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【ロシア現地観戦記】戦時下の変わらぬ日常、「Z」マークと子供たちの笑顔が併存したゼニトの夏

2024.09.07

フットボール・ヤルマルカ 〜愛すべき辺境者たちの宴〜 #6

ヨーロッパから見てもアジアから見ても「辺境」である旧ソ連の国々。ロシア・東欧の事情に精通する篠崎直也が、氷河から砂漠までかの地のサッカーを縦横無尽に追いかけ、知られざる各国の政治や文化的な背景とともに紹介する。

footballista誌から続くWEB連載の第6回(通算86回)は、ウクライナ侵攻開始から2年半、ロシアを訪れた筆者がゼニト戦5試合を観戦したサンクトペテルブルクとモスクワのスタジアムで見たもの、感じたこと。

 2024年8月現在、日本からロシアへ入国するためには飛行機の直行便がないため、中国・中東・トルコなどを経由しなければならない。その中でも中国経由が比較的短時間で安く、中国からロシアへと向かう機内にはタイやベトナムなどの東南アジア諸国でバカンスを過ごしたロシア人観光客が多い。一様にリラックスした様子で楽しそうに帰途についていた。

 1990年代末から20年ほどロシアと日本を行き来する生活を続けていた筆者にとって、今回のロシア渡航は実に5年ぶり。新型コロナウイルス感染症とウクライナでの戦争が障壁となっていた。現在も日本の外務省からはウクライナ国境周辺地域以外のロシアへの渡航に関しても「レベル3:渡航中止勧告」の危険情報が提供されている。旅行は可能であるし、現地で留学している日本人もいるが、やはり声を大にして「ぜひロシアへ行ってみてください」とは言えない状況にある。実際、ロシアへ渡航する日本人はかなり少ない。筆者の場合は配偶者がロシア人であり、サンクトペテルブルクにも自宅があり、親戚や友人もいるため、いわゆる「里帰り」としてこの夏をロシアで過ごしている。このような事情をどうかご理解いただいて、今となっては貴重な体験であるロシアでのスタジアム観戦の様子を綴ってみたい。

ウルトラスが集う物騒なスタジアムは今、家族連れで賑わう健全なレジャーの場に

 日本ではロシアと言えばウクライナ情勢に関連するニュースばかりが目立つが、モスクワやペテルブルクでは戦時下やテロの脅威といった緊張感はほとんど感じられず、普通の日常生活が続いている。駅やスタジアム、人が集まる施設では荷物チェックがあるものの、ほんの数秒で終わる。こんなに簡単で良いのかと心配になるくらいである。サッカーも通常通り国内リーグやカップ戦が開催されている。

 ペテルブルクにおけるサッカーのシンボルはとにかくゼニト。ロシアではソ連時代を含めてリーグ優勝5回につき星を1つエムブレムの上に付けることができるが、昨季通算10回目の優勝を果たしたことで星が2つとなり、黄金時代を謳歌している。路上や地下鉄、空港など至るところでクラブの広告やロゴが目に入り、社会福祉や文化活動に至るまで幅広く関わっているゼニトはこの町の生活に完全に根づいている。今回の滞在では幸運にもカップ戦を含めて4試合をホームで観戦することができた。

10度のリーグ優勝に貢献したスターたちを集めた広告。スパレッティ(現イタリア代表監督)、ビラス・ボアス、アドフォカート(現キュラソー代表監督)、フッキ(現アトレチコ・ミネイロ)など欧州でもおなじみの顔ぶれも
ホームスタジアムの最寄り駅「ゼニト」のプラットフォームにはクラブが獲得したトロフィーの巨大なレプリカが飾られている

 ロシア・プレミアリーグを観戦するためにはまず昨季から完全導入された「Fan ID」を登録して「サポーター・パスポート」を取得しなければならない。登録は政府のポータルサイト「ゴスウスルーギ」(国のサービス)を通じて行う。日本におけるマイナンバーカードの電子版と言えるこのサービスはほとんどの国民が利用していて、これまで煩雑でやたらと時間がかかっていた様々な行政手続きを簡単に済ませることができるようになったと好評を得ている。市内の各所に事務所があるが、インターネット上でも登録は可能。サイトは英語、ドイツ語、フランス語にも対応しているので外国人でもパスポート情報を入力して取得することができる。最初は面倒に感じたが、やってみれば案外簡単で、一度登録してしまえば来季以降は更新の必要がない。Fan IDのアプリをダウンロードすれば「サポーター・パスポート」の表示、チケットの購入や管理もスムーズに行うことができる。このシステムに限らず、商店や飲食店では電子決済、タッチパネルでの注文、セルフレジ等が主流となり、社会のデジタル化はこの5年の間にさらに進んだ。

 チケット購入の際はFan IDの登録番号が必要で、試合当日は入場の際にスマートフォンの画面などで「サポーター・パスポート」の提示をお願いされることもある。このFan IDは家族連れでも安心してスタジアム観戦できることを目的として政府が導入し、自国開催の2018年ワールドカップの成功体験を元にしたものだ。スタンドの一角をファミリーシートにしているスタジアムもあるが、ワールドカップ以降はそれが意味を成さないくらい場内は家族連れの観客であふれている。以前までの「男たちだけが集まる物騒なスタジアム」といったサッカーのイメージはほとんど消え去りつつある。

ガスプロム・アレナ内で試合前、最も長い行列ができるフェイスペインティングのコーナー
ゼニトのマスコット「レフ」とロシア最大手のポータルサイト会社「ヤンデックス」ブースのスタッフ
スタジアムの前では路上パフォーマーが来場者を迎える

 このようにスタジアムが健全なレジャーの場として変貌した一方で、これまで当たり前のように存在していた「熱気」は失われた。ゴール裏で声を張り上げていた熱心なウルトラスのグループがFan IDの導入に異議を唱え観戦をボイコットしているのである。これはゼニトだけに限らず全クラブのウルトラスが連帯して行っている抗議活動だ。……

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Profile

篠崎 直也

1976年、新潟県生まれ。大阪大学大学院でロシア芸術論を専攻し、現在は大阪大学、同志社大学で教鞭を執る。4年過ごした第2の故郷サンクトペテルブルクでゼニトの優勝を目にし辺境のサッカーの虜に。以後ロシア、ウクライナを中心に執筆・翻訳を手がけている。

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