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「マサくんの人間性が表れたチームだった」ゼルビアを離れベガルタへ。奥山政幸への止まない惜別

2024.08.24

ゼルビア・チャレンジング・ストーリー 第15回

町田の名を全国へ、そして世界へ轟かせんとビジョンを掲げ邁進するFC町田ゼルビア。10年以上にわたりクラブを追い続け波瀾万丈の道のりを見届けてきた郡司聡が、その挑戦の記録を紡ぐ。

第15回は、移籍期限終了間際に移籍が発表された奥山政幸について。チームがJ1優勝へ向けて邁進する中、出番が限られながらもチームメイトから厚い信頼を寄せられていた理由とは。

 チームがボールを保持した局面で、時に必要と判断すれば、“偽SB”のポジション取りもためらわない。積極果敢な奥山政幸のポジショニングは、スムーズにボールが循環する状況を創出。“ボールを持たせれば怖くない”チームが見せた意外な横顔に、対戦相手のセレッソ大阪は、面を食らっているように映った。

 JリーグYBCルヴァンカッププレーオフラウンド第1戦。町田の選手たちが実践した地上戦での攻略は、「特別な練習はしていない」(奥山)チームにとって、“アドリブ”の産物だった。

 黒田ゼルビアが意外性を発揮する中で、“守備のスペシャリスト”に等しい奥山が、チームの歯車の1つとして機能していたのも、ランコ・ポポヴィッチ体制下で学んだことを実践していたに過ぎない。ヨドコウ桜スタジアムでの奮闘は、約7年半在籍した町田で身につけたことがすべて凝縮された90分。まさに“集大成”と呼ぶにふさわしいパフォーマンスを奥山は見せつけた。

コンバートを機に飛躍、不動の存在に

 初挑戦のJ1もハーフシーズンを過ぎた頃、町田は戦前の下馬評を覆し、首位戦線をリードしていた。第2ウインドウがオープンした夏のタイミングで、クラブとしてのフェーズがJ1優勝に切り替わった町田は、昨季のJ2優勝メンバーとの離別が相次いだ。今夏のタイミングでチームを去った選手の数は2桁超。最後にそのリストに書き加えられた選手が奥山だった。

 ルーキーイヤーのレノファ山口FC在籍時を除き、町田に籍を置き続けた奥山は、限りなく“ワンクラブマン”に近い存在。長らく選手会長を務め、昨季のJ2優勝時には主将としてシャーレも掲げている。

 中島裕希や福井光輝とともに、J1ライセンスを所有していなかったハングリーな時代を知る奥山の移籍は、頭ではわかっていても、気持ちでは割り切れない人間心理の典型例に該当するセンセーショナルな出来事だった。もちろんベガルタ仙台への期限付き移籍を選択した本人にとっても、苦渋の決断だったが、「選手はプレーしてナンボ」(中島)という観点に立てば、決断した本人の意思を尊重するしかない。それでも、残された選手たちが口々に「寂しい」と語り、チーム離脱を惜しむ声が絶えない理由は、奥山がそれだけチーム内での影響力を持った存在だったことの裏返しだ。

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Profile

郡司 聡

編集者・ライター。広告代理店、編集プロダクション、エルゴラッソ編集部を経てフリーに。定点観測チームである浦和レッズとFC町田ゼルビアを中心に取材し、『エルゴラッソ』や『サッカーダイジェスト』などに寄稿。町田を中心としたWebマガジン『ゼルビアTimes』の編集長も務める。著書に『不屈のゼルビア』(スクワッド)。マイフェイバリットチームは1995年から96年途中までのベンゲル・グランパス。

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