ハイプレスは儲からない…?伊沢拓司の仮説、怪我から考える現代フットボール分析の複雑さ
the SPURs for the Spurt 〜N17から眺めるプレミアリーグ〜 #4
熾烈な上位争い、世界中から集まる有望株、終わることのないマネーゲーム……欧州サッカーの中心となったプレミアリーグが、なぜここまでの地位を手に入れたのか、そして今後どうなっていくのか。“クイズ王”としておなじみの伊沢拓司が、敏腕経営者ダニエル・レヴィ率いるトッテナム・ホットスパーを通して、その活況の要因と未来の展望を綴っていく好評連載。
第4回は、現代フットボールにおいて戦術選択はどのような商業的意味を持つのか。スパーズのような「ハイプレスは儲からないんじゃないか仮説」を検証してみたい。
怪我人が少ないので儲かる戦術?怪我人が出過ぎて儲からない戦術?
開幕から2カ月が経ち、多くのチームの「雰囲気」がわかってきた。今季のチェルシーはここ数年で最も迫力があるし、マンチェスター・ユナイテッドは昨季以上に苦戦するかもしれない。そして我らがスパーズは、アップデートを加えながらもあと一歩で勝てない試合が多く、勝ち試合は強いが負け試合はとても弱い……といった様相だ。
そしてやはり、昨季同様ネックとなっているのが怪我人である。大黒柱ソン・フンミンが怪我により思うように稼働できず、リシャーリソンやソランケ、オドベールも負傷に苦しんでいたため、常に前線の駒不足に悩まされる序盤戦だった。それゆえ、1点差で負けていても有効な変化を加えられず、ずるずると時が過ぎる……といったことがまま起こっている。
他のチームを見てみても、マンチェスター・ユナイテッドやブライトンは対戦時すでに多くの怪我人を抱えていた。欧州全土に視野を広げれば、毎週のようにACL(膝前十字靱帯)損傷でシーズンアウトとなる選手のニュースも見る。やはり体感では、怪我人はこれまで以上に増えている……ように思えるのだ。
EUROやコパ・アメリカによるオフシーズンの短さ、CL、EL、カンファレンスリーグの試合数増加、ネーションズリーグによる負荷増などなど、その要因は枚挙にいとまがない。UEFAを責めることは容易だが、そうしたところでこうした仕組みは簡単に変わらないだろう。試合が増えればお金が増え、チームもUEFAも潤う。となるとクラブチームの側は自分たちでやりくりして対処していくしかないのだが……そこでひとつ、プリミティブな疑問を覚えることがある。
怪我の多寡はある程度、チームの取る戦術に依存するであろう。
そして、その怪我の多寡により勝敗は分かれ、チームの浮沈に影響する。より怪我人が出やすい現環境において、その防止に向けて有用な施策を打てるならば、かつて以上に有効打としてチーム成績を改善できるはずだ。
となると、同じ勝ち星を挙げるのでも、「怪我人が少ないので儲かる戦術」「怪我人が出過ぎて儲からない戦術」というものがあるのではないか。そして、たとえばスパーズが取るようなハイプレスは、端的に言って「儲からない戦術」なのではないだろうか。
怪我人の増加は、直感的には収益減につながるように思える。チームが弱体化するだけでなく、期待して払った給与が無駄になるという側面もあるだろう。試合数増加や勝利によって得た収入を、それを得るための戦術が打ち消してしまうようでは意味がない。逆に言えば、試合数増加に対応できる、怪我をマネージメントできる戦術を採用すれば、収益増の恩恵を十二分に受けることができる、ということでもある。
マネタイズとマーケティングなしには考えられない現代フットボールにおいて、選手への負荷をかける戦術選択はどのような商業的意味を持つのか。そもそも、戦術選択は怪我の多寡にどのように影響するのか。私個人の興味の範疇に過ぎないが、やれる範囲で調べていきたい。
選手の怪我はチームに金銭的損失をもたらすのか
まず、ここまでの言説には様々な仮定が置かれている。それを整理するところから始めよう。
仮定1:選手の怪我はチームに金銭的損失をもたらす
仮定2:ハイプレスはそうでない戦術に比べて怪我の可能性が高い
仮定3:ハイプレスがもたらす怪我による減収は、ハイプレスがもたらすピッチ上の成果による増収より多い
これらの仮定が正しければ、「ハイプレスは儲からないんじゃないか仮説」を証明できるだろう。直感的にはどれも正しそうに思えるが、事実ベースで見て裏付けが取れるかは別の話だ。様々な推論と先行研究を重ねることによって、ひとつずつ仮説を解き明かしていこう。
まずは、怪我と収益の関係性についてだ。
イスラエルのチームによるこちらの分析(https://bmjopensem.bmj.com/content/6/1/e000675?fbclid=IwAR0j8cxyiRV7Gp2m_m4hhxFIHSP_x-_ygNKczHl1vP7OjweZSCRI9dNpyuU)によると、プレミアリーグにおいては選手の怪我により各チーム平均で年間4500万ポンドの損失が出ている。これは怪我による成績低下3600万ポンドと払った給与が空費された分900万ポンドを合わせた額であるが、改めて大きな金額が失われている、ということがわかるだろう。
本論文内で示されたデータとしては、217日の怪我で順位が1つ落ち、6つ順位が落ちた場合のチームの損失が3600万ポンドである、という関係性が示されている。なお、データは2016-17シーズンをもとにしたものであり、同時に「怪我の頻度も、そのコストも年々上がっている」ことが示されていることから、現在はより怪我すると高くつくはずだ。怪我をしないことは金銭面でもだいぶ有利であろう。
より最近のニュース(https://www.insideworldfootball.com/2024/10/16/player-injuries-cost-big-5-league-clubs-2-3bn-past-four-years-finds-report/)においては、ヨーロッパのトップ5リーグを集計対象とし、平均で92分に1度怪我が起こり、1試合ごとに約17万ポンドの損失が出ている、という結果になっている。年40試合を戦えば、680万ポンドの損失だ。だいぶ低くなるが、これは他リーグとプレミアリーグの差であろうか。
いずれにせよ、怪我が増えることはチームに金銭面でマイナスな影響を与える、1つ目の仮定は正しそうだ。当たり前に思えるが、こうしたことの確認もまた大切である。……
Profile
伊沢 拓司
私立開成中学校・高等学校、東京大学経済学部卒業。中学時代より開成学園クイズ研究部に所属し開成高校時代には、全国高等学校クイズ選手権史上初の個人2連覇を達成。2016年に、「楽しいから始まる学び」をコンセプトに立ち上げたWebメディア『QuizKnock』で編集長を務め、登録者数200万人を超える同YouTubeチャンネルの企画・出演を行う。2019年には株式会社QuizKnockを設立しCEOに就任。クイズプレーヤーとしてテレビ出演や講演会など多方面で活動中。ワタナベエンターテインメント所属。