
Good Times Bad Times 〜フットボール春秋〜 #8
プレミアリーグから下部の下部まで、老いも若きも、人間も犬もひっくるめて。フットボールが身近な「母国」イングランドらしい風景を、在住も25年を超えた西ロンドンから山中忍が綴る。
footballista誌から続くWEB月刊連載の第8回(通算242回)は、8月26日に膵臓がんのため76歳で生涯の幕を閉じたスウェーデン人監督、スベン・ゴラン・エリクソンという大の「人生好き」について。
We are deeply saddened that Sven-Göran Eriksson, who managed the #ThreeLions from 2001 to 2006, has passed away aged 76.
Our thoughts are with his family and friends at this time.
Rest in peace, Sven. You will be greatly missed
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— England (@England) August 26, 2024
2001年、サッカーの母国に出現したバルタン星人
のっけから脱線してしまうが、個人的に「また行きたい」と思うレストランの1つに、『マール・ド・インフェルノ』がある。ポルトガルはリスボンの漁師町カスカイス、それも大西洋を望む崖の上にあるシーフード・レストランだ。休暇で訪れたのは、1990年代半ば。目の前に海が広がる景色、新鮮な魚介類、そして愛想の良いウェイターさんお薦めのワインを味わいながら、長い夏の一夜を妻と一緒に堪能した記憶がある。
10年近く経った後、そのレストランがお気に入りだと知り、一方的な親近感を覚えた人物がスベン・ゴラン・エリクソンという監督だった。76歳での死去が報じられた今年8月26日にも、「あのレストラン、行ってないなぁ」と思ってしまった。外観はカジュアル風で、メニューもロブスターに手を出さなければ特別に高くはないレストランは、当時の外国人イングランド代表監督第1号という、サッカー界の“セレブ”が好むような店には思えなかった。
考えてみれば、当人は、監督として欧州トップレベル初挑戦となった、1980年代前半のベンフィカ時代からのお気に入りだったのだろう。それにしてもエリクソンは、筆者にとってイメージとは違う監督であり続けた。ケビン・キーガン体制の後を受けたスウェーデン人は、熱いイングランド人だった前任者とは対称的な「冷めた異邦人」と目されていたが、実は情のある人間らしい監督だった。
When Sven-Goran Eriksson made England history
pic.twitter.com/DfuNrCvqg8
— BBC Sport (@BBCSport) August 26, 2024
国内メディアの反応からすれば、2001年の代表監督就任当初は、まるで得体の知れない「異星人」のごとく敵対視されたとさえ言える。たとえるならば(古くて申し訳ないが)、丸メガネといい、物静かな口調といい、「フォッフォッフォッ」と笑うバルタン星人が、「サッカーの母国」に出現したようなもの。イングランドFA(サッカー協会)による人選を「屈辱的とも受け取れる」と評した、当時リーグ監督協会CEOのコメントは忘れ難い。
ところが、イングランドファンが、エリクソンのお面をつけてスタンドに現れるようになるまでに時間はかからなかった。今回の悲報が届くと、元代表選手たちからは、指揮官というよりも「人」として、故人を偲ぶメッセージが多く寄せられている。これが、やはり外国人の元代表監督(2007〜12年)、ファビオ・カペッロだったとしても同様のリアクションがあっただろうか?
W杯南アフリカ大会中の試合後会見では、まるで「他人事」のように話すカペッロの言葉を聞きながら、「やはり代表監督は母国人でないと」と感じた。だが、その4年前にエリクソンの言葉を聞いたドイツで、そう感じはしなかった。いわゆる「黄金世代」を率いた両外国人監督だが、チームのムードもエリクソン体制下の方が良かったように思う。
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Profile
山中 忍
1966年生まれ。青山学院大学卒。90年代からの西ロンドンが人生で最も長い定住の地。地元クラブのチェルシーをはじめ、イングランドのサッカー界を舞台に執筆・翻訳・通訳に勤しむ。著書に『勝ち続ける男 モウリーニョ』、訳書に『夢と失望のスリー・ライオンズ』『ペップ・シティ』『バルサ・コンプレックス』など。英国「スポーツ記者協会」及び「フットボールライター協会」会員。