・アルスランやゴンサロ・パシエンシア、川辺駿を獲得するなど、1年目からさっそく手腕を発揮している。後編では広島ユース生、育成コーチとして育まれたクラブとの絆、そして強化部と育成部が連動している育成型クラブの強みを生かしたビジョンを明かしてもらった。

←前編へ

ケガによる挫折、育成コーチとしての経験

――今季のサンフレッチェの話をする前に、雨野本部長とクラブの関係を振り返らせてください。広島ユースの2期生でしたね。

 「はい」

――高校2年の時に大けが(左足三角靱帯断裂。当時、ドクターからは「サッカーはもう無理」と言われていた)の治療のため、高校を1年間休学。合計4年間も高校生活をやらざるを得なかった。それでも、桐蔭横浜大から鳥取(当時JFL)に加入し、2年間で40試合出場。プロとして広島のユニフォームをつけてってことはなかったんですけど、引退後は広島に戻ってユースのコーチを務めた。

 「その通りです」

――そして2011年から鳥取でコーチと強化の仕事をされていましたね。広島ではずっと現場の指導者だったわけですが、強化の仕事をしたいと思われたのですか?

 「いや、思ってないです。考えたのは、自分にはプロ選手としてのキャリアがないこと。そういう自分が指導者として勝負していく上で、何を武器にしていくかって考えたんですね。サッカーの言語化能力と、ロジカルに物事を進めることとか。その中でも特に、マネジメント力が大事だなと思ったんですよ。強化の仕事をやれば、そういう力が身につくのではないか。指導者として、もう一皮むけるためにマネジメントの仕事をすることが大切では、と思ったんですね。そこでたまたま(鳥取で)強化の仕事をいただいた。ただ、実際にやってみると、そんなことは言ってられない(笑)」

――鳥取でも最初は現場でしたね。

 「2005〜11年まで、広島でゴリさん(森山佳郎/当時広島ユース監督)の下でユースのコーチをやっていたんですね。翌年からはジュニアユースのコーチに転任する予定だったのですが、その時に鳥取から『U-15の監督をやらないか』とオファーが来たんです。僕としては監督がやりたかった。しかも鳥取がJ2に昇格した年でしたし、『ありがたいな』と思って移籍したんです。

 鳥取からはトップチームやユースチームのコーチの話もいただいたんですが、僕はジュニアユースの年代を見たかった。広島ユースで僕は高1の子たちを見ていたんですけど、その時に『育成は、ジュニアユース年代でしっかりやらないと』という実感があったんです。だから、U-15の監督というお話は、自分にとってはありがたかった。ウチの嫁さんは鳥取の人だし、子供のことを考えても、鳥取で仕事をするのは悪くない。僕にとってはどこで仕事するとかではなくて、どのように仕事するかの方が大事なんで」

――広島ユースでの森山佳郎さんとの仕事は、いかがでしたか?

 「いやもう、僕にとっての全てですよね。ゴリさんと、そして(沢田)謙太郎さんと一緒に広島ユースで仕事できたことが、本当に大きかった。こんな奇跡はない。今の僕があるのは、あの2人のおかげです」

――森山監督から学んだことは?

 「いろいろありますが、ピッチに立つ前の、準備段階での繊細さですね。これはあまり表には出ていない、僕らしか知らないところです。ピッチに立つまでの監督ルームでの仕事、情熱の注ぎ方、その全てが到底、真似できるようものではない。謙太郎さんも含め、みんな自分の時間をどれだけ削って、選手のために何ができるかと常に考えていた。そこは指導者としての基礎というよりも、人としての基礎ですよね。そういうこと全てを、あの時代に僕は教えていただき、見せてもらいました。ついていくのに必死でしたけど、気がついたら6年間、広島ユースでやらせていただきました」

現在はベガルタ仙台の監督を務めている森山監督

松山市役所で働き、公務員を目指した

――ところで、指導者の仕事をする前に、1度サッカーから離れていますよね。……

残り:3,481文字/全文:5,574文字 この記事の続きは
footballista MEMBERSHIP
に会員登録すると
お読みいただけます

Profile

中野 和也

1962年生まれ。長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルート・株式会社中四国リクルート企画で各種情報誌の制作・編集に関わる。1994年よりフリー、1995年からサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するレポート・コラムなどを執筆した。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。以来10余年にわたって同誌の編集長を務め続けている。著書に『サンフレッチェ情熱史』、『戦う、勝つ、生きる』(小社刊)。

RANKING